【コラム】実家という存在
私の実家は、都内の西側にある一軒家。
実家には、高齢の両親が暮らしている。
お盆休み(三連休)に実家に帰省して思ったことを書いてみる。
私は、近年、実家に帰省することに対して、鈍痛に近い不思議な感情を抱いている。この感情が普通なのか、私特有のものなのかはわからない。本来なら目を逸らしたくなるようなこの感情と、今日は敢えて、少し向き合ってみたい。
この感情を一言で言い表すなら、実家が年々、「居心地の良い場所ではなくなってきた感覚」だと思う。
この事実が真だとしたら、それは私にとって、とても寂しく、切なく、悲しいことである。でも、不思議と涙は出ない。痛覚が麻痺しているのだろうか。それは、古傷が時間によってかろうじて癒えた後のような、そんな感覚である。
実家に住まう両親に対しては、私を大切に育ててくれたことに対して心から感謝をしている。そして、お盆休みや年末年始などには、ほとんど欠かさずタイミングを合わせて実家の両親に会いに行く私の家族は、仲が良い方だと思う。
私の夫も、嫌な顔ひとつせず、私の実家に一緒に行ってくれる。甥と姪への手土産も、夫はワクワクしながら楽しそうに選んでくれた。
とても幸せなことだ。
何の問題も見つからない。
でも、なぜなのだろう。
私は、いつからか、実家に帰ると気疲れするようになってしまったのだ。
両親は、気のせいかもしれないが、会うたびに少しずつ老いていく。或いは、両親は何も変わっていなくて、変わってしまったのは私のほうなのかもしれない。
私の両親は、持ち家で静かに暮らしていて、優雅といえば優雅かもしれないが、何かアクティブな趣味や楽しみがあるわけではなさそうだ。
帰省したからと言って、私から特段話すことがある訳でもない。いや、正確に言うと、仕事のことや、新婚生活のことなど、人に話したいことは山ほどある。ただ、仮に両親に私の仕事のことを話したとしても、理解してもらえない気がして、あまり多くの言葉が口から出てこなくなるのだ。ヒトは大人になると、親との世代差をより強く感じる生き物なのかもしれない。
結果、「元気にしてた?」などと言う、たわいもない話をして、時間が過ぎて行く。
私には兄がいる。
長期休みは兄家族も帰省していて、実家で一緒に過ごすことが多い。
兄は若くして仕事で成功していて、近年は通例、夏場はリゾート地で長期間過ごしているという。仕事の指示もビーチから出すそうだ。今年も、実家に来る前はどこかのビーチにいたらしく、兄は真っ黒に日焼けした筋肉質な顔で、「仕事なんて、もうどこからでもできるからね」と、まるで自由な少年のように笑う。ビーチが苦手で仕事やキャリアの悩みが尽きない私には共感が難しい類の、眩しい笑顔だ。
兄は、明るい性格で、私のことをよく会話の中で面白おかしくイジるが、私は幼い頃から、兄の言葉に時々傷付く。私は言い返すことができない性格なので、泣きたい気持ちを我慢しながら、作り笑顔で長い時間(実際にはおそらくほんの数分)を過ごす。子供の頃なら泣いてしまってもよかったが、もう大人なので、涙を見せるわけにはいかない。
そんな風に、実にゆっくりした時間が流れる場所。
それが実家だ。
私にとって実家は、紛れもなく大切で、かけがえのない存在だ。両親に対しても、兄家族に対しても、感謝の気持ちは沢山ある。全員漏れなく、健康で幸せでいてほしいと、心から思う。
私は彼等を失いたくない。
でも、私は彼等と本心から一緒にいたいのだろうか…?
答えはわからない。ただ、私は近年、悲しいことに、実家で「自分らしく」いる術を失ってしまった気がしている。
両親にとっての「娘」であり、兄にとっての「妹」であり、甥と姪にとっての「叔母」でもある私は、実家でアイデンティティを上手く構築できずにいる。私の心は、それら全ての役割をなんとか果たそうと忙しく、常にせかせか気を張っているが、考えすぎたのちに表に出てくるのは、最低限のたわいもない会話と、作り笑顔のみだ。
そう悟られないように、私は、よく懐いてくれている甥っ子と姪っ子に笑いかける。甥っ子と姪っ子は、まるで人に裏切られたことなど一度もないかのように、私にくっついてくる。「愛おしい」と思うだけなら美しいのに、幼い彼等が、積み重なってきた経験に汚されてしまった私と対象的な存在であることに、確りと気付いてしまう自分が嫌だ。
夫にとっての「妻」である普段の私が、今の私には一番心地良い。私は、助けを求めるかのように、何も言わずに隣に座っている夫の膝に片手を近づけた。夫はいつもどおり、優しく私の手を握り返してくれる。とてもほっとした。
実家という空間で自身のアイデンティティを模索し、時に我慢し、時になんとなく悲しいような、みじめなような、不思議な気持ちになることも、「家族愛」のひとつの形なのだろうか。
あるいは、単なる夏バテだろうか。
いずれにしても、今の私にとって、帰省は相当に疲れる行為のようだ。実家は私にとってかけがえのない、大切な存在であるというのに、どうして私はこんな風になってしまったのだろう。いつから私は、こんなにも、実家という存在に相応しくない人になってしまったのだろう。