大正妖恋奇譚 46話
46話 漢字の先生
今日は月曜日だ。
日中、昴さんは軍部にお出かけとのことで不在だった。
私がするべき家事は少なく、すぐに暇を持て余してしまう。
私はひとり、居間にあるソファーに座り縫い物をしながらいろんなことを考えていた。
おっかあのこと。おっとうのこと。ここ数日のことが頭の中を駆け巡る。
そして最後に頭に浮かぶのは、昴さんの顔。
昨夜の行為を思い出し、私は顔が熱くなるのを感じる。
私、鬼と人の子なのに祓い師である昴さんとあんなことするなんて……あぁ、思い出すと顔と身体の体温が上がってくる。
どうしよう私。このまま私、ここにいていいのかな。私のおっとうは昴さんの家族を殺した鬼なのに。
そう思い、私の手が止まる。
「かなめ、お客様よ」
玄関からとし子さんの声が響き、私はハッとして立ち上がる。
私にお客様? いったい誰だろう。
私は、不思議に思いながら縫っていた着物をソファーの前にある机の上に置いて足早に玄関へと向かった。
玄関に立っていたのは、三十歳前後と思われる女性だった。
短い黒髪に、黄色地の着物に黒いマントのようなものを羽織っているしゃれた感じの女性だ。
だ、誰だろう。全然心当たりが……
「あ」
そうだ、少し前に昴さんが言っていたっけ。私に字を教えてくれる人が来るって。
女性は、私を見つめるとにこっと笑って言った。
「貴方がかなめさんね、笠置様からうかがっているわ。私は灰島百合子。よろしくね」
「あ、え、えーと……かなめ、と申します」
慌てて私は頭を下げる。
「ど、どうぞお入りください」
そう伝え、私は灰島さんを応接室へと案内した。
ソファーに向かい合って座ると、そこにとし子さんがお茶とお茶菓子を持って来てくれた。
湯気の上がる湯呑からは緑茶のいい香りがする。それに懐紙に載せられたかりんとうがとてもおいしそうだ。
灰島さんはとし子さんに頭を下げ、
「いただきます」
と言い、湯呑を手に取った。
知らない人と話すのは緊張する。どう声をかけたらいいのかわからず俯いていると、あちらから声がかかった。
「笠置様には貴方に漢字を教えるようにお願いされたのだけど」
その言葉を聞いて、私はばっと顔を上げて言った。
「あ、は、はい。あ、あの、話は……うかがっています」
そう答えて私はまた俯いてしまう。
「週に三回、教えに参りますからよろしくね」
「は、はい、お、お願いします」
顔をあげないまま、私は頭を下げた。
朝は家事をして灰島さんに出された宿題をやったり着物を縫ったりして、私は毎日充実した時間を過ごしていた。
昴さんはあの日から私に触れてこない。それがなんだかさみしかったけれど、私から触れるのは恥ずかしく、なんだかお互いに妙な距離が出来てしまっていた。
「ねーねー、かなめちゃん、昴様と何かあったの?」
私と昴さんが共に寝てから一週間ほど経った日曜日、ぼたんちゃんとおつかいに出たとき、そう聞かれて私はドキドキしながら首を横に振った。
「え? あ、な、何にもないよ?」
答えながらも顔中が熱くなるのを感じる。あぁ、これじゃあ何かあったと言っているようなものよね。
実際、ぼたんちゃんはじーっと私の顔を見つめている。
これは……疑われている。ぼたんちゃんが気が付くくらい私と昴さんは不自然に見えるって事よね。
あぁ、どうしよう……昴さんとふたりきりになる場面はたくさんあったけど、あの時の事は全然話していない。
私の勉強のこととか、昴さんのお仕事の話ばかりだ。
鬼退治以降、私は昴さんとお仕事をしていない。昴さんも仕事に誘ってこなかった。
愛してるとか言われたよね……? 確かに言われたのになんだか距離を感じてしまっている。
そして私はどうしたらいいのかわからなくて戸惑っていた。
昴さん、何を考えているんだろう……
「昴様って、感情をだすのが下手よね。言葉にしないし、だからわかりにくいよね」
子供にそんな評価される昴さんもどうかと思うけれど、ぼたんちゃんの言葉には同意しかなかった。
私は苦笑しつつ、
「そうね」
と頷く。
「男の人ってね、言葉にしなくても伝わるって思ってるの。でも女の人は言葉が欲しいんだよね」
「……ぼたんちゃん、そう言う事どこで教わって来るの?」
内心驚きつつ尋ねると、ぼたんちゃんは首を傾げたあとにっこりと笑って言った。
「お友達とかだよ!」
今の小学生ってどうなってるの……?
疑問には思うものの詳しく聞く気持ちにはなれなかった。
言葉が欲しい……確かにそうね。
でも昴さんは、その言葉にするのが苦手、なんだよね。
なら私が自分から行動できたらいいんだけど、こういうときどうしたらよくわからない。
どう言ったらいいんだろう。一緒にいたい、かな。ここにいさせてください、かな?
あぁ、もうどうしたらいいんだろう。
「だから通じ合わないんだよね。欲しかったら伝えるしかないんだよ!」
「欲しかったら伝えるしかない……」
たしかにそうね。待っていても何も変わらない。だから自分から行動しないと。
私はぼたんちゃんの言葉に頷いて、
「そうだね」
と言い、昴さんに私の想いをどう伝えようか考えた。
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