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#ミニコラム
ぎるどのやりたい方向性
同市東区にもシェアアトリエ&ギャラリーがあります。
キノコファクトリーのねじろさんが1周年を迎え、熊日に出たりテレビで放送されたり、とても素敵なことが続きました。
ねじろでは私もたびたびお世話になってます。
あとりえーる・ぎるども熊本市西区の「シェアアトリエ&ギャラリー」としてなんとか頑張って営業続けて3月まで持ちました。
ぎるどとしてもそこそこの目的ってものはあって、note固定投稿と似たよう
「自分が愛されなかったから、自分の子供は愛せないのではないか」という心配について
世間一般ではという理論が染み付いてました物心ついたころには「親になるのが当たり前」「子供をもつことが幸せ」という暗黙の了解のような、世間の圧力のようなものがありました。
世間一般では当たり前、という理論。
私自身も正直、親になって子供をもつようになるのかな、と漠然と考えていた節はあります。
虐待を防止したいという活動をはじめてからおよそ5年くらいになり、
(NPOみたいにバリバリやってるわけじゃ
期待をしないで生きていく
『期待をしない生き方』
というと、一見ひどいと思うかもしれませんが、多くの場合お互いが無理なく過ごすのに丁度よいと思っています。
「部屋を綺麗に使いたい、だからきっと相手もこうしてくれるだろう」
「こんなに憤慨した!きっと相手もわかってくれるだろう」
もしそうじゃなかった場合、裏切られた!と思うかもしれません。
でも相手からしたら、そんなのそちら側の都合でしょ…ともなる。
期待をするなというわ
否定される日々だったから思うことがあって
生まれてこのかた、ずっと誰かに否定され続けてきた、という記憶が多い。
子供の頃はいろんな自分になれるもんだと思っていた。
無敵の自分、何にでもなれる思春期。
小説家になりたかった。プログラマーになりたかった。声優になりたかった。弁護士になりたかった。宇宙飛行士になりたかった。
あとは…なんだっけ。
親と学校しか知らなかった頃、諦めた夢がいくつかある。
子供が夢を語れば、笑われてからの「むり、あれ
束縛されたい人や、
レールを敷いてほしい人たちに対して私ができることはないけれど、
DVでつらいとか、虐待から逃げ出したいとか、
「苦しい、助けて」って私に助けを求められたら、
話を聞くしかできないのかもしれないけど、
飛んでいけるような自分でいたい。とは思う。