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沈黙は降伏⑥ー決着

教授「X」の件について、再び大学側と話し合いです。大学からは副学長と、アドバイザーでもある教授。私側は、オンブズマン事務局のニールとギザ、そしてSUの大学院全体を統括する学長(大学全体の総長ではない)が同席してくれました。

なぜ、大学院の学長が同席したのか。私がお願いしたのですが、大きな目的は大学側に私が本気だと示すためです。

これは、オンブズマンのニールのアイデアでした。話し合いの場にニールたちも同席するものの、さらにパワーのある第三者に同席してもらうことで、大学側にプレッシャーをかけることができる。私の問題(私だけではないですが)を、さらに広く知ってもらうこともできる。

このために数か月かけて、学内の様々な人にコンタクトを取り、会い続けていたのでした。

ニールたちや学長は、あくまでも「オブザーバー」で中立的な立場です。ですが、事前の打ち合わせの場では、学長も「こんなことが学内で起きているのは悲しい。言わなければいけないことは、オブザーバーだろうが言う」と意気込んでいました。

全員が丸テーブルを囲むように席に着きました。
副学長が私を向き、「ここにいる皆は知っているはずだが、改めて何が起きたかを話してくれないか」と言います。

私は「私の問題のためにお時間を割いていただき、ありがとうございます」とまずお礼を述べてから、話し始めました。

と、なんだかこみ上げてくるものが止められず、途中からぽろぽろと涙が出てきてしまいました…こんなところで泣きたくない、泣いている場合じゃないのに!

なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのか、「X」とのやり取りでものすごく不快で傷ついたこと、誰も一緒に名乗り出てくれる人がいなくて孤立無援だと感じたこと、本来は勉学のみに集中したかったのにそれができず悔しかったこと等々、いろんなことが頭によみがえり、涙が止められず大泣き。すかさず副学長がティッシュの箱を渡してくれて、なんとか続けました。

苦痛を感じてもなぜ声をあげようと思ったか。私の目的はどこにあるのか。

話し終えると、副学長が言いました。

「この件は、明らかに教授側にコミュニケーション上の問題がある。あなたは被害者で、謝罪しなければならないのは教授のほうだ」

さらに続けます。
「学期中からのあなたとのやり取りを見ても、教授の言動は大学内にふさわしいものではない」

「オブザーバー」である学長も、発言します。
「教える側としての責務も全うしているとは言い難い」

副学長がまた言います。
「実は、X教授にあなたに謝罪させようとしたが、彼は拒否したんだ。残念ながら我々には、無理矢理謝罪させる強制力もない」

えっ、そうなんだ!私が知らない間に、大学側はそこまでやってくれてたんだ。

アドバイザー兼の教授も言います。
「ここまで事態が深刻化する前に、もっと早く僕が介入すべきだった。そのことについては謝罪します」
(えー、この発言は本気かな…だったらもっと早くできることあったでしょ!と半信半疑でしたが)

そして副学長が言いました。
「僕らにはこの件について、教授を処罰する権限がない。ただ、君のおかげで起きたことはすべて白日のもとにさらされた。今回の件は、君の希望通りにすべて公式記録に残した。教授はいずれにしても臨時職だから、次回更新時には大学側は間違いなくその記録を確認するし、教授は適任試験を受けてもらうことになる。以上の対応で、納得してもらえるだろうか」

学長も念を押します。
「彼の授業を取っていた他の学生も、学期終わりのアンケートに本音を書いているはず。チェックして、必ず有効に使ってほしい」

副学長が私を向いて、訪ねます。
「このような結論になるが、君は納得してくれるか?」

私は「はい」と言いました。
「本音を言えば、Xには謝罪してほしいし、もっと厳しい処置をのぞみたい。しかし、大学側は今できうる限りのことをしてくれた、と今確認できました。この件でみなさんのお時間、努力を費やしてくださったことに感謝します」

隣でニールとギザも、うんうんと頷きます。彼らは、私の不満も感じ取っていたかもしれません。

でも、これが今できる精一杯。それが正直なところです。

そこで終わりです。ここまで、成績の件で教授とやり取りを始めてから約5カ月!長かった…

いろいろやって結局、何も得ていないじゃないかと思われる方もいるかもしれません。

反省点も、たくさんあります。同じ被害者の協力を得られなかったことや、もっと効果的な反論の仕方はなかったのか、等々。この結論じゃ甘いよ、という見方もあるかもしれません。

「X」に限らず、教授からの人種差別的な言動による被害の話は他にもたくさん聞きます。もっと明白な被害の場合は、学生同士で連帯して大学側に持ち込んだケースもあります。

でも、あの時点の私ができることはあれが精いっぱいでした。

今回、この件を長々と書いたのは、決して自慢したいわけでも、誰かにほめてほしいわけでもありません。できれば思い出したくもない不快極まりない、腹立たしい出来事で、普段はなるべく記憶の底に蓋をしてあります。

なのに書いたのは、

●声をあげるって大事
●声をあげるには、こんな方法もある、

と伝えたかったからです。

声をあげてよかった。傷ついたし怖かったけれど、私の中にある怒りや傷を無視せず見つめることができて、よかった。「泣き寝入り」以外の道がある、ということを自分でも確かめられてよかった。

自分が動けば、周囲の人にも「ほかにも道があるよ」と伝えることができる。

私のような思いをする人をもう出さないためにも、声をあげたいと思いました。留学生は、私よりも若い世代が圧倒的に多い。同じような目にあっても、どうしてよいかわからず泣き寝入りする方が圧倒的に多いかもしれない。そんなとき、力がなくてもこんなやり方があるよ、と知らせることができるのではないかと思いました。

かすれ声だったかもしれないけど声をずっと上げ続ける中で、いろんな賛同者がいることもわかった。

実際、これをやった後、周囲の留学生からは「どうやってやったの?」と聞かれることが多かった。「記録として残して!」という声も多かった。みんな、多かれ少なかれ似たような困難に直面しているのだと思います。

「沈黙は降伏に等しい。それは暴政者・圧政者に力を与える。世界は何が起きているか知る必要がある」

以前、何かの本か記事でこんな一文を見かけました(失念してしまい、引用ができないのが残念なのですが…)。

まさに私の心情を表している一文だと思い、今回この言葉をタイトルにしました。

この一件については、これで終わりです。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。


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