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SHORT STORY そこに希望はあるか

退職した私は、小学生のころのように、テレビが友達になってしまった。昔とちがうのは、テレビ番組だけではなく、DVDやアマゾンプライムを利用できることだ。

テレビ画面では、ティム・ロビンスが車の中で酒を飲んで、銃を手にしている。

妻を殺した罪で捕らえられた、エリート銀行員アンディは、刑務所で過酷な生活を強いられる。
男色の男に暴力を振るわれた。
金儲けに走る所長にいいように使われた。
彼の無実を証明できる囚人は、所長によって射殺された。

心安らぐことも少しはあったけれども、彼は絶望の淵にあった。

入所から19年の歳月の後、脱獄する。独り掘り続けた壁のトンネルを抜けたのだ。

そして国境の町へと赤い車を走らせる。
「記憶のない海」、太平洋の海岸線の町へ向かっていく。

彼は、希望などないと考える刑務所の友人レッドに手紙を残していた。
Hope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.
希望は素晴らしい。おそらく最高のものだ。希望がないなんて、あり得ない。

退所できたレッドは、手紙を読んだ後、彼の待つ町へとバスに乗る。
大海原の映像。ボートを磨くアンディ。風が吹いている。二人は抱き合う。
ものすごい開放感。解き放たれた二人の心・・・希望は決して終わることはないというメッセージが私の心に突き刺さる。

映画「ショーシャンクの空に」が終わる。

DVDを見終えて、画面をテレビ放送に変えると、能登半島の被災地が映し出される。

台風の雨雲が能登半島に流れ込み、大雨が続く。被害が甚大となり、多数の死者や行方不明者が出ている。元旦の大地震からの復興も始まったばかりという状況に大雨が追い打ちをかけている。住民の一人がつぶやくように言う。

「神様も仏様もおらん。1年のうちに2回も災難に遭うとは。」

私は、不謹慎にも、ショーシャンク刑務所いたアンディの神様と、能登半島で被災した人々の神様について考えてしまう。

神様とは運命を決める存在だ。
神様はアンディに冤罪という運命を与えた。過酷な運命にもかかわらず、彼は自由になる希望を失うことなく、独り、脱獄に向かっていった。
神様は大地震で生活基盤を失った能登の被災者には、さらなる仕打ちを運命づけた。人々は神様を恨むしかない。人々に希望はあるのか。今の日本は希望を与えることができるのか。

唐突に、大学時代に知ったサルトルのことを思い出す。私はサルトルの考えに共感する学生だった。彼の考えがよみがえる。

ペーパーナイフは封筒を開けるという目的が先にあり、その目的のために存在する。
ペーパーナイフには、作った職人という創造主がいる。

人間は何かの目的のために生まれてきたのではなく、生まれたのちに自分の存在意義を決めていく。
人間には存在を規定する創造主(神・職人)の介入はない。
人間は、自由意志を持って強く自分の存在意義を確立していく。

サルトルは、神は存在しない、と言った。
自分の人生は自分が決めていく、と考えた。
「実存は本質に先立つ。」と言って、生まれた人間は、個々の本質(アイデンティティー)を独りで作り上げる、と主張していた。

人々を救う神などいない。そこにいる君は、自力で未来を勝ち取れ、と説教された気がした。
サルトルは、冤罪とか自然災害という運命に対して、どう進めばよいと言うのか。
なんの力も持たない私は、運命に逆らうことなどできはしない。

暗い気分でサルトルのことを考えていたら、ニュースは、ドジャースの大谷選手の話題に変わっていた。メジャーリーグで、「50本塁打、50盗塁」を達成した大谷選手の偉大さを讃えている。

「これほど、野球の神様に愛された人はいない。」

やれやれ、今度は「大谷選手の神様」か。

私の頭の中で、思考が流れていく。

映画のアンディは、国境の町で友人レッドと新しい人生を切り開くだろう。
これは良い。

能登半島を始めとする様々な被災者の方々は、新首相の下、大きな、大きな助けを受け取ることを祈るしかない。私は何もできないが、大谷選手のような人から未来を創る勇気をもらってほしいと願うしかない。

サルトルの思想は理不尽な世界の中では何の役にも立ちそうにないが、サルトルはこうも言っている。

生きる意味を自己の中ではなく、生きる世界との関係の中で、決定すべきであると考える。

生きる世界とは、日本のことだ。日本人のつながりのことだ。仲間のことだ。その中で力をもらって、自分の生き方を考えることはできるはずだ。

テレビと友達になってしまった私は何をなすべきか、と考えていたら、
「最近体調が悪いんでしょ。早く寝なさいよ!」と妻の声を聞く。

私はテレビとの別れを惜しんで、寝室へ向かう。多分、今夜もまた、浅い眠りの中で、目的地へたどり着けない夢を見るだろう。

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