孑孑日記① ひっそり書き始めたわけは
加藤典洋『僕が批評家になったわけ』を読んでいる。すごく平易で、読みやすい。それに、批評というか、何かを書くことのハードルを下げてくれていた。
だから僕は、いまこのテキストを書いている。ちょっと、思ったことをつらつら書いてみようかと思ったのだ。それは特に整理されているわけでもないし、綿密な取材や、豊富な経験に裏打ちされているわけでもない。ただ、僕があることを思いついて、それを(緩さに充ちていても)考えていたことを、残しておいたほうが自分のためだと思った。よく流通している言葉を用いるなら、備忘録である。ただその呼び方はいささかカッコつけているみたいだし、そんな大層な名前をもらうものでもないから、〇〇日記みたいなので済まそうと思う。そこで漢字のボウフラを選ぶあたり、カッコつけたさがうかがい知れるが。
『僕が批評家になったわけ』の、『徒然草』に言及されていたところが僕を後押しした。どうやら『徒然草』は、発表を前提として書かれたものではなく、日々のメモ、すなわち備忘録的に書かれたものだという。加藤は『徒然草』を窓が開かれていると形容した。それはすなわち、型を意識せずに、面白いと思ったことについて、自身の反応(身体的な思考、といった旨を加藤は言っていたと思う)を書き留めた断片の集積ということだ。そこからは、兼好法師自身の感覚が伝わってくる。それを加藤は評価し、批評の原型というのである。
加藤は批評を、自分が面白いと思ったことを考えて表現することとした(たぶん)が、それくらいの緩さでいろいろいいんだと思う。あなたがそう感じたならばそれは事実だし、その思いがだめということはないから、どんどん表に出していい。金原ひとみの新人賞の選考委員の言葉「なんでもいいよ! 小説書けたら送ってみて!」と通ずるものがある。
これらの言葉を印籠にして、僕は言葉を重ねていく。
(2023.7.22だけど寝る前だから7.21でいいよね。7.21)
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