大正妖恋奇譚 39話

39話 薔薇

 秋の空は澄みきっていて、筆で描いたような筋雲がところどころに見える。
 吹く風は穏やかで、暑くもなく心地いい。
 こんな風に空を見上げたことなんてあったっけ。
 いつも下ばかりみて歩いていたような気がする。
 木々の葉は色を変えていて、真っ赤に染まったもみじがバラの花と共に植物園を彩っている。
 ここは目黒にある植物園。
 たくさんの人がいて私は思わず帽子を目深にかぶった。
 あの、京佳さんと一緒に買い物に行った時に見た着物の柄と同じ花がたくさん咲いている。
 赤に薄紅色、白に黄色。こんなにいろんな色があるんだ。
 ほのかに甘い匂いがする。

「花って、春ばかりに咲くものだと思っていました」

 春は梅に桜、藤や紫陽花などが咲くけど、秋に咲く花があるなんて知らなかった。
 
「あぁ、そうだね」

 そして昴さんは、頭に手をやり視線を巡らせた。

「バラをちゃんと見たのは初めてかもしれない」

「私、昴さんが連れて来てくれなかったら、あの着物の柄がバラだと知らないままでした」

 ほほ笑み言うと、昴さんは帽子を深くかぶり視線をそらせた。
 昴さんて、すぐ私と目をそらすような。
 何でだろう。少し寂しい。
 私たちの横を、若い男女が通り過ぎていく。
 ふたりは寄り添い、楽しそうに語り合っている。
 こんなふうに人を観察したこともほとんどなかったから、なんだか不思議な気持ちだった。
 辺りに目をやると、親子連れの他に男女の組み合わせが目立つ。夫婦なのだろうか。
 バラの柄の着物を着た女性が目についた。黒地に赤いバラが描かれた着物はとても華やかに見える。それに紫色の袴……女学生だろうか。頭に大きな赤いリボンをつけていて可愛らしい。
 バラの着物、買っておけば良かったかな……
 今さら心惹かれてきた。

「気になるの」

 その声に驚きそして、私はゆっくりと隣に立つ昴さんの方を見た。
 彼はこちらをじっとこちらをみていて目があってしまう。

「え、あ……あの……」

「バラの着物」

「いや……えーと……はい……少し」

 人が着ている着物を見ていたのを気が付かれて恥ずかしい。

「そんなに気になるなら買っていこうか」

「い、いいえ、だって理由が……ありませんし」

 昴さんには今まで色んなものを買っていただいている。
 今日の服だって買っていただいたものなのに、これ以上買ってもらったらきっと私、観音様に叱られちゃう。

「理由……」

 そう呟き、昴さんは顎に手をやる。

「……僕が贈りたいから、じゃだめかな」

「え、あ、あの……それってどういう……」

「僕が君に贈りたいと思うから、かな。遊郭に行かなくなってお金を使うことが減ったし」

 お、贈りたいってどういう意味ですか……?
 どうしようかと思っていると、昴さんは私に手を差し出してくる。

「ほら、せっかく出てきたんだし、もっと歩こうよ」

 私は昴さんの手と顔を交互に見たあと、戸惑いつつ差し出された手に自分の手を重ねた。

 バラの通路があり、弧を描く天井や壁に紅や白のバラが絡みついている。
 甘い匂いがわずかに漂い身体を優しく包み込む。
 こんなにゆったりとした時間を過ごせるなんて……私は幸せだなあ。
 こんな世界があったなんて、昴さんに出会えなかったら知ることができなかっただろうな。
 奉公先で、殺したいほどのことがあったのに時間の経過のせいだろうか、その思いは薄れてきている。
 もうあれからひと月ちかく経つんだなあ……
 昴さんとの出会い、あやかしの存在、浅草にお出かけ、そしておっとうの正体。
 短い間に色々とあったな。
 このまま静かな時間が続いたらいいのに、きっとそれは叶わないんだろうな。
 だからこそこの時間を大切にしたい。
 
 午前いっぱいバラを楽しんだあと、お昼をいただいたあと璃翠(りすい)の町に戻ると本当に昴さんは百貨店に私を連れて行った。
 百貨店は着物のほか洋服や小物の販売、食事処もあり大人だけでなく子供の姿も多かった。

「休みの日は人が多いね」

「わ、私はぐれたらたぶん二度と屋敷に戻れないです……」

 だって、字が余り読めないから屋敷への道を見つける自信がない。
 なので私は、ぎゅっと、昴さんの着るマントの裾を掴んだ。

「君に字を教えてくれる人」

 人が多い中不意に立ち止まり、昴さんはこちらを見て言った。
 相変わらず、真顔で何考えているのかわからない顔だな。

「え?」

「軍の人の奥様なんだけど、その人が教えてくれるって」

 いつも昴さんの話は唐突でよめなくて、私を驚かせてくる。
 
「あ、ほ、ほんとですか?」

 本当に字を教えてくれる人、探してくれたんだ……

「この間の事があったから先延ばしにしてもらってるけど……早くて来週から教えに来てくれるけどどうする?」

「え、えーと……」

 どうしよう……
 髪の色は戻ったけど、目の色は紅いままだ。
 さすがに字を教えてもらうことになったら気が付かれるよね……
 でも、異人の血がといえば誤魔化せそうじゃないかな……
 だって事実だし。
  
「異人の血が混じってる、て説明をしているから、目の色くらいなら大丈夫だと思うけど。気になるならもう少し先にしてもらうし」

「だ、大丈夫です! 来週からで」

 字が読めない不安は、字を教われば解消されるわけだからこれは早くなんとかしたい。
 だって、字を覚えれば道に迷っても帰れるもの。
 私の答えに昴さんは頷き言った。

「わかったよ。明日、軍に行ったときに話してくる」

「お願いします」

 ひとつずつ、私の不安が減っていく。
 でも一番の不安は消えない。
 昴さんは、視線を巡らせて売り場を探してるみたいだった。

「着物は二階か」

 そう呟きこちらを見る。
 この人は、鬼に殺されてしまうんだろうか。私の唯一の肉親に。
 死んてほしくない。だけどいなくなる恐怖は消えない。
 そんな不安が顔に出たのか、昴さんは怪訝な顔をして言った。

「どうかした?」

「い、いえ、なんでもないです」

 私は昴さんから視線を反らして首を振る。
 どうしたのかな私。
 昴さんになんの感情もないはずなのに。
 なんで顔を見て、心臓が痛くなるんだろう…… 

次話 大正妖恋奇譚 40話
 

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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