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2年間で英語が「ぺらぺ」になるためにやったこと

我が家のちびっこたちは、ニュージーランドに来た時はハローとサンキューがギリギリ言えたかどうかのレベルだった。
たまに日本にいた時に、英語の絵本を読み聞かせてたり、トトロを英語で見るなどをやってみていたものの、いざこっちに来てみると全ての英語学習につながると期待していたことは、全く意味がなかったことが判明したのだ。

そんな彼らが、2年間英語圏で暮らした結果、周りのお母さんやお父さんたちに「本当に子どもたちは英語がもともと出来なかったの?」とびっくりされるレベルにまで英語が上達した。
なんなら、彼らの第一言語が英語だと信じる親御さんたちから
「え?!日本語もできるの?バイリンガルなの?」と驚かれる様子に、逆に私たちが驚くほどだ。

7歳の息子の英語レベルは、先日の学校の成績表で「ネイティブの8.2歳レベル」と評価してもらえたし、子どもたちの英語はペラペーラなレベルとまではいかなくても、ペラペ(ペラペラの一歩手前)くらいまでは来たと言えよう。

英語圏で暮らしていたら、誰でも遅かれ早かれ英語はできるようになるのかもしれない。
とはいえ、親としてある程度意識してやってきたことがある。
誰かの参考になればいいし、自分たちの備忘録的に、このタイミングでまとめてみようと思う。

まず、息子に関しては、機会さえあれば、とりあえず英語の環境に一人で飛び込んでいってもらっていた。
具体的には、こっちの学校の長期休暇に開催されるホリデイプログラムというものである。ホリデイプログラムというのは、学校の時間と同じくらい、つまり朝の9:00から午後3:00過ぎまで、何かしらのテーマ性をもったプログラムを実施してくれるもので、色々な小学校、多様な学年の人たちが一同集まる場である。
我が家はあえて、息子を信じて完全「はじめまして」の人たちばかりの集まりに子どもを送り込み続けた。
一日、八時間、みっちりと英語を話す人たちに囲まれる経験を長期休暇の間も休みなく経験するというのは結構意味があったのではないかと思う。お金はかかったけど、息子の英語力と同時に社交力を身につけるために個人的にはとても効果があったのではないかと感じている。

次に、息子の場合、小学校一年生の初日から学校をスタートしたのも結果として良かったのではないかと感じている。周りの子達もアルファベットがちゃんと書けるかどうか怪しいというレベルの中で入って行って、みんなで一緒にゼロから英語を勉強し始めた。
そして自宅で特別な補習をすることなく、他の子と同じように英語の授業を受け、英語の宿題を普通にやって行くことで、気づいたら普通に周りのこの英語力に追いついていったのだ。
二年生になってから入ったノンネイティブの子どもたちは、他の子達へのキャッチアップがある程度大変で、大体ESL(English as a second language)のクラスに入ることが多いという。

娘のことも書いてみると、やはり保育園選びで自分たちが信頼できるインクルーシブな環境を選んだのは良かったように思う。
というのも、海外からニュージーランドに来てご近所の保育園にいれてみたものの、一年経っても全然英語が出来ないまま、というケースもちらほら聞くからだ。
例えば、かなりの富裕層が集まるアングロサクソン系の人しかいない保育園に、あるアジア人のご家庭の娘さんが通っていた時のこと。
そこにいる子どもたち、先生、親御さんからもかなり冷たくされ交流がほぼない状況で孤立した辛い時間をずっと過ごしていたとのこと。
やっぱり人と交流する時間がないと英語というのはなかなか身につかないらしく、周りの人が言っていることはなんとなくわかるけど一年経っても英語でコミュニケーションを取ることが出来ないままだったという。
娘が通った保育園は、娘が園長先生のことが大好きだったし、園長先生も娘のことをとても大切に愛してくれていた。
そこにいた先生たちの多くがアジアからの移民が多いというのもあるのもしれないが、クラスのお友達も親御さんたちもみんな分け隔てなく娘と接してくれていた。
小学校と違って自分の裁量で選べる保育園だからこそ、本当に子どもが受け入れてもらえる環境を選ぶというのは大切だったのかもしれないと今改めて思っている。

他には、親としての人付き合いという点において、基本的に子ども中心のコミュニティに積極的に入っていくことを決めている。
夫も私も英語はネイティブレベルではないため、もちろん日本語で会話をする方が話しやすい。
それでも我が家は、子どもが仲良しのお友達中心に親同士も交流をしている。結果、我が家が家族ぐるみで付き合う相手は、日本人以外のファミリーの方が圧倒的に多い。
とはいえ、子ども同士の波長が合うことが前提になっているので、親としても仲良くなりやすいことは確かだ。

それ以外に意識したことが何かあったのだろうか。あえていうとすると、我が家にはテレビがないため、日本の番組を子どもに見せるとかはなく、何かを見るとなれば、子どもたち自らのチョイスでのYoutube動画になることもある程度は関係しているかもしれない。
例えばwaterのことを息子が「ウォーラー」とアメリカ式発音をしていて、これは明らかにYouTubeからの影響である。

と、色々と書いてはみたものの、何より子どもたちの日々も努力があっての今だと思う。
それでも、この子どもたちの成長物語に、自分たちの決断が多少なりとも貢献したと信じたい。
さあ、次の我が家のミッションは、子どもたちの日本語能力維持プロジェクトだ!


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