◎祭りで買った風鈴の話
「あれは女学校に上がる前の年の夏じゃった」
ほとんど寝たきりの祖母が、床に横になったまま語り始めた。外は暑いけど部屋の中はクーラーが効いて心地よい。この前来たとき言われるままにぼくが出して吊るした風鈴が時たま軒下に揺れている。手土産に持ってきた冷えた水羊羹が手付かずで枕元に置いてある。
「そんなもんいらんのに」と祖母は言うけど、祖母の取って置きの昔話を聞かせてもらうのに、手ぶらと言うんじゃ申し訳無い。
「いつものように盆踊りがあって、須磨ちゃんと明るいうちから出かけて行った」
須磨子さんは祖母の小学校からの同級生で、先日三回忌を済ませたところだ。
「戦争の前でな、まだ夜店も色々出ておった。踊りが始まる前、買ったばかりの砂糖黍を吸いながらあちこち冷やかしておったら、中に吊り忍や風鈴を売っている屋台があった。わしゃ金魚の絵柄の涼しげなガラスの風鈴などに見とれとったけど、須磨ちゃんは南部鉄の風鈴の音色の方にすっかり魅せられたようじゃった。ただそれを買うには彼女の小遣いではちょっと足りんかった。須磨ちゃんはいつまでも離れたがらんかったけど、やがて盆踊りが始まって、わしが引っ張るようにして会場に連れて行った」
ぼくは浴衣に団扇、手を取り合う二人の女の子の姿を思い浮かべていた。
「トトントトン、ピーヒョロリー、ってね、すっかり浮かれて踊っていたよ。そのうちクルリと回って後ろ向きになったとき、会場の外れ、裏の方に出て行く須磨ちゃんの姿が見えたんじゃ。どうしたのかと、わしゃ輪を抜けて後を追った。外には安城川という川が流れているんじゃ。深くはないがちょっと幅がある。わしがそこまで行ったとき須磨ちゃんは土手を降りて、川を渡ろうとしておった。須磨ちゃん! と呼んだけどまるで聞こえんふうで、そのまま裾もまくらんで流れの中に入って行くんじゃ。そのときチリン、チリリンと風鈴の音が向こう岸の暗闇に鳴っているのに気がついた。須磨ちゃんはその音に引かれるように真っ直ぐに水を渡って行く。咄嗟にわしゃ取って返して、須磨ちゃんが見ていたあの南部風鈴を引ったくるようにして買って戻って来ると、手を振って勢いよく鳴らしたんじゃ。須磨ちゃんは川の中程で立ち止まって、しばらく両方の音を聴き比べているようじゃった。そしてとうとうこっちの風鈴が勝ったんじゃ。ゆっくり振り向くと、そろそろとわしの方に戻って来た。川向こうから『こっちに来い。こっちの音が奇麗だぞ』と呼ぶ低く無気味な声が聞こえていた。最後にわしが手を差し伸ばしたとき、それが『ぐおーっ』という獣の咆え声に変わって、わしゃ急いで強く須磨ちゃんの手をつかむと水から引き上げた」
上品だけどどこか神秘的な雰囲気のある須磨子さんには、こんな体験があったんだ。ぼくは何となく分かったような気で須磨子さんの顔を思い浮かべていた。
「その風鈴は須磨ちゃんにあげたんだけど、彼女は何があったか覚えとらんかった。戦争中に金物は供出するよう言われたけど、須磨ちゃんは大切にして最後までそれを手離さんかった。舌はちぎれてとうに失くなっていたけど、鐘の部分は死ぬまでずっと須磨ちゃんの床の間に飾ってあった……」
これで今日の話は終わりかと思ったら続きがあった。
「葬儀のとき駄目と言われたけど無理に頼んでそれを柩に入れてもらったよ。それからわしも火葬場まで着いて行った。骨揚げのとき、家の人は誰も不思議に思わなんだようじゃが、わしゃすぐに気づいた、焼けずに残るはずの風鈴が無かったんじゃ。きっと須磨ちゃんが……」
あの世に持って行ったんだ、とぼくも思う。
軒下の風鈴がチリンと鳴った。