歌詞について④
歌詞について書いていたら、質問をもらった。
Twitterで思いついたことを書くように歌詞を書くのはアリなのでしょうか?
どうかな、どうだろう。今日はこのことについて考えてみよう。
思いついたことを書くように
この「歌詞について」では、聴衆の感覚をコントロールするような押韻や母音子音の使い方などを書いてきた。だけど、歌詞であることを前提としないような、散文的な書き方の歌詞だって、この世にはたくさん存在する。
たとえばaikoの『花火』はこんな歌詞で始まる。
眠りにつくかつかないか シーツの中の瞬間はいつも
あなたの事考えてて
夢は夢で目が覚めればひどく悲しいものです
花火は今日もあがらない
あまりにメロディが優れているために疑いを持つことは難しいのだけど、この歌詞は特にメロディに従属する部位を持たない。
ねむりにつくか つかないか
ゆめはゆめで めがさめれば
なんと一文字たりとも母音も子音も合っていない。というか、これは合わせていないと解釈するべきだろう。
韻など踏むものか、頭韻も脚韻もこの歌詞には必要ない。そういうある種暴力的なまでの散文への志向を、この歌詞からは強烈に感じることができる。
アリかナシか
そもそも、この『歌詞について』は、ぼくが歌詞を書くときに気をつけていること、他の人の書いた歌詞を読むときに気づいたことなどを書いている。だから「歌詞とはこう書かれるべきである」「このような書かれ方をしたものは断じて歌詞ではない」なんてことは口が裂けても言えないし、言いたくもない。
散文詩というものはジャンルとして存在する。書きたいものがそうなのであれば、そのように書けば、自動的にそうなる。だから、アリかナシかで言えばアリだ。
ただ、せっかくもらえた質問に「書きたいように書けば良い」 と答えるのも無粋だ。せっかくなので、できる限り真摯に答えてみよう。
もしあなたが仕事として作詞のみを担当するのであれば、なにかの律(ルール)を含ませた方が、仕事の進みが早い。
曲先、詩先
職業としての作詞家は、ふたつの道を通って作詞をする。一つは曲先。楽曲が既に作られており、そこに歌詞を乗せる場合。そして詩先。あなたが詩を書き、作曲家がそこに曲をつける場合。
もし、あなたがシンガーソングライターで、作詞作曲を同時にするならば、前述した『花火』のような散文詩でもなんの問題もない。作っている自分が詩の内容を理解していればいいからだ。
そうではなく、作曲家が別にいる場合。あなたはその歌詞がどのような意図のもとに書かれているのかを理解してもらう必要がある。
詩先であれば、作曲家がその歌詞をもとに曲を作る。曲先であれば作曲家ないしはその曲のプロデューサーが納得しなければならない。
歌詞が歌として成り立つためには、楽曲が必要だ。ある程度の律を理解可能な範囲で含ませておけば、その文字列は歌詞として認識されやすくなる。質問されたときにも簡単に答えを出すことができる。
だれも見たことのないものは、だれが見ても理解できない。なぜなら、誰も見たことがないからだ。
今日はここまで。
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