みかんを買うときに、顧客は「生産者の苦労」だけでは価値を感じない
お疲れ様です。#社内の感じ
本日は、商売をしている全ての人に関係するお話しです。
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あなたの支払ったそのお金は、何に対して支払った?
私たちは日々消費活動をしながら生きていますが、その消費が持つ意味は様々です。
①コンビニでお昼ご飯と飲み物を買う¥1,000
②読みたい本に払う¥1,500
③仲の良い店主がいる居酒屋に払う¥6,000
④スーパーで野菜とフルーツを買う¥3,000
⑤被災して困ってる地域に寄付した¥10,000
どれも同じお金ですが、その金額に乗せたあなたの"想い"は、比較にならないくらい大きく異なります。
キーポイントは、
「あなたはソレの、どの部分に価値を感じて、納得して、支払いを行ったのか?」です。
①コンビニでお昼ご飯と飲み物を買う¥1,000の場合
⇨24時間営業、全国均一な味の担保、価格に対する味のコスパ感、持ち運べる
② 読みたい本に¥1,500払った場合
⇨著者の実体験や経験や知識、書かれている内容自体、"紙"自体の価値、"インテリア"としての本、書籍を買うという優越感
③仲の良い店主がいる居酒屋に払う¥6,000
⇨そこにいる"人"自体、人との会話、料理やお酒の味、居心地、空間など
④スーパーで野菜とフルーツを買う¥3,000
⇨贈答品としての価値、フルーツや野菜そのものの価値、栄養価
⑤被災して困ってる地域に寄付した¥10,000
⇨社会貢献している実感、義務感、たまたま募金が目に入った
などに分けられます。
重要なのは、金額は数倍以上違う(=高額)なのに、「高いなー!」といった類の文句は出ない点。
これは当たり前なのですが、人はその価値に納得していれば、支払いを行います。
ここで、販売者目線になってみます。
購入者は、"価値に納得すれば"買ってくれる。
要するに、あなたがいくら複雑で多量の時間をかけたフルーツ(=サービスやシステム)を丹精込めて作ったところで、
そこに価値が乗っからなければ(=美味しそうに見えなければ)¥100のりんごだって買いません。
しかし、③の例のように、仲のいい飲み仲間の知り合いの八百屋さんが¥300のりんごを売ってたら、買ってあげることもあるかもしれません。
ここに気付けない人が非常に多い。
特にサラリーマンの方(雇われる側)に多い感じがします。
おんなじりんごでも、30%近く高額になっても、そこに"適切で説明可能な価値が乗っかれば"人は買ってくれるんです。
この場合だと、りんごに乗っかった付加価値は
・知り合いだからと言う「人」の要素
・「¥300もするんだから当然美味しいだろう」と言う価格の効果
・いつもこの八百屋さんのモノは美味しから、と言う信頼、信用
こういった構造は、全ての物販に共通してます。
あなたがモノを買うときも、自然と買ってるように見えてさまざまな取捨選択を一瞬で判断して、財布をオープンしてるはず。
"愛情の無いお店"に対しては、顧客は「商品が作られる過程や舞台裏」に価値を感じず、お金は払いません。
逆に、愛情や信頼、ストーリー性があれば、倍以上の価格だって払います。
商売がうまく行かない方は、このあたりの設計から、紙に書き出してシナジーマップを書き出してみると、
「あ、ここの価値付けが抜け落ちてた」
と気付きますよ、と言うお話でした。
みかんを売るときは、どうやったらこれを倍の価格で売れるかを考えてみましょう。
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