芸術に狂気を感じる秋
今日は朝から主人と一緒にみなとみらい線の馬車道駅に向かった。
横浜トリエンナーレ最終日だったので、主人が前からみたいと言っていた
川俣正さんの「都市への挿入」を見るために。
今回の横浜トリエンナーレの副題は「光の破片をつかまえる」。
横浜美術館自身もこんな感じで変身していた。
光の破片をつかまえるためには影みたいなものが必要で、その人間の影というか闇みたいなものを感じる作品が多かったように私は感じたな。
横浜美術館があんな風に変身してるのをみたら、ちょっと恐怖を感じるというか、ゾワっとした感覚が芽生えた。
今回の川俣正さんの作品は元々横浜銀行だった建物に、工事現場で足場を作る鉄板が張り付けられている作品。
台風の影響で上半分は外されていました。。。残念。
全部張り付けてあったら、もっと迫力があっただろうになぁ。
建物の中はこんな感じ。
本当はこの写真の白いところ全部に鉄板が貼られる予定だったのだと思うんだけど、半分くらいになっていた。
私は元々芸術とかには詳しくない人間で、主人の影響で興味を持ち始めたので、川俣正さんという方も今回初めて知った。
今日の展示で、川俣さんの横浜の倉庫を運搬用パレットで覆う作品の映像が流れていたんだけど、その映像だけでもゾワっとした感覚が湧いた。
(出典:Bank ART1929)
なんていうか、心の中が闇で蝕まれていくような感覚というか。
どこからともなく湧いてきて、気づいたときにはすでに大部分が闇で染まっていた、みたいな感じ。
真っ白な布に少しずつ真っ黒な何かが滲みていくような。
でも、その感覚はなんか初めて感じる感覚ではなくて、きっと私が過去に体験したことがある感覚なんだろうなと思った。
この倉庫の作品の比べると、今回の作品はある意味で淡々とした感覚を覚えた。
もしかしたら、元々の予定通りに作られていたら違ったのかもしれない。
台風の影響で作品が変わってしまう前に見に行けば良かったなぁ。
建物自体も古いんだろうけど、とてもキレイだったし、使ってる鉄板も無機質なので感情を感じられないというか。
作品のマテリアルに、昔誰かが使っていた何かを使ってるものは、その使っていた人なのか、作者なのかは分からないけど、人の感情が流れ込んでくる感覚がある。
で、大体、アートに使われるそれらには、少し狂気じみた感情を感じてしまう。
それがゾワっとした感覚として私の中に流れ込んできて、ベタつく感覚と、一瞬、自分の中を染める感覚があるのだ。
「あ、違う違う。これは私のものではない。」と思うと、サッとその感覚は消えていく。
美術館や芸術系のものを見ると、映画のようにストーリーがあるわけでもなく、セリフもないものだからか、自分の中の想像力と創造力がお腹の底から湧いてくる感じがして面白い。
主人と結婚しなければ、こんな感覚は得られなかったかもしれないと思うと、主人には感謝なのです。