物語の作り方
根がライターなので、ものごとを言葉で始めることしかできない。
企画を立てる際も「物語の作り方」をベースにしている。
この記事では、わたしがプランニングに使ったり使わなかったりしている物語の作り方に関するあれこれを紹介したい。
決まった進め方はない
知り合いの作家さんたちに、「書き始め方」や「作り方」を聞いてみたことがある。彼らの答えは素晴らしくバラバラだった。
こんな風に。
構造から考える
最初の書き出しから取り掛かる
断片を寄せ集める
自我を手放す
……とはいえ、共通の特徴はある。多分。
物語を作るときは、混沌としている。構造と細部を行ったり来たりすることが多い。文体は構造に影響を与えるし、構造もまた文体を規定するからだ。
必要な要素を、洗い出してみよう。
物語を構成する要素
要素は、以下の四つに分けられる。
1. 構造
2. 設定
3. 文体
4. テーマ
構造
まずは骨組みからいこう。作品の良し悪しは構造が決める、という人もいるぐらい、「構造」は重要だ。
よく援用される構造論は、キャンベルによる「英雄の旅」。ジョーゼフ・キャンベルは、アメリカの神話学者であった。彼は神話を比較しまくった結果、以下のように合点した。
行って、帰ってくる。
物語は、こっちの世界から、あっちの世界に行くこと。
そして、少し違う自分になって戻ってくることだ。
それぞれのフェーズでは、メンターが現れたり、敵を倒すイベントが用意されていたりする。
多くの物語が「境界線」によって成立しているからこそ、越境の瞬間はドラマチックになる。
「あちら側に行く瞬間」「こちら側に戻ってくる瞬間」に、どれだけカタルシスを与えることができるか?
それが、物語の「楽しさ」を決定する。
「越境」の構造を上手にズラすと、作品に驚きが生じる。
たとえば、村上龍『五分後の世界』は、神話の基本構造を逆手に取ったミスリーディングで進行し、最後の一行で読者を裏切る。タイトルも巧妙だ。『五分後の世界』。読者は「五分後の世界から来て、五分後の世界に戻っていく主人公の話」だと思いながら読み進める。だか最後のシーンで「越境する存在」は主人公ではないと気がつく。ズラしが巧みだからこそ、わたしたちはあの一行に撃たれるのだ。
他にも、物語の構造にまつわる本は死ぬほどある。全部読んでいたら気が狂うし絶望もするので、二冊だけ紹介したい。
一冊目:ロラン・バルト『物語の構造分析』
構造を分析しても物語を書けるわけではない、と思い知るのに最適な一冊。わたしたちの日々がいかに物語に満ちているか、命というものがどんな風に物語の方から呼びかけられているかを、本書は教えてくれる。
二冊目:ジョディ・アーチャー, マシュー・ジョッカーズ『ベストセラーコード』
いわゆる「ビッグデータ系」。テキストマイニングと機械学習を用いて売れる小説の特徴を探る。ベストセラーと非ベストセラーを比較しながら分析してゆく過程が面白い。風呂で読むと捗る。
場面や人物の設定
さて、あなたがまだ何も書き出せない場合、「設定をざっくり決めておく」というのは賢明な手かもしれない。書いた後から弄ると、破綻しやすいから。
むろん、破綻によって良い作品になる場合もある。やみくもに書きはじめる人もいるし、それであっさり名作ができたりもする。そういうのをみると「物語の作り方」とかゲボだと思う。でも続ける。理論の援用によって失われる程度のクリエイティビティなんて、もっとゲボだと思うから。
設定は、読者の興味を惹きつける要素だ。これが固まると、物語の全容が見えてくる。
設定項目の例
登場人物の基本情報:名前・年齢・性別・職業・性格(趣味嗜好・口癖)
人間関係:登場人物の関係図。権力・恋模様・妬み・勘違いなど
時間:時制の面で、文体に大きく影響する
場所:人物間の距離・移動時間などから構造にも干渉する要素となる
設定ができたら、その裏表を決める。「どこまでを明記するか」検証するのだ。わかりやすく全て説明するとエンターテイメント的になり、基本情報を欠落させると文学臭が漂いはじめる。深く考えず設計するとただの不親切な作品になる。
基本情報を隠すことが文学的に成功している例は多くある。たとえば、名前を欠落させると、こうなる。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
引用:夏目漱石『吾輩は猫である』(新潮社、2003)
https://www.amazon.co.jp/dp/4101010013
語り部である「猫」は、「名前がまだない」ことで、物語上、重要な空白として機能する。
他にも、以下のような作品は、設定上の裏切りが読後感を左右していると言える。
年齢:絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』、富岡多恵子『遠い空』
性別:帚木蓬生『インターセックス』
性格:アゴタ・クリストフ『悪童日記』
時間軸:貫井徳郎『慟哭』、テッド・チャン『あなたの人生の物語』
彼らを見習って、どんどん裏切っていきたいものだ。
また「設定」は、物語が前に進むための装置にもなる。
極端な話、「困っている人物A」と「お節介な人物B」をテキストエディタに放り込んだだけで、ストーリーは勝手に転がりはじめる。
登場人物はペンでつついて動かすよりも、設定で囲い込んで転がした方が生き生きするのだ。
文体
文体は、作品の手触りだ。
それは以下のようなものでできている。
句読点
漢字とひらがなのバランス
長さ
オノマトペ
時制(設定や構造とオーバーラップする要素)
句読点は息継ぎなので、多すぎると過呼吸になるし、少なすぎると溺れる。「息をしていないものが書いた文章=死者の文章」という視点から、あえて読点(、)のない小説を書いた例もある。(福永信一『星座から見た地球』)
漢字とひらがなのバランスもまた、文体を大きく左右する。常用漢字を基準に書けば、サラッと読める平易な文章に仕上がる。
漢字とひらがな、どちらにしよう? と迷った時は「意味」と「音」とを天秤にかけるといい。意味を強く伝えたければ漢字で表記し、音が重要な場合は、ひらがなに開く。
わざとひらがなに開くことで読者をつまずかせ、リズム調整をする場合もある。
漢字とひらがなのバランスに関する最強にドープな実践者は、黒田夏子だ。
死者が年に一ど帰ってくると言いつたえる三昼夜がめぐってくると, しるべにつるすしきたりのあかりいれが朝のまからとりだされて, ちょうどたましいぐらいに半透明に, たましいぐらいの涼しさをゆれたゆたわせた. そのほのじろいものは, はじめのころ五つだったろうか六つだったろうか, どちらにしても死者があってのちに住みうつられた小いえには過剰な数だったが, 死者が新しかったうちは贈りぬしも新しく, どれとどれをつるすかを決めまようよりは, 干すことをかねてあるだけつるすほうがかんりゃくだったにちがいない.
黒田夏子『abさんご』(文藝春秋、2013、p.7)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163820002
やばすぎる。意味と音につまづきながら読むうちに、読者はいつの間にかこの文体を「体験させられて」いる。
文章の長さも重要だ。一文の長さに関するスタンスは、もはやそのトピックだけで流派があるぐらい。
谷崎潤一郎か、志賀直哉か、みたいな。
マジでこの二人はギリギリのところを攻めているよね!
文章が長いと、耽美な印象になる。だが失敗すると、ただのまどろっこしい悪文が誕生する。そもそも、主語と述語が物理的に遠いと、そのぶん理解に時間がかかるのだ。だから長文は、長文である時点ですでに「読者のストレスを相殺するだけの魅力」が必要とされている。
短文は、清潔な印象を与えやすい。だがこれも、下手をすればぶっきらぼうで意味不明な文章に陥ってしまう。色気は出していきたいものだ。
他にも、過去形を利用した「勢い」の表現なんかもある。現在形よりも過去形で表記した方が、「今まさに起きている」感じが伝わるというテクニックだ。
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
芥川龍之介『羅生門』Kindle版(太字筆者)
https://www.amazon.co.jp/dp/B009IWXL8E
「文体」は、読者に最もナマで接する場所。変な触り方をしたら、一瞬で見限られる。
補足:
今回は、これ以上絶望する文字数がないので、エクリチュールの件には言及しない。ごめん。
テーマ
テーマについて。
わたしを指導をしてくれた方の一言を、今でも心の支えにしている。
その人はこう言っていた。
書かれるべきではないテーマなど存在しない。
問題は「いかに書くか」だ。
勇気でるよね、マジ。最高。
以上、お仕事でも使えるかもしれない「物語の作り方」について駆け足でご紹介した。結論としては全然使えないことがわかった。
でもいいのだ。生産性の言説から世界を守るために、物語はあるのだから。
これからもわたしたちは、素晴らしき非生産的な日々を送ろうね。
<その他の参考資料>