ヘッド・スティックで伝える私の言葉

メヂカルフレンド社 1998年発行

このテキストは現在準備中です。
noteのマガジンとして発表するため仕組み上、一部表示されています。
準備が終わりましたら、あらためて公開させていただきます。

はじめに

 私は、一九八〇年十月、中学校の登校途中に、居眠り運転をしていたトラックにはねられ、脳幹部中枢神経挫傷という致命的な傷害を負った。脳幹部というのは、体の運動神経や知覚神経の通り道であり、顔面や喉の動きや感覚、また人間の呼吸や循環などの中枢となるきわめて重要な脳の部分である。


 それによって私は現在、障害者福祉法の一種一級と認定される重度の身体障害を抱えて生きている。四肢の運動麻痺のため、立ったり歩いたりなど、すべての移動動作ができず、車椅子を使って移動する。また顔や口、喉にも麻痺があるため、話すことも食べ物をうまく飲み込むこともできない。だから食事や排泄などの身の回りのことについて、介助を受けている。


 そして会話したり字を書いたりという、自分の存在を他人に伝える際に必要なことができなくなってしまったため、唯一自由に動かせる頸を使って、頭にヘアバンドで固定したヘッド・スティックでキーボードを打ち、合成の音声や文字によって自分の意思を伝えている。

 この本は、そんな不条理に出会った私が様々な試練の末、私なりの存在感を獲得し、精神的な自立を遂げるまでの過程を記した記録である。


 こんな私の運命を暗示するかのような、印象的なエピソードがある。


 一九七五年、私が小学校二年生の時だった。
 新聞を見ていた父が「国連で採択『障害者の完全参加と平等』」という文字を指差して言った。


「この字(障害者)が読めるか?」
私はしばらく考えて答えた。
「しょうがいしゃ?」
「よく読めたな。どうして『しょうがいしゃ』と読むと思ったんだ?」
「『者』は『医者』の『しゃ』と同じでしょ。『障害』は運動会の『障害物競争』の『しょうがい』と同じだから」
「じゃ、『障害者』っていうのはどういう意味だと思う?」
障害物競争の『障害』はコースに置いて走者を走りにくくさせるもののこ
とだから……。
「障害者」=「人々の生活をさせにくくさせる人」——?
ちょっとひどい言い方に思え、そんな呼ばれ方をする人を可哀想に思ってい
ると、父は言った。
「『障害者』というのは、病気や事故などが原因で身体のどこかが不自由になってしまって、普通の生活ができなくなってしまった人達のことをいうんだ」
 どうして身体の不自由な人のことを、「障害者」なんて呼ぶのか——。
 私の疑問が吹き出した。
「どうして身体が不自由だと学校に行けないの? 勉強しちゃいけないの?
どうして身体が不自由で可哀想な人のことをそんなふうに呼ぶの? それじゃ、まるで『邪魔だ』って言っているみたいじゃない。失礼だよ。おかしいよ」
「どうしてかな、父さんもよく知らない。そんなに知りたいのなら、自分で
調べなさい。亜沙子は健康だから学校や図書館に行けるし、辞書だって引けるんだ、ちゃんと勉強してそういう人を助けてあげなさい」


 そんなある日、クラスメートの家に遊びに行くと、ぷくぷくと太った赤ちゃんがニコニコして座っていた。


「わー、可愛い赤ちゃん。男の子でしょう? 何ヵ月?」
 そばに行ってその子に触れていると、クラスメートは言った。
「赤ちゃんみたいだけど四歳なんだ。『脳性麻痺』っていう障害があるから、一人でご飯が食べられないし、しゃべることもできない……」


 そのクラスメートの話で、現在の医学では『障害』というものの回復に限界があるということを知った私は、もし家族や自分が身体の自由を失ったならば、どうやって身体的な世話をしたらよいのか、どうしたら精神的ダメージをやわらげられるのか、と考えるようになった。そして『障害者』についてもっと知ろうとしたが、あまり手だてがなかった。が、五年後、それは私自身と家族の問題となった。

 この本を出版することにより、当時は障害者福祉に対する社会の意識が低く、幼い私がもっと知ろうとしてもなかなか知りえなかった問題について、多くの方と共に考えることができれば幸いである。

著者紹介

茉本亜沙子(まつもと あさこ)
1967年生まれ。1980年、中学校の登校途中に居眠り運転のトラックにはねら
れ、脳幹部運動神経中枢を挫傷。首から下がすべて麻痺し、動くことも話すこともできなくなる。懸命のリハビリの末、ヘッド・スティックでワープロを操作し、文字を合成音声機で音に変換して、コミュニケーションをとれるようになる。以後は障害者の充実した生き方を求めて、福祉への発言を行ったり、障害者のワーキング・グループに参加するなど、積極的な活動を行っている。


✳︎本の目次から


一.再生 

 純白の空間の中で 
 セーターを着た女性 
 言葉とのたたかい 
 私の身に起こったこと 
 一つの啓示 


ニ.現実  

 私は異星人? 
 もう、話せない 
 退院と転院 
 S園で 
 リハビリに向けて 
 病院を変える


三.再起  

 脳幹部運動神経中枢挫傷 
 望みがかなった 
 話すことへの切なる願い 
 ベッドで謹慎 

四.模索 

 やっと家族で暮らせる! 
 今日の物語を始めよう 
 養護学校高等部へ 


五.期待 

 再びリハビリ病院で 
 事件 
 卒業後は自宅で? 
 目標 
 母抜きの会話 
 友達と外へ 


六.転機

 中国西域への旅の始まり 
 飛行機の中 
 真っ青な空と砂の大地 
 風邪さえはねのけて 

七.杜会 
 大学のゼミで 
 外出の意義 
 ファックスの貸与 
 私なりの自立を目指して 


八.施設 

 話せない子として 
 施設生活の始動 
 施設生活の改善に向けて 
 自治会の結成 
 真の生活を求めて 


九.友人 

 電話とファックス 
 居室の電話が元気のもと 
 ボランティア・キャンプ合宿 
 雪あそび合宿で 
 もつべきものは友人 


十.発言 203

 福祉機器利用者の生の声 
 テクニカルエイド・フォーラム 
 いつの日か… 
 合成音声機の改良 


十一.実習  

 介護実習 
 育て合うこと 
 介護実習あれこれ 


十二.現在 

 パラリンピック 
 行動し続けること 
 小学生との交流 
 願い 
 母になる 




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