役に立たないことばかりしている
ハンカチ落としをしたい。ぜんぜん友だちだけでなくてもいいし。公園の広場で円になって座って、フリー・ハンカチ・フォールダウンを開催したい。飛び入り参加も離脱も自由だ。
1時間くらい遊んだあと、一本締めでスッキリ締めて、各々てんでバラバラに解散したい。素性も信念も政治的傾向も知らない、ただハンカチ落としをするだけの関係性。
椅子取りゲームも好きだ。椅子取りゲームは、見ている方が好きだ。数の足りない椅子を取り合う様子を揶揄して「人生じゃん」って言う人、いるだろうな。熱を帯びた末に怪我沙汰になって、誰かの血が流れて著しく盛り下がるというところまで想像がつく。
誰もいない商店街で色鬼がしたい。大人になってよかったことは、子供の頃よりも色の種類につけられた名前を言えるようになったことだ。ピーコック・グリーン。江戸紫。オフホワイト。
どうでもいいことばっかりしていたい。ひとりでやるぶんにはもはや日常だから、できれば誰かを道連れにして。コスパとかタイパとか倍速再生とか言う人が、顔を顰めるような無為がやりたい。
今週は、駅前広場でシャボン玉をした。
新幹線のレールが敷かれ始めて、都市開発に湧き立つ駅前。スターバックス、丸善が提供するおしゃれな本屋、サバを使ったおしゃれランチ。雨後の筍のように、「均一化された良い街」という概念がぽこぽこと立ち並びはじめている。
そのだだっ広い芝生の上にブルーシートを敷いて、シャボン液を吹いた。和菓子と緑茶を飲みながら、楽しくて楽しくて笑っていたような気がする。何の話をしたのかさっぱり忘れてしまった。
昨日は、河川敷に布団カバーを広げた。
初夏みたいな日差しと春のすずしい風が吹くキャンプ場に、タープを立てるみたいにペグとポールを突き刺して、無印良品の布団カバーを掛けた。洗濯物を干しているような格好だ。
一応はアーティスト写真の撮影という名目だったけど、ほとんど一緒に遊んでいるようなものだった。柔軟剤のPR写真みたいなものを撮ったり、布に潜り込んで澄ました顔を取ってもらったり、できた日陰で日差しから隠れて、クリスタルガイザーを飲んだりした。
今週はまだ大飲酒に溺れていない。
仕事をしないようになってから、お酒を飲む量が格段に増えた。13時ごろに目を覚まして、なにを為すでもなくぼうっと過ごして、24時ごろに外に出る。コンビニに向かい酒を買い、次のコンビニを目指して歩く。そのコンビニでも酒を買い、次のコンビニに歩き出すさなか、酒を飲む。たまにブランコを漕いだり、看板の写真を撮ったりする。空が白んでくるころに、逃げるように帰路につく。
最近はこれも悪くないと思える。最近は調子がいいから、寝て起きて、生きてさえすればいいのかもしれない、と素直に思っている。シャボン玉を吹いたり布で遊んだりする余裕がある。こうして日記を書くこともできる。客観的に見て、今はここのゾーンにいるんだな、と考えている。
私の人生は躁鬱傾向にある。どちらかというと。
何の役に立たなくてもいい、と開き直れているときは楽だ。気持ちが落ち込むとすべての文章の語尾が「さっさと死ねばいいのにね」になる。何の役にも立たないな、さっさと死ねばいいのにな。社会活動ができないな、さっさと死ねばいい。なぜあの時あんなことを言ったんだ、死んでくれ。
特に近頃は、「なにもできない、死ぬしかない」の声明がボリュームを増していた。写真を撮れない。絵を描けない。ギターが持てない。短歌が書けない。英語を勉強しないと。本を読まないといけないのに。人とうまく喋れない。寝てばかりいる。酒を飲んでばかりいる。なにもできない。死ぬしかないんだ、と。
この呵責はボリュームにフェードがあるだけで、もちろん今も聞こえてきては、いる。わかっている、わかっているってば。許してほしい。なにもできなくてごめんね。
役に立たないことをするみたいに、写真を撮れたらいいのに。絵を描けたらいいのに。ギターを弾けたらいいのにね。そう、そこの端っこと端っこがつながって、メビウスの輪っかにできないかな。
そのセロハンテープはどういう理由でくっつかないのだろう。
考えごとをするために出かけようかな、コーヒー豆が切れてしまったのだ。ついでにスーパーカブにガソリンを入れよう。いつの間にかバイクに乗っても、ダウンジャケットがいらなくなったな。
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