復活 9回目の那岐登山
(2017,11,3)
夫に間質性肺炎という診断が下ったのは、今から5年前のことである。
はじめて聞く病名、原因も、したがって治療法もないという。
呼吸器科の医者である長男がそれを聞いて「えっ、 まさか!」と絶句した。
治療方針を模索しているときに、肺塞栓を起こした。しかし運よく発見が早かったので、事なきを得た。
また検査を重ねているうちに、肺がんが見つかった。とりあえずこちらの治療を、と抗がん剤治療が始まった。がんの方は初期だったのでほぼ完治したが、間質性肺炎は甘くなかった。
私は、酸素ボンベを使って、ゆるーく穏やかに生活することをなんとなく想像していたが、3年半の闘病生活ののち、あっという間に逝ってしまった。
その後に待ちかまえている膨大な処理仕事。
今までも私がマネージングをしていたが、すべて夫の指示の下であった。今度は何もかも私が決めなくてはならない。いろいろ考えることが多くて、眠られない夜が続いた。これから私はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろう。
目の前にとんでもない事態が発生して、あれもこれもと振り回されているうちに、膝がひどく痛みだした。
以前から不調で整形外科で診てもらうと、加齢によって関節の軟骨部分がすり減っているので、筋肉をつけなさいと言われた。
この度は、正座はもちろん、膝もつけない。夜中に疼いて目が覚める。
来客などあって、畳であいさつする場面が多くあるが、無様な事である。
毎日1時間ほど近隣を歩いたり、整体にも通ったりしたが、何の手ごたえもない。
次の不調は満中陰の法事がすみ、いろいろな片付けに目鼻がついた4月、急に眼が回りだした。初めてのことだが、中年女性にはよくあることと様子を見ていたら、ある朝起き上がったひょうしに、バタンと倒れた。さすがにこれはまずいと思い、脳外科でCTを撮ってもらったが異常なし。耳鼻科に行って、耳石が動いているのだと分かった。めまいはしばらく続いたが、原因が分かったので、余計な心配はしないでおこう。静かにそろそろと身体を動かすように気を付けて暮らしていたら、次第に収まった。
ある夜、目が覚めたら4時過ぎだった。枕元のラジオをつけると、ラジオ深夜便でインタビュー番組をしていた。77歳で未亡人になった女性が、京都の造形芸術大学に入り、実に楽しく有意義な経験をした、との内容だった。私は寝ぼけまなこで決心した。
「そうだ、ここに行こう」。
何も知らず、分かっているのは、通信制大学だということと受験がないということだけだった。
こうしてなんとなく始めた京都の通信教育、スクーリングで通う駅の階段、地下鉄の階段、山の斜面にある大学の階段、重い荷物をさげて、上り下りするのがつらかった。
暑い夏、初盆を迎え、子供たちが集合するのを機に、相続の話をまとめ、やれやれ何とかなったと気が緩んだのか、9月になって、急に高い熱が出た。
私は今まで本当に病気知らずで、風邪をひいても喉が痛くて鼻水が出る位で治っていた。その風邪もここ数年ひいたことがない。
体温計の39度を見てびっくりしてしまった。咳が止まらない。肺炎を疑って受診したが、異常なし。インフルエンザでもないようだ。
熱は収まったが、夜中も咳がひどくてよく眠れない。耳鼻科で吸入薬など薬をしこたまもらった。
風邪の症状はよくなったが、食欲がさっぱりない。
食べられないとはこういうことかと初めて知った。目の前のお膳を見て、この中で何が食べられるかなあ、と思案する始末だ。
スーパーにいって食材を見ても、食べたいものが思いつかない。
一人暮らしになって一番困ったのは食生活だ。どのように作り、どのように食べたらよいのかさっぱり分からない。不規則きわまりない生活をした。
この食欲不振は一カ月以上続き、体重も落ちたが体力も気力も落ちた。
大学の学外研修で、お寺巡りなどしている時、だんだんグループから遅れてくる。慌てて小走りで皆に追いつくことが何度かあった。
こうして衰えて老いていくのかな・・・と不安がよぎり、この先に自信が持てなくなった。
ある日、野菜の煮物を食べた時、初めておいしいと感じた。そうだ、煮物だ!
それから茅乃舎のだしでサツマイモ、大根、里芋、ゴボウ、れんこん、こんにゃくと煮物ばかり食べて、食欲も戻っていった。
今まで通っていたスポーツジムもサークルも、みなやめていた。
周りの人たちが、何事もなかったように普通に暮らしているのが不思議でならなかった。私だけ、ふわふわとした実態のない別世界に住んでいるような気がした。
そんな時、テレビの番組で、田舎の町で高齢者が楽しく卓球をしている場面を見て、私もやってみたいと思った。
公民館に電話をかけて、初心者を受け入れてくれる卓球クラブを探して、備前市のコスモス卓球クラブにたどりついたのは、今年の1月だ。
膝に不安があるので、通販で買ったサポーターをはいて、無理をしないように気を付けていたが、大丈夫だ。大地を踏みしめる体位がよいのか、膝の痛みが少しずつ気にならなくなった。サポーターもいつしか忘れている。少しずつ筋肉がついてきたのだろうか。
とても和やかなグループで、まるきり初心者の私でも仲間に入れてくれて、丁寧に教えてくれる。
卓球のリーダーは山歩きが好きで、熊山や、鬼の城、和気アルプスなど、近郷の低山に誘ってくれる。はじめは不安だったが、様子を見ながら少しずつ体と足を馴らしていった。
そしてこの秋、ついに9回目の那岐山に登ることができた。
このまま徐々に老化の道を下っていくのかなという不安から、今は解放されている。
以前の自分に戻ったような気がする。
多くの人に支えられて、今がある。ありがたいことである。
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