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光野朝風
2016年6月29日 20:35
他想不起來那是什麽時候的自己。 但是島田勝也總是做那個小時候的夢。 在夢中,他每次都在奔跑,天真無邪地,心中暗想前方有更加美妙的事情在等著自己,他的雙腳便愈來愈輕快,跑的也更加迅速。 被綠色所包圍,他拂開樹木的幽香,在回家路上,他似是感覺不到背上帆布背包的重量,就像是在期待著什麽,就像是在等待自己戀慕的女孩。 勝也夢見這些景象,心情沈重。 他汗水淋漓地從自己房間的
2016年6月29日 20:33
いつの頃の自分だったか思い出せなかった。 しかしいつも子供の頃の夢を島田勝也は見る。 決まって公園で走っており、無邪気に、とても胸を躍らせながら、走る先にもっと素敵なことが待っていることを知りながら足もどんどん軽やかになり、足も早くなっていく。 緑に囲まれ木々の香りを掻き分けて、学校帰りで、背中に背負ったリュックの重みなど感じないほど、何かに期待しながら、好きな人でも待っているか
2016年6月16日 03:09
六十を手前にして結婚を一度もしたことがなく、資産らしい資産もなかった。 田中義明は小さなそば屋の厨房でバイトをしている。週三・四回の勤務。それ以上はもう体がずっしりと重くなって辛くなる。先月別の職場で前のめりにこけてしまい、右肩を強く打ち重い物が持てなくなってしまった。 若い頃は酒、女、煙草、博打も多少はやっていた。それが酒で体を壊し禁酒。生活費を切り詰めなければいけないため煙草も止
2016年6月14日 05:32
「誰かさんと誰かさんが麦畑」 母がよく歌っていけれど、ワンフレーズ口ずさむだけだった。ネット検索してみると「誰かさんと誰かさん」という歌だった。原曲はスコットランド民謡「ライ麦畑で出会ったら」。 洗濯物を干す時、クリームシチューを作る時、ワイシャツにアイロンをかけている時にだいたい口ずさむ。母に「思い出がある歌なの?」と聞くと、ちょっとね、とはぐらかす。父との思い出かなと思っていたけれ
2016年6月13日 22:04
今ではカモメが飛ぶほどになった。悠々と洞海湾を見下ろすカモメを年老いた男は車椅子に乗り涙を浮かべて眺めている。「見ろ。カモメが飛んでいるぞ」 声を震わせ、珍しくもないカモメの姿に感涙の声をあげることに、孫の洋太は多少しらけた目を向けていた。それも無理はない。美しい洞海湾しか知らないのだから。 かつて、その場所は「死の海」と言われた。 千九百一年、八幡製鉄所が出来たのを皮切りと
2016年6月3日 03:30
若松区の岩屋漁港近辺から海を眺めると漁火が見える。その上空を光りが直線を描いて消えていくが、ほとんどが福岡空港に着陸しようとする飛行機で、それは時計の針のようだった。 時計は回る。星も回る。私は海岸に立ちながら波の音を聞いている。 やがて星は円を描く前に朝日に掻き消される。 だが、朝まではまだ長い。 漁火があるということは、イカでも捕っているのだろうか。五月はコウイカやヤリイ