古代中国大旅行 史記との出会い

            (2008,9,25)
 厳しい暑さが続いた今年の夏、私は何をしていたか・・・長期逗留の旅行中であった。
きっかけは「墨攻」、目的は文字の故郷を訪ねて、場所は古代中国である。
 今年の年賀状に「史記の魅力にとりつかれてただ今、古代中国に長期逗留中です」と書いたら、最近会った友人から「いつ帰ったのですか?」と聞かれた。いえいえ、本の中でだけの話です。

 古代中国は少々遠い。直線距離にして、220万メートル、時間にして2000万時間。行けるものなら行ってみたい。紀元前4,5世紀の世界、中国には孔子や孟子や、墨子がいて、インドにはお釈迦様がいて、ギリシャにはソクラテスやプラトンやアルキメデスがいた。

「墨攻」というコミックが面白いと友人が教えてくれた。とりあえず近所の古本屋に行ってみると、あった! 1巻から6巻まで。パラパラとめくってみると、暑苦しい絵が目に飛び込んできた。

 もうずいぶん前、息子の漢文の参考書の中に面白い一文を見つけた。墨子の「兼愛 非攻」を説いた文だった。自分の高校時代、孔子の論語はいやというほど読まされた。「忠恕のみ」というわりに「忠」ばかり強いる孔子。これは「強い人を守る論理」ではないかと少々嫌気がさしていた。
 墨子の「自分が大切なように相手も大切にせよ」という思想が紀元前5世紀にあったことが信じられなくて、「墨子」という岩波の文庫本を買ったが、やはり漢文が難しくて、ひとりでは読み通すことが出来ず、そのままになっていた。

 マンガを読むのは久しぶりだ。人物名もとっつきにくいし、時代背景もよくわからない。まごつきながらも読んでいるうちに、すっかりはまってしまった。
 紀元前400年頃の中国、戦いに明け暮れる春秋戦国時代に、墨子は「兼愛」と「非攻」を唱え、弟子たちがその思想に基づいて強い絆で結ばれた集団を作り、趙の邯鄲城を守ることを請け負って、活躍するという話だ。
昔買っていた「墨子」を探し出して、文末の解説を改めて読んでみる。なんと「墨攻」の奇想天外とも思える事柄が、すべて史実に基づいていたのだ。

 今から2500年も前、気の遠くなるような昔の史実や思想が、文字によって残されていて、後の人たちにしっかり届く。これは驚くばかりだ。毎日使っている漢字と呼ばれる文字は、いったい何時、誰によって作られ、どのように広まったのだろうか。そのことの手がかりを得たいと、中国の古代史の世界に迷い込んだ。

 司馬遷の「史記」の訳本2,3冊と参考書として中国の歴史の古代の部、石川九陽の「書の宇宙」の甲骨文、金文、竹木簡。図書館で手当たり次第に本を借りて読みあさった。

 黄帝から始まる五帝時代、名前だけ知っていた尭、舜がどのような関係であったかもわかった。夏王朝にひきつがれ、美女に狂った桀王を倒して殷王朝が始まるのが、紀元前1600年。この頃は河川の改修が進み、巨大な都市の建設や、墳墓の造営、あるいは青銅器の鋳造の為に、大量の樹林が切り倒され、森林は急速に減少していったという。
 近年発掘される遺跡からは、文字を鋳込まれた青銅器、文字が書かれた木簡竹簡がどんどん出てくる。土中にあって、朽ちずに残っていたのは、紙がなかったことがかえって幸いしたのかもしれない。
 
 事実を一つ一つ確かめつつ議論を構築していく歴史学者の努力もさることながら、読み物としての「史記」は断然面白い。事実かどうか疑わしいといわれながら、遺跡の中からその証拠が出てくるのも、してやったりという気がする。

 殷で、神をまつる道具として生まれた文字が、殷王朝の滅亡とともに各地に広がり、次第に政治的な使命を帯びていったという大まかな流れも、おぼろげにわかってきた。
 文字を独占していた周の頃から、「史」という文字の書き手がいたそうで、王の言ったことを逐一記録していたらしい。その資料に基づいて司馬遷は「史記」をまとめ上げたという。


 春秋戦国時代になると、様相は打って変わり、たくさんの国が入り乱れて、鮮烈な戦いを繰り広げる。話がややこしくてさっぱり分からない。地図を写し、系図や年代表を作り、メモを取り、そのメモも何度も書き直す。

 こうして今年の夏は、古代中国関係の本を借りてきては、読んだり書いたりの日々を過ごした。
 一番興味をそそられるのは、日本人と中国人と考え方、感じ方の違い。又それが歴史にどう反映したか、古典としてどんなものが残ったか・・・
これは私にとって大きなテーマだ。


   後日記    (2023,7.10)
 この頃はすっかり中国の歴史に夢中になりました。
史記のあと、三国志、十八史略、それから中国史の参考書のようなものを片っ端から買って、読み漁り、数年かかって、ほぼ現代までたどり着きました。
ちなみに私の好きな人物は曹操、王朝で言うと隋、宋です。
 一人っきりのまさに独学で、話をする人がいなくて、さみしいことでした。
 後に京都造形芸術大学に入った時、中国史を勉強していたことがとても役に立ちました。


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