麻井均

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電気通信上の政治

 19世紀に誕生した電気通信は、やがてすべての国々の必須インフラとなった。  例えば行政上の申請や、果ては選挙の投票までも電気通信の上で行われるようになったので、国際電気通信連合ITUはこの世の凡そ全てを管轄することになった。国際連盟は衰退し、各国の元首はITUに集まるようになった。  しかし、それではあまりに不便なので、国際電気通信連合は電気通信部門ITU-ITを設けて、電気通信に関する会議を行っている。

    • バベルから来た男

       ある雨の降る国に、バベルから来た男がいた。男は、雨が良く降るのを不便に思って、街を覆う大きなドームを作り始めた。  ほどなくしてドームは完成したが、男は隣街に出掛ける時に雨に濡れることを不便に思った。男はドームを次々と大きくし、やがてドームは男の行く所すべてを覆う大きなものとなった。  しかし、あまりに大きなドームを作ったため、ドームの中には雲ができ、雨が降ったということである。

      • 口伝と記録

         古代の日本には、特定の職を担当した一族である部民の一種として、有記部(あーきべ)という人々がいたという。有記部は、物事の記録を担当し、物事の記憶と語りを担当する語部とその職掌を争った。  有記部は100名ごとに車座に座る。長(おさ)は南面して真北に座り、その後ろに添人(そえびと)が座る。添人が、記録するべきことの最初の一文を長に耳打ちする。長は、自身の右隣りの者に今聞いたことを耳打ちする。そして、順々に右に右に耳打ちしていく。続いて、長が右隣りに一言目を耳打ちし終えると、

        • 人間を弔うことについて

           西の遥か、大砂漠を超えた先にある国には偉大な王がいた。王の偉大さは砂漠を超え、諸国に轟いていた。  やがて王が死に、国は悲しみに包まれた。誰よりも偉大な王だったので、その葬式は誰よりも素晴らしいものにしなければならないと家臣たちは考えた。王の葬列は豪華で長大なものとなり、国中を練り歩き、やがて隣国を次々に訪れてまわった。葬列はあまりにも長く、列の先頭が隣国の首都にたどり着いたとき、列の最後尾どころか中ほどすら葬儀場を出ていなかったという。  葬列は何十年と旅をして回り、

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          実家、あるいはどこかで推しが配信していてくれること ――帰るべき場所としての推し論

           早稲田V研は、冬コミにて会誌『VTrue』Vol.2を頒布します。  それに先立って、私が『VTrue』Vol.1(夏コミにて頒布)に寄稿した記事をnoteに公開します。内容は、私のにとっての「推し」の在り方に関するものです。  なお、今号にはVTuberについて書き記すことに関して6000文字ほど書いたので、ぜひVol.2を買ってお読みいただければと思います。 VTrue Vol.2の詳細はこちら 実家、あるいはどこかで推しが配信していてくれること帰るべき場所としての推

          実家、あるいはどこかで推しが配信していてくれること ――帰るべき場所としての推し論