学校に行かなくなった話

絶賛反抗期の息子①小学3年生が、不登校になりました。
ってもまだ2日目ですが。

それを「不登校」と呼んでいいのかわからない。でも多分、いい。というのは、彼が何ヶ月も前から「行きたくない」サインと、言葉を発していたから。

始まりは担任の先生と合わない、でした。そんなこと多々あるし、いやむしろ義務教育時代なんかほぼそうだし、学校は何が何でも行くものとして育てられた昭和の母としては「だからなに?💢それが学校ってもんだよ。ほらさっさと行け!」でしかなかったんですが。

合わない理由は、母から見ても担任に改善の余地あり、もあれば、いや子供の勝手なわがまま、もあり、喧嘩両成敗的にどっちつかずでなんとなくこの1年はやり過ごすしかないですねーという雰囲気で流してたんですが、先生の方はとある理由(めっちゃ私情)で息子の事が好きというか、気になるというか、まぁ可愛がられている方だったので、私もなんか「こーゆーところを子供が改善して欲しいみたいですー」となかなか言いづらく、さらにはギャングエイジと呼ばれる反抗期と重なり、まぁ、細かい問題を起こしては、先生から電話くるし、家では親にキレまくるという😂←笑ってますが、その当日はもう「これ無理心中しかないんちゃうか?」っていきなりの関西弁になるくらい悩む凄まじさで。まさに積木くずしの世界(古っ)

それでもなんとかなんとなく過ごしてまいりましたが、先々週、とある「事件」がありまして。
でも私はこれを「事件」と呼んでいいのか、いまだに釈然としないまま過ごしております。まずはこれが大前提。

からの、息子にしてみてもそれが「事件」と呼ばれることに驚きとショックと、傷つくガラスのハートと。

詳しく書くと身バレする危険性があるので、書けないのがもどかしい(笑)が、昭和なら「あー、そーゆーのよくあったわ!」だし「え?それを事件といいますか?」が夫婦共通の感想だし、兎にも角にもコトを大きくしすぎたのは学校と先生たちではないかと今でも思ってる。特に私😂

最初は相手側の親が今流行りのモンペ?とか、大げさ?とか考えたんですけど、聞けば聞くほど、先生たちが「事なかれ主義」「これ以上発展しないように」みたいなことを考えすぎた結果、「重大事案」として、加害者被害者を作り出し、聞き取り調査→謝罪、みたいなことになったんではないかと。

でもまだ8歳、9歳ですよ。先生から「これどう思う?どうしたい?」って言われたら、もう「謝りたい」しか言えないですよね。

私からしたら、私の時代だったら、もうその子は「チクリ魔」扱いで、逆に友達をなくしたな。と思いました。まぁ、そこは女と男の違いがあるから分かりませんけど。

ちなみに謝罪グループ、つまり加害者グループの一員とされる息子ですが、彼に非がないとは言いませんが、それを「非」とするならもう気軽にお友達に話しかけられないなって感じです。それなのに「これからも仲良くしてほしいな、せっかくお友達なんだし」って先生の言い分って勝手すぎる。いや、無理やろ。私ならもう声はかけません。学校生活、ずっと無言で生活するわ(笑)

という訳で、多分息子は友達に対しても、先生という大人たちに対しても、不信感とかそういうので学校に行きたくなくなりました。じゃあ行かなきゃいいんじゃん?が我が家なので、彼の気分が乗るまでほっとくスタンスです(笑)

今回の件で分かったことは、私が割と学校に不信感を持てる親だったということ😂→学校、先生は絶対に正しいという育てられ方をしてきたので意外。

息子のハートはガラスか豆腐ってこと😂→うすうす知ってた(笑)

学校は事なかれ主義というか、いじめ、不登校がない事が正義だと思ってること。
→もちろん、この件で相手の子が深く傷ついて不登校になってたり、泣いてたり、いやそれよりモニョモニョ(言えない)だったらもちろん焼き土下座事案ですが。

先週から色々と試練の我が家ですが、今週からもまた新たな試練の部屋へと突入したのでした。

続きはまた書きます。

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