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短編小説:わたしは「変わりゆくものは仕方がないねと 手を放す」
「言ったよね。」が口癖になっている。
久しぶりに母親に電話したとき、説教するみたいな話し方を指摘された。教室で、生徒たちに繰り返し注意しなければならないからだろう。
朝から、遅刻してきた男子に、授業中眠る生徒たちに、教科書も開かない反抗的な男子に、学習用タブレットで「推しの写真」を見ている化粧女子に、同じ言葉を一日中繰り返す。
アルファベットもあやふやで、bとdが区別できない生徒が少なからずいる。簡単な小テストでさえ0点ばかり。
そんな生徒たちは、話しかけると、とてもフレンドリーだ。何でもいいから、かまってほしいみたいだ。それが救いとなって、気持ちを立て直し続けている。
補習も部活動もないある朝、気分転換に散歩に出る。
北極から張り出してくる寒波が、去ってはまたやって来る。寒波の合間に一日だけ許された、春の陽気だ。
濃い青の海と、それよりは薄い青の空がつながっている。
名鉄電車が海上の高架を走る。右側からクリーム色の道路が曲線を描きながら交わってくる。下から見ているわたしには、突き進む人に誰かが寄り添っていくように見えてしまう。
高架下には、堤防に沿ってコンクリートで固められた白い小道がある。散歩をする人や海に釣り糸を垂らす人たちが、久しぶりの暖かさを楽しんでいる。白い散歩道は、日差しを浴びて輝いているようだ。
対岸には中部国際空港が見える。青空を背景にして、白色と灰色の空港ビルや真っ白な管制塔が、はっきりと確認できる。
赤や青や白の名鉄電車が空港へ向かう線路を行き交う。
電車と交わるように、飛び立った航空機が上昇する。そのまま直進して北へ向かうものもあれば、方向を変えていくものもある。向きを変える機体はXの文字に見える。わたしは思いのままに駆け巡る X をうらやましいと思う。
堤防の鉄柵に両肘をのせてカラフルな風景を眺める。
突然、鉄柵に鳥がとまる。イソヒヨドリだ。青い頭と紺色の羽、そして、オレンジ色のお腹を見せる。鳥は飛び立つ航空機が気にいらないかのように、対岸の空港を凝視する。
「そんな気難しい目をして、いろいろ大変そうだね。」と話しかけてみる。
「そうでもないよ。」と、鳥は鉄柵を飛び立って、どこかへ去っていく。わたしはつれない鳥を眼で追いかける。
イソヒヨドリが見えなくなったとき、何故か、寂しい気持ちになる。
もうすぐ32歳だ。大学時代を共に過ごしたアイツとは、わたしの仕事の忙しさもあったが、アイツの転勤のタイミングで別れてしまった。友達の多くは結婚して子供がいたりする。高校生と向かい合うだけのわたしはどうなのだろう。
足音に気づいて左の方を見る。
二人の幼児が駆けてくる。姉が余裕で先を走り、妹が必死で後を追う。妹が鋭い目で姉を見て、一生懸命に足を動かしている。どうやら、負けず嫌いらしい。無意識に、わたしによく似た負けず嫌いを応援する。
母親が「転んじゃうよ。」と声をかけ、父親が二人の娘の後を追う。
微笑ましい光景を見ながらも、この愛らしい女の子たちも高校生になるのだと、教員のわたしになって思いを巡らせる。
「お姉ちゃんも妹も、辛いこともあるけど、がんばって勉強するんだよ。」と心の中でつぶやく。
わたしは再び空港に目を向ける。
赤い尾翼の航空機が飛び立つ。青い電車とクロスする。そして、グイっと左へ旋回して飛び去っていく。
この瞬間、その力強さに心が動く。
わたしは、わたしの道を自ら選んできたことを思い起こす。
教員の道は「いばらの道だ」とわかっていた。それでも、わたしはその道を選んだ。アイツとのこともわたしが決めた。「仕事を続けるから」と理由をつけた。逃げることを好まない性格が、思わず、出てしまったのかもしれないけれど。
帰ろう、と思う。
わたしが決めた場所へ。
過去は変えられないのなら、置いていこう。
前を向いて突き進もう。
どうにもならないように見える、あの子たちにも未来はある。
わたしは、わたしと彼らの未来に生きよう。
わたしは、しっかりした足取りで、まばゆい小道を歩く。
左へ曲がって車道に出てから、二度三度と深呼吸する。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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