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【想い】

はじめまして。
あさみんこと浅見弘幸と申します。


私の父は就職に際し、とても苦労したこともあり、私には、良い学校に行き、良いところに就職をしてほしいと、私が小学校から塾通いをして中高一貫の中学受験をしました。

小学校時代は成績が良かったものの中学高校の6年間は落ちこぼれ。とはいえ、進学校に通ったため、大学という道しかなく2浪して大学に合格しました。

浪人生活の2年間は日中ほぼ家から出ずに孤独な時間を過ごしました。


大学は大阪の大学に通い、就職活動では父が喜ぶだろうなぁという思いもあって、銀行員になりました。

ただ、就職活動の時期はいわゆるバブル崩壊後の氷河期。銀行員3年目には、不良債権処理や銀行合併と言った時代の中、債権回収という係に配属になりました。配属になって数日。この仕事は毎日ストレスが重なることは理解しましたが、毎日のように返済してもらうことを取引先にお願いに行っていると取引先からは歓迎されいないため、仕事も休むようになり、だんだんとうつ病のようになって行きました。

将来を考えるとこのままいけば、死ぬんじゃないかと思うようになり、追い詰められたものの、死ぬ勇気もなく、逃げるようにして、退職しました。


退職したものの、次の仕事が決まっているわけではなく、『ありがとう』と言われる仕事がしたいと思い、治療家の道に進むことにしました。


とは言え、銀行員のキャリアが生かされるわけでもなく、全くのゼロからの転身ということで最初は学校に通いながらの丁稚奉公のような生活が続きました。


銀行員3年目の約1年間と退職してからの数年はもとても孤独との戦いでした。


10年以上整骨院から整体院、病院、総合病院など多数のところで修行したのち、最後の就職先で3ヶ月給料未払いがあり、不安もありながらもやむを得ず独立開業となりました。


銀行員ではあったものの経営のけの字も知らない中、独立したので、毎日が必死でした。


その後、少しずつ軌道に乗りましたが、プライベートでは、妻の難産、産後の不調、2人目不妊、ガンの宣告などいろいろな苦難があり、治療家としてなんとかしたいという思いから、方向転換。


妊活、マタニティ、産後ケアや温活、腸活と言った婦人系の疾患に対応する治療院に軌道修正しました。


コロナ禍になり、3ヶ月間治療院を休むなどしている中、今度は私自身がコロナからの急性肺炎で緊急入院となりました。


入院初日、『万が一の時は延命をご希望されますか?』

と聞かれ、

点滴で朦朧とする中、まだ生きたいと言った内容の返事をしていました。


父の死、妻のガン宣告を近くで体感していたものの、自分自身の延命希望を聞かれるまではまだ他人事のようだったんだと痛感しました。


これ以降、命は有限。人生には終わりがあるということを自分自身に訴えかけるようになり、時間の使い方というものが大幅に変わりました。


そして、仕事の相談や人生の相談を受けていくうちに、自分自身もたくさんの人の応援をしてきたいと感じながら、今は専業主婦が未経験からでも手に職をつけて旦那さんのお小遣いを気にすることなく手に職をつけて収入をあげて欲しいと、一人一人育てることが今の使命と感じています。


私自身が、ゼロから転職をし孤独を感じながらも這い上がってきた経験が、一生懸命に生きる人の応援をするという私の生きがいとなっています。


本業だけでなく、困っている人、人生に悩んでいる人、どんな人でも私自身が少しでもお役に立てられるのであれば、全力で応援していきます。


出逢った人が元気になる存在としてこれからもこの命を使ってまいります。


そして、いつ死を迎えても後悔のない生き方をこれからもしていきます。


よろしくお願いします。


あさみん

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