見出し画像

【コラム】30歳代以降の"友達の輪"の広げ方

人は、何歳になっても、友達が必要だと思う。
一方で、年齢を重ねると、良くも悪くも人は変わる。
人間関係も、常に新陳代謝が必要だと、私は考える。

一般論

20歳代前半くらいまでは、同年代の「友人(=いわゆる同級生や同窓生)」は、ある程度“横並び”で成長するものだ。もちろん、多少の差は出る。ただ、その時期の差は大差ではない。何かのきっかけで再会すれば、学生時代と同じように笑い合え、昔と同じように打ち解け合えるのが、幼少期から20歳代前半までの友人関係だと思う。

他方で、30歳代になると少し事情が異なってくる。
私の考えを端的に言うと、30歳代以降は「自分の人生に必要な人」とうまく付き合うことがとても重要だと感じる。

理由は単純で、2点ある;

一つは、もう大人であるためだ。子供は「遊ぶ」という行為が心身の発達上必要不可欠であり、「遊ぶこと」が子供の仕事の一つであると言っても過言ではない。しかしながら、大人は必ずしも「遊ぶ」必要はない。それよりも、弱い者(お年寄りや子供や部下)を守り、希望のある未来を創ることが、大人には求められている。(大人にも「息抜き」は必要だが、それは必ずしも友達がいなければできない訳ではない)

二つ目は、30歳も過ぎれば、「どんな風に年齢を重ねたいか?」がある程度見えてくるためだ。多くの人は社会に出て、現実の過酷さを知り、社会の厳しさを知り、生きることの大変さを知る。それらの経験は、同時に、より具体的な人生設計を否応なく迫ってくる。そのような葛藤の中にある30歳代は、大人であるものの、誰も完全ではない。どんなに成果を出しても、社会には上には上がいる。限りなく若手扱いをされ、自分の力だけで何かを成し遂げることなんて不可能だと悟る。だからこそ、30歳代以降には、一人で戦うのではなく「自分の人生に必要な人」と人生を共にするイメージを具体化していくことが必要だ。

私流、30歳代以降の”友達の輪”の広げ方

30歳代は、就いた仕事や住んでいる場所、結婚/離婚・出産などのライフイベント、ならびに、いつの間にか培ってきた総合的な経験値や人脈が、大きな差となって顕著に表れてくる時期だ。同時に、そのような自分を客観的に見つめることで、自分に必要なものや自分に足りないものも、明確になってくる。そんな時期だからこそ、友達の輪を再構築することで、人はずっと強く生きられると、私は考える。

聞こえは悪いかもしれないが、実は私の場合は、20歳前後から既に「人を選ぶ」性格になっていた。即ち、既存の友達や新たに出会った人々の中から、今後周囲に残したい人と、そうでもない人を意識的に分けて、その後の交流濃度を調整していった。30歳代には、この手法が私の中で最も納得感の高い人付き合いの方法として、定着していた。

その点において、私は素より冷たい人間だ。
そのうち罰が当たるかもしれない。

なぜ私は、こんなに冷たい人間になってしまったのだろう。思い返せばそれは、おそらく私が20歳前後(学生時代)に、自分への自信を著しく無くす経験をしたためであろう。言い換えると、自分一人の力で理想とする未来を創ることが限りなく不可能に近いことを、痛いほど理解したのだ。だから私はその頃から、人と出会う際、「友達」としての魅力(一緒にいて楽しいか?といった尺度)よりも、「人間」としての魅力(将来性や、心から尊敬できるか?とういった尺度)に重きを置いて、人と交流をするようになってしまった。(もちろん、自分自身の価値を高める努力は当時も怠らなかったし、今も怠っているつもりはないが、一向に自分に対する自信は取り戻せずにいる…)

他方で、中学・高校時代に一緒にいて楽しかった(だけの)友人とは、今は会う機会が減ってきて、疎遠になってしまっている。彼女らのことを嫌いになったわけではない。今でも懐かしく思い出すし、当時彼女らと過ごした時間は、私にとって大切な宝物だ。ただ、今の私に彼女らが必要かというと、限りなくNoに近い。残念ながら、それが答えだ。時は移りゆくもの。悲しいが、人に必要な環境はどんどん変わってゆくものなのだ。

もちろん、All or nothingではない。一緒にいて楽しく、且つ心から尊敬もできるという、両方を備えた素晴らしい友人も、数少ないが存在する。彼女らは有難いことに、私の「親友」になってくれている。30歳代になって「親友」と呼べる友達がいることは本当に貴重で、わがままかもしれないが、この先もずっと彼女らには「親友」でいてほしいと願っている。

どんなスタンスであっても、素敵なご縁への感謝は忘れない

「愛想よく接している」「だれとでも仲良くしている」と見せかけて、今の私は実はそうでもない。私は腹黒いのかもしれない。

「そんな自分が好きか?」と問われたら、答えは“Yes and no“だ。
「それって、本当の友達なの?」と問われたら、よくわからない。正解はないと思う。

私は、こんな自分の友達付き合いを100%肯定することはできないし、人にお勧めすることもできない。ただ、今の私にとって、人生の協力者を増やすことが、ただ一緒にいて楽しいだけの友達を増やすことよりもかなり優先度が高いことは間違いない。

私には、決して諦めたくない夢と、自分の頭で考えて決めた軸があるから、迷いはない。

「人を選ぶ」という友達作りの手法をとってきた自分を、嫌いになることもある。でも、後悔はしていない。なぜならば、そうしてきたおかげで出会えた、素晴らしいご縁の連鎖があるからだ。私には、今でも友達が友達を呼ぶ形で、或いは私の行動や声が人の心に届いた結果として、心から尊敬できる“真の友達”が増え続けている

敢えて“真の”と付けたのは、一緒にいて楽しいだけの相手よりも、私が困ったときに手を差し伸べてくれる人こそが、今の私の辞書においては“真に”人生を共にしたい大切な人であると、自信を持って言うことができるためだ。

私は、年齢も性別も国籍も、趣味も生い立ちも関係なく、ひとりの大人としてこれから人生を歩みたいと思える、“真の友達”の輪を広げることを、これからの人生における一つの楽しみと捉えている。これまでのご縁に心からの感謝を示しつつ、これからのご縁を大切にして、自分が決めた軸を信じて生きていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?