「優雅でいいわね」への正しい回答
20日近くもよそへ出ていたと言えば、とてもお金があって優雅な生活をしているからできること、のように思われる。そのように言われもする。それに対していちいち説明したところで分かってもらえるとは思わないから、パソコンを持って行って一応仕事もした、つまりはワーケーションであることを私もつい弁明する。すると向こうも「ふーん、それなら…」という顔になるけれど、それでもやっぱり「余裕のある人はいいわね」という色がまだ残っている。
20日間も地元を離れるということは、その間は仕事をしないわけ。これはつまり「仕事を休んでいる状態」だから「休暇」であり、つまり、そんなに仕事を休んでも大丈夫なくらいの金銭的余裕がある。こういう理屈なのだろう。うん、わかる。会社員なら有給休暇でお給料が出るかも知れない。けど、現実的に会社員が20日間連続で休めるとは思えない。せいぜい土日を入れ込んで4、5日と言ったところだろう。本当ならそれ以上休むことも可能だろうけど、そんなに休むと周りの目があるから休めない人は多そうだ。
じゃあ、自営業だから休めるかと言うと、これが休めない。自営業者なんて、2連休取るのだって、ドキドキだ。「あー…2日も休んじゃって大丈夫かなぁ」と思う。2日休めば2日分の収入がないわけだし、1週間も休めば「何かあったのか」と思われるし、それが旅行と分かれば「ずいぶん儲かってるみてえじゃねえか」と思われる。
働きたくないから自営業を選択している、そんな私でさえやっぱり4、5日の休みがせいぜいで、それだって周りにいろいろ言い訳しながらだった。勉強のため、とか、同業の視察のため、とかそんなどっかの議員みたいなことを言っていた。
定休日と言う概念があって、仕事をする上で織り込み済みの休みは7日間のうち1日だけ。それ以外で休むのは、仕事に対して真摯に向き合っていない、お客さまをないがしろにしている。みたいに思われる風潮がある。
それだから、日本では堂々と休める日が設定されていて、それがGWだったり、お盆だったり、お正月だったりする。最近では春と秋にも大型連休がある。まあ、サービス業の人には関係のない話で、むしろ普段よりも働かなくちゃならん。
さて、百姓の世界には「篤農家(とくのうか)」という言葉がある。これは毎日のように野に出て草をむしったり、作物の世話をこまめにしている人のこと。例えば、その作業が若干無意味で、頭を使えばもっとよい方法があるとしても、とにかく額に汗して手さえ動かしていれば一定の評価を受ける。効率よく仕事をして、それなりの成果を上げている人は篤農家とはあまり言われない。目に見えて「あいつは働いている」と分かるのであれば、それは模範的百姓とみなされる。
今の現代人であっても「よく働いている」ことは美徳とされがちだ。長期間休むとなれば「なんて優雅な」と言われるし「そんなに休んで大丈夫?」と心配される。これは、簡単に言うと、言っている本人も休みたいと思っているからだと、私は思う。休みたいのに休めない。休ませてもらえない。もちろん金銭的なこともある。旅行に使うお金よりも、子供の塾の費用、家のローン、車の車検代が必要だ。
私は実家の古家に住んでいるから住宅ローンはないし、車はないから車検代もない。息子はもう独立してるけど高校は公立で塾には一回も行ったことがない。人よりはそういったものにお金を使わずに済んでいるのは、単純に自分でそれを選択しているからで、住宅ローンのある人は新築の家に住みたくて自分で30年のローンを組んだのだろうし、子供が私立に行きたいと言うから塾へやっているのだろうし、好きな時に好きなところへ行きたいから車を買ったのだろうから、それもその人が選択して金銭が発生している。
私は、人よりはそういったことに支払うお金が少ない。その分のお金を別のところへ回すのは完全にアリだ。「まあ、そんなに長い間旅行に!?優雅ね~」そりゃ、家のローンや教育費、車のお金、なんなら医療保険や各種必要経費を支払って上で20日間も旅行をしているなら、相当余裕のある人生に決まっている。
けれど、私にはそのどれもがない。すっからかんだ。だからそもそも最初から余裕がある。多分月に10万くらいは余裕がある。使わないから。それを何に、どう使うかは私が決める。それが旅行と言う休みを伴う移動だからちょっと目立つという話で、人に見えないものにたくさんのお金と時間を費やしている、なんて人はゴマンといる。優雅でいいわねー、と言う人には「大丈夫、今から実家に住んで、車売って、子供の塾と習い事をやめたら全然行けますよ!」と言うのがいいんだろうな、もちろん言わんけどな。