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藤井風に「手を放す」ことを教えられた

紅白歌合戦の「満ちてゆく」が今もなお、頭の中をぐるぐる回っている。藤井風の世界観を確認したくて様々な演奏と映像に触れた。加えて、たくさんの文章や曲のカバーを見つけることができた。

彼は、大切だが理解困難な「生きる術」を、歌と映像の両方から、わかりやすく伝えていた。紅白の「満ちてゆく」は、特に平易に伝えていた。だからこそ、多くの人に感動を与えることができたのだと思う。みんな生き方に自信が持てない。はっきりと、「手を放す、軽くなる、満ちてゆく」と言われて、また、見せられて、気づいたのかもしれない。捨ててしまっていいものがあると。

紅白の「満ちてゆく」の映像について、思いを語りたい。

手を放す

(映像)
彼は本のページをめくって思い出をたどる。本をバッグに入れて立ち上がる。長いマフラーを首からコートの裾まで垂らす。バッグを持って歩き出す。部屋を出る前にそのバッグを手から離す。外に出て振り返る。バッグに目を落とすが後戻りはしない。路上のミュージシャンがギターを奏でている。ギターケースに演奏のお礼を入れる。二人は微笑みを交わす。

お金を必要な場面で使うことはできる。自分が不要と思えば手放すことも可能だ。今持っている地位や立場も同様に手放せる。今の暮らしを放棄することは可能だ。

しかし、思い出は手放すことが難しい。
良い思い出も、悪い思い出も、心から離れていかないだろう。良い思い出は、単なる自己満足に過ぎず、周りを犠牲にしているかもしれない。悪い思い出は、トラウマとなって人生を左右するかもしれない。そうであっても思い出を自分から切り離すことはできない。

過去を心の奥に沈めて見ないようにすることで、未来を見つめることはできるかもしれない。目指すものが本当に貴重なものである場合は、過去を捨てることは可能だろう。藤井風が人の心を癒していく未来を見つめるように、自分の未来に価値を見いだせるならば、過去にこだわることはなくなるかもしれない。とても困難な作業だが。

軽くなる(1)

(映像)
顔見知りの少年が車にもたれかかっている。ハイタッチで挨拶を交わす。少年は彼を道路の反対側へ導いていく。3人のミュージシャンの演奏を少年とともに楽しむ。中年の男女がベンチで話し合う。その前で少年に長いマフラーを渡して、それを巻いた少年を熱く抱きしめる。

お金も、あの部屋の暮らしも、思い出からさえも手を放した後、彼は汚れなき少年の心に戻った。自分の分身と呼べる少年が示す方向に向かっていく。そして、「少年の心」を温かな気持ちで抱きしめる。

すべてを手放せば、心は軽やかで、無垢の心へ戻る。人は、何か大切なものを希求することで少年の心になることがある。本気で誰かのために何かをするときには少年になる。愛は盲目であり、無心であり、雑念を寄せ付けない。そうであるべきだと思うが、どうだろう。

軽くなる(2)

(映像)
角を曲がると彼は上昇する。前へ進む。朝日が摩天楼に反射する。歩む道は正しいという確信の表情になる。

絶対的な存在である光が彼の軽くなった心を解放する。

神が存在するかどうかは知らない。光には神的なものを感じる。心を開いてくれる。だから、朝陽や夕陽に感動する。光は、人が少年に戻ったとき、人の心を大きく動かす。

満ちてゆく

(映像)
さらに前進して、満たされた表情で彼は光を背に仰向けに横になる。その胸にオレンジ色のマフラーの少年が一輪の花を添える。

幸せを感じる。少年時代のささやかな花が幸せを溢れさせる。心の中に幸せがoverflowしている。


手を放すことは本当に難しい。お金も地位も立ち位置も簡単に手放せない。思い出は手放すことは不可能と言ってよい。でも、未来を大切なことに使うために過去を消し去らなければならないことはある。純粋な心で未来を生きろ、と言われているような気もする。

「手を放す」は、生きていく上で、大切なフレーズになると心から思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

富士山

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