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沈黙は降伏⑤-授業ボイコット

さてさて、その問題の教授「X」とはもう会わない(会いたくない)と思っていたのに、なんとその学期の必修科目で「3月に行われるNYCでの1週間の研修旅行だけ”X”が担当する」という予定が組まれていました。ちなみにその必修科目は、研修旅行以外は例のアドバイザーの教授が教えています。

NYCには行きたい。「X」が出てこない他の予定は参加したい(「X」が出てくるのは、1週間のうちたった半日だけ)。しかし、この事件に決着もついておらず、「X」から私に対し何の対応もないうちに対峙するのは納得がいかない。直接会うのも、トラウマになりそうで絶対イヤ。

迷ったあげく、アドバイザーに伝えました。

「NYCの研修ですが、”X”が担当しているものには出ません。理由はご承知だと思います。その代替として別の課題を提示してください」

アドバイザーも状況をわかってるので、あっさり了承してくれました。

NYCでは他の級友たちが研修予定をこなす中、私は個別に人と会うなど忙しく過ごしていました。これはこれで、普段Syracuseでは会えないSUの卒業生やフルブライト関係者に会うことができ、有意義な時間でした。

この研修旅行中は、仲の良い級友と同じホテルに泊まっていました。彼女はとても思慮深く、いつも冷静沈着なアメリカ人です。「X」の授業にも一緒に参加していました。彼女には、私が皆と別行動している理由を説明しておこうかな…と思い、ある夜、打ち明けました。

「X」の言動に私がどんな思いをしたか、不当な成績評価、そして今闘っていることについて。

やや端折りつつも一連の流れを説明すると、彼女は叫びました。

「私も、彼がそういうこと(差別的な発言)を言うのを聞いたわ!」

私は聞き取れていなかったけれど、「X」が授業中に差別的な言葉を使うのを確かに聞いた、というのです。しかも一度でなく、何度も。
彼女も不快に思ったが、周囲が特に反応していなかったし授業を中断させるのもいやだったのでそのままにしてしまった、ということでした。

この彼女の反応は、私のクラスでは決して稀有なものではありませんでした。皆、仲が悪いわけではないけど、ある程度の距離を置いている感じです。一致団結するというよりは、個々に行動しているのです。それが裏目に出てしまったようです…

彼女が聞いてきます。
「他の級友には聞いたの?中国人のクラスメートの反応は?」

私のコースは、クラスの大半が中国人でした。他に留学生は私とエジプト人だけ。なので、”マイノリティー”の中の”マジョリティー”である中国人の彼らがどんな反応をしていたか、というのはとても重要になってきます(ややこしい…)。

実はすでに、中国人の級友にはこの件で接触していました。「X」の発言が事実というのは確認済みだけど、同じように不快に感じた人が複数いて共闘できれば、それだけ大きな”声”にすることができるからです。私一人の主張では、”個人的な感覚”とか”思い過ごし”とか言われてしまうリスクがあります。同様に教授に不快感を感じていた人を集め、一緒に副学長や大学側に立ち向かってほしかったのです。

ところが、中国人のクラスメートの反応は「関わり合いたくない」というものでした。「あの教授がイヤだった」という人はいるのですが、表立って声をあげるのはできない、匿名でもダメというのです。

なんとなく、わからないでもありません。声をあげることが多大なリスクを伴う環境で育ってくれば、なるべく息をひそめて自分の身を守ることが最優先だ、との考え方に傾くのも不思議ではありません。しかも、彼らはまだ20代前半と若く、社会経験も少ないのです。短い留学生活、トラブルに巻き込まれるよりも楽しみたいという気持ちもわからないではありません。

ですが、私自身はこの時ほど孤独感や挫折を感じたことはありませんでした。私一人で、どう立ち向かえばいいの…と心細くなります。
マインダートやユーリのようにアドバイスをくれる人はいても、同じときに同じ場所で同じ経験をした人たちが連帯するからこそ、声の力強さも増すことができるのに。

そんなとき、私がこれまで取材などで出会ったり、報道で見聞きした人たちのことを思い起こしました。セクハラやパワハラ、その他社会的に不当な扱いを受け、被害を告発するために立ち上がった人たちです。

理不尽な攻撃、言われのない不当な評価。孤立無援。

彼らもきっと、辛い状況に追い込まれた後、こんな思いをしているのは私だけなのか、なぜいったい私なのか、と果てしのない孤独と怒りを抱いただろう。私に非があったのか、これは本当は騒ぎ立てるようなことではないのか、と混乱の極みにも直面しただろう。そして、もしその相手に立ち向かったとき、どのような反撃が返ってくるのか、と恐怖にもさいなまれただろう。

いまの、私のように。

ひとりぽっちで恐怖を抱きながら、それでも立ち上がって声をあげた人たちがいる。それは、自分と同じ被害者を出してはいけない、未来を変えなくてはという思いがあったからだ。その人たちが途方もない「勇気」を奮い立たせたのだろうと思うと、今更ながら心から敬意を表したいと思いました。いえ、この言葉では足りないぐらい、途方もなく尊敬の念を抱きました。
私が”当事者”となった今、わかったつもりで記事を書いてきたが、何もわかっていなかったことも痛感しました。

孤独と弱気に押しつぶされされそうになりますが、それでも「黙る」という選択肢を取る気はあり得ませんでした。こんな出来事があったということを公にして、私や他の学生のことをなめきっている教授に一矢報いたい、と思っていました。

彼は、私や、他の学生の尊厳を傷つけたのです。

記者としての経験があっても、そして人生何十年と生きてきた私でも怖いんだから、他の若い学生はどれほど恐怖を感じただろうか。

アジア系は大人しくて何を言っても受け入れられる、と思われているような状況も変えたい、と思いました。内容は何であれ、黙って済ませられるケースばかりではないぞ、ということを思い知らせたい、とも思っていました。

もちろん、私一人の行動で何かが変わるとは思えません。それでも、やらないよりはましです。大きな影響でなくても、小さな擦り傷を付けることができれば、やがて何かが変わるかもしれません。

そんなこんな、アップダウン(というよりほぼ、ダウンばかり)の日々を送りながら、いろんな人に会い続け、準備ができたと思った段階で、再び副学長に面会を求めました。

会いに行くのは、私一人ではありません。オンブズマン事務局からニールとギザ、そしてなんと大学院の学長が一緒に来てくれることになりました。


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