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私のお気に入りの孤独(4)
4
2015年の5月末、笑子は、再び帰省することになった。今度は、父方の祖父の七回忌に出席するためだ。
よりによって、このときが、笑子の体調不良のピークだった。新しい薬の副作用と、前の薬が抜けないことによる副作用。新しい薬はすぐには効いてくれないので、抑うつも収まらない。
抑うつ、食欲不振、そして低血圧からくるめまいや動悸。笑子は実家で殆ど寝てばかりいた。法要の最中すら、ちょっと立ち上がるだけでふらついて、周囲がぐるぐる回っているように感じた。伯父の家で皆で食事をしても、笑子は殆ど何も食べられず、伯父や伯母に「笑子ちゃん、ごめんね、おいしくなかったかい?」と心配をかけた。
法要を終え、一家は伯父の家から車で帰った。後部座席で眠っている笑子をちらちらと見ながら、勇と弘子は、小声で話し合った。ふたりには、笑子について、少し前から考えているアイデアがあった。助手席の弘子は、笑子のやつれて骨ばった頬に気付き、すぐに勇に伝えた。
そしてふたりは、密かに、ある決心をした。
笑子が実家に来てから3日目、法要の翌日、笑子の調子が比較的良さそうだと判断した勇と弘子は、夕食後、笑子を呼び、親子3人はリビングのテーブルを囲んだ。勇と笑子が差し向かいで、勇の隣、笑子の斜向かいに弘子が座った。
笑子はふたりが何を意図しているか、何となく察しがついていたが、わからない振りをしてテーブルの前で正座した。
テレビのバラエティ番組を消して、勇が口を開いた。
「笑子、そろそろ帰っておいで」
(やっぱりだ)
笑子は思ったが、それを隠して言った。
「な・・・・・・何で? お医者さんから、離れるべきだって言われているじゃない。一緒にいるのは危険すぎるって」
「でも笑子、あなた、そんなに弱って、ひとりでやっていけないじゃないの――」
弘子はつい今までの癖で心配が前に出た口調になった。それを途中で勇があっさり制して、説明を続けた。「失敗してしまった」というように、弘子はしばらく、ばつの悪そうな顔をしていた。
「私たちは、引き続きカウンセリングを受けていてね。カウンセラーさんから、もうそろそろお前と生活しても大丈夫じゃないかって言われたんだ。進歩したんだ、私たちも。今までとは違うよ」
笑子が実家にいた頃、勇は自分が考えていることはもちろん、自分が置かれている状況なども、何一つ家族に話そうとしなかった。それが原因で、勇が無職の時期、笑子や弘子はさんざん八つ当たりをされたのだ。伝える術を持たなかったために、伝えることを良しとしなかったために。けれど勇はすっかり変わった。営業・販売の仕事を長い間続けた影響もあるだろうが、しっかりはっきり説明してくれるようになった。まっすぐ、笑子の目を見て。
勇の説明を見守った後、今度は弘子が、冷静さを取り戻し、笑子に向けて語りかけた。
「いつでも受け入れる準備はできているから。焦らなくていい。気長に、気楽に考えてみて。これは命令じゃないのよ」
そう言って弘子は笑子に笑いかけた。
かつて、弘子は、自分の感情を抑えるということができず、ヒステリーのスイッチが一旦入ったら、20~30分はずっと混乱し、癇癪をまき散らしていた。よく笑子を急かしたし、「どうしてできないの、わたしは頑張って乗り越えたのに」が口癖だった。「焦らなくていい」「気長に」「気楽に」などという言葉を、弘子の口から聞く日が来るとは思わず、笑子は内心、面食らっていた。弘子は自分の感情をリセットし、コントロールする術をすっかり身につけているようだ。すっかり、というべきか、ようやく、というべきか。ともかく、かつて医師が懸念した、弘子が笑子を急かし、責め、コントロールしようとする傾向は、今やほとんど影をひそめていた。
「ちょっと、考えさせて」
両親それぞれの顔を見て、ひとこと告げて、笑子は先に自室へと引き上げた。
眠る前、ベッドのなかで笑子は、帰省する直前の暮らしぶりを思い返していた。
2年くらい前に逆戻りしたような生活だった。自炊は再び出来なくなって、インスタントのお粥をレンジで温めたり、カロリーメイトやウィダーインゼリーなどを食べたりするのが精一杯。洗濯も掃除も苦痛になっていた。いつも家で着ている服はパジャマを含めずっと同じで、汗の匂いなどが染みついたままだ。部屋に掃除機ひとつかけられず、家のなかのあちこちに埃が溜まっている。
ブタさんたちが来ても、以前ならそのときだけ片付けるくらいは出来たのに、最近ではそれも出来なくて、部屋に入るなりブタさんは顔をしかめていた。
部屋の惨状から、笑子の状態がきわめて悪いことを読み取ったブタさんは、行政が窓口になって、障がい者向けにヘルパー制度をやっている話をしてくれた。訪問看護では、ヘルパーにあたる仕事、例えば掃除や洗濯や炊事を代わりに行なうことは病院の規定に反するため、出来ないのだという。但し行政のヘルパーに申し込むには、区役所に行かなくてはならない。ブタさんたちは、笑子の代わりに区役所に行ったり、笑子の付き添いをしたりということは出来ないそうなのだが、今の笑子には、住んでいるマンションから歩いて10分の、区役所までの片道の道のりすら、辛いのだ。
ブタさんは他にも、グループホームの制度だとか、病院が運営しているホームだとかの説明をしたり、パンフレットをくれたりしたのだが、笑子はそれらにも納得することが出来なかった。結局、ヘルパーにしてもグループホーム等にしても、他人の干渉から逃げられない。訪問看護で既に他人の干渉にうんざりしているところに、新たな干渉を入れるのは、もはや『私のお気に入りの孤独』とはほど遠い、「ひとりの生活」とは言いがたい、と思った。そうまでしてひとり暮らしにしがみつく意義は、もうなかった。
実家滞在中、今回も笑子はポエムを全く書けなかった。しかしそれを責める気持ちはもう起こらなかった。居心地はよく、心は安らいでいる。包み込まれているようだ、そう感じた。同じように一日じゅうベッドで横たわっていても、同じように部屋でひとりでいても、どこかで、両親が温かく見守ってくれているのがわかった。そこに、ひとりのときの追い詰められて切羽詰まった感覚――それはポエムを書くには不可欠なもの――は、全くない。
笑子は最後の迷いを試すために、心の平安と、ポエムを書き続けることを天秤にかけた。他にはもう、心残りはなかった。
実家の自室のベッドの上で、何日もずっと悩んで、悩んで、笑子は遂に結論を導き出した。
ひとりの家に戻る前日、今度は笑子が勇と弘子を夕食後のリビングに呼び出した。そして、頭を下げて、両親に請うた。
「お父さん、お母さん、また一緒に暮らすことを許してくれますか」
「もちろん」
両親は異口同音に同意してくれた。
勇は笑子が初めて見る、優しい笑顔で微笑んだ。弘子は頷きながら涙を浮かべていた。
2015年6月、訪問看護の日がやって来た。そこで笑子は、ブタさんに向かって実家に戻る決心を話し、訪問看護の契約を終わりにしてほしい旨をも伝えた。
笑子の話を聞くほどに、ブタさんの顔つきがどんどん険しくなっていった。契約を終わりにするのが面白くないのだろうと、初め、笑子は思っていたのだが、どうもそうではないらしい。笑子が話し終わると、ブタさんは鼻をピクピクさせながら言った。
「あなたの主治医さんから聞いているわよ。ご両親からいろんなことを言われて、傷つくようなことをされて、特にお母さんからはかなりひどく干渉されて、力ずくで引き離さざるを得ない状況だって。生活保護を受けないで家族に面倒をみてもらうのは、一般的には確かにいいことだけど、あなたの家は事情が違うでしょう? ちょっとカウンセリングを受けたからって、身についた考え方や接し方のクセはそう簡単に治らないし、あなたもちょっとしたことで以前の仕打ちを思い出してしまうわよ。また同じことを繰り返すの?」
ブタさんは誠意で言ってくれている。思えば最初から今まで、ブタさんの言動は全部、笑子のためにと考えてのものだ。それは、考えずとも良くわかった。
でも、ここで丸め込まれたら、笑子こそ同じことの繰り返しになる。両親に言われた通りに生きてきた半生に、ブタさんに言われた通りの選択をする現在を塗り重ねることになるのだ。それが苦痛だったから笑子は病んだ。もう、言われるがままの生き方を繰り返したくない。笑子は、あらかじめ考えていたことを、まっすぐに言い放った。
「両親はわたしのために変わってくれました。お互いに、仲良くやれるよう、努力を維持していきます。それが一緒に暮らすということです。あなた方にはもう頼りません」
ブタさんは怒りで真っ赤になっていた。
「あなたねえ、そういう言い方――」
「言い方は悪かったと思います。申し訳ありませんでした。でも、わたしも同じことを繰り返したくないからこそ、言いたいことを溜め込んで我慢するのは、もう止めにするんです。両親と長く暮らしていくためにも」
笑子の眼差しは、いつになく鋭く、スタッフふたりは少したじろいだ。
ややあって、ブタさんが、もうお手上げといった調子で告げた。
「・・・・・・わかったわ。了解しました」
サブスタッフが書類をブリーフケースから取り出して、笑子に渡した。「契約解除届」と書いてあった。
笑子はそれに署名と押印をして返した。こうして、1年弱のあいだ続いた訪問看護は、幕を閉じた。
翌日、笑子は区役所の担当ケースワーカーの直通番号に電話をかけ、簡単に事情を話し、生活保護の辞退届を請求した。
するとその日のうちに、ワーカーさんが家庭訪問にやって来て、笑子に書類の記名押印を求め、生活保護から通常の暮らしに戻るために必要な手続きを嬉々として説明した。
笑子の申し出を直接聞いたワーカーさんはこう言った。
「それは良かったですね!」
見たことのない満面の笑みと、勧められるがままに服を買ったときのアパレル店の店員のような「してやったり」感に溢れた口調。
(追い出せれば何でもいいんだな)
内心で笑子はすっかり呆れた。そして、医療や福祉に頼った「独立」の限界を知った。ひとりに見えても、実際はこのような人たちのコントロール下に入って、小さくなって暮らすのだ。
脆くて危険な、自由のまがい物。しかし逆に考えると、何を言われても、どんな目で見られても、なりふり構わないならば、こうしたかたちの「独立」の道に救いを求めることもできるのだ。それを知っただけでも、大違いだと思った。実家に帰ったらもうどこにも逃げられない、なんてことはない。ゼロか100かで自分のまわりの世界を捉えるのは、もう止めにしよう、とも。
マンションの管理人に、残り1ヶ月で部屋を引き払うと伝え、家財道具の大半をリサイクルショップに売った。値がつかないものは引き取ってもらったり、大型ごみとして処分したり、一部のものは両親に車で取りに来てもらったりして、笑子は『私のお気に入りの孤独』を捨てる準備を着々と進めた。
皮肉なことに、ひとり暮らしをやめて実家に戻ると決めた日を境に、少しずつ体調がよくなってきた。自分の手でできることが増えるに従って、家財道具の整理はスピーディーになり、立ち退き準備は順調に進んでいった。
そんななか、困ったことがあった。
この期間中、笑子は毎日のように悪夢に苦しめられたのだ。
夢というのは不条理な内容が多いといわれるが、笑子の悪夢も例外ではなく、よく考えるとどれも現実にはあり得ない荒唐無稽なものばかりだった。しかし、笑子を怯えさせ、自分の選択が果たして正しいのだろうかと、不安を抱かせるには、十分すぎるものだった。
実家に帰ったはいいが、昔とまるで変わらない調子の弘子に、罵倒され、幼い頃の縄跳びでぶたれ、「こんなはずじゃなかった。わたしは間違っていた」と後悔する夢。無職になったときと同じ調子の勇に観ているテレビを消され、激しく怒鳴りつけられ、これまた当時と同様に弘子にぶたれる夢。また、勇なり弘子なりに怒られた笑子が逆上し、暴力を振るう側になる夢も多く見た。一番ひどいものは、弘子とブタさんを包丁で刺殺する夢だった。このふたりが居合わせるはずはないのだが、そこは夢である。当時の笑子が知っている人間のなかで、最も強い反感や憎しみを抱いたふたりだったのかもしれない。笑子が現実世界で実行しないで深層心理に閉じ込めた恨みつらみが、夢のなかで具現化されていたのかもしれない。
悪夢を見て、目を覚ました笑子はしばしば、強い抑うつ状態に襲われた。
「死にたい」
そう呟いて、起き抜けに号泣したこともあった。
(体調がよくなったのだから、ひとりでいられない理由はもうない)
(でも、ちょっとのことで、ひとりでやっていけなくなるのは事実だ)
(やっと手にした自由を、わたしは自分の手で捨てようとしている)
(また両親の言いなりになる。また同じことを繰り返すんだ)
(間違えている、間違えている)
自責の念が迫ってきた。左腕の古傷を見つめ、カッターナイフを探している自分に気付いた。
笑子はそのたびに腕を押さえて涙を流した。
そして自らに強引に言い聞かせ、立ち上がった。
(繰り返しは嫌、繰り返しはもう嫌、わたしは変わるんだ)
(わたしは変わったんだ)
「――笑子?」
「あっ」
背後から声が聞こえて、振り返ると段ボール箱を抱えた勇が困った顔をしていた。
「どうしたんだ、さっきから何べんも呼んでるんだぞ」
「えっ、ごめんなさい、ぼうっとしてた」
「何だ。せっかくお父さんとお母さんが手伝いに来てやったのに」
「心配かけてごめんなさい。わたしは大丈夫だから」
「そうか。なら、いい。この段ボール箱も、車に積んでいいかどうか聞きたかったんだ」
「車に積んで。赤マーカーで丸をつけてあるものは全部積んで」
「ああ、わかった」
そう答えて、勇は車の後部座席にその段ボール箱を積み込みに、部屋を出ていった。
「笑子、あなた眠れてないんじゃないの」
今度は弘子の声がした。先ほどのやりとりが聞こえていたらしい。
「隠そうとしても無駄よ。目の下のクマ。無理しちゃダメなのよ。段ボール箱の荷物くらい、お父さんとお母さんだけでできるんだから」
「うん・・・・・・何だか最近暑くて、よく眠れなくて」
「この部屋はどうも暑くてよくないわね。どうりで汗が出てくると思った。うちに帰ったら、ちゃんと涼しくなるから、そしたらよく眠りなさい」
「ありがとう。でも、もう、あと少しだから大丈夫。終わったらちょっと寝るから」
「そうね、何事も休み休みやるのがいいわね」
弘子は微笑んで、階下のスーパーマーケットからもらってきた段ボールを折り目で曲げ、隙間をガムテープで塞いで箱にする作業の続きに取りかかった。
次の日になったら、笑子は部屋を引き払い、実家に帰ると、両親には告げてある。部屋はもうほとんど空になっていた。あとは少しの段ボール箱と、笑子が直接手持ちで運ぶ、出発直前まで必要になる持ち物だけだ。
笑子は弘子が作ってくれた段ボール箱に残りの荷物を詰めながら、自分を受け入れてくれる人や場所があるありがたみを噛みしめた。ひとりの自由は失うけれど、ひとりじゃない温もりを得ることができる。それが今や待ち遠しかった。
夢で見るように、また両親とうまくいかなくなる可能性はある。一緒に暮らす以上、自由は失うし、多少の干渉もされるだろう。でも、笑子は、それらを引き受ける覚悟が、今のやりとりを通してできた。
(これからどうなるかわからないけど、とにかくやってみよう)
不意に勇気が出てきた。
それは、今まで全力で毎日をやり尽くしたからこそ、心の底から沸く、振り切れた渇望だった。
(わたしは負けたわけじゃない)
ポエムは、2度目に実家に帰省して以来、すっかり書けなくなっていた。でもそれは終わりを意味してはいない。また書けるとき、思いついたときに、書けばいいのだ。
部屋がトランクケースと笑子だけになり、両親が帰った後、笑子はがらんどうの部屋のなかでひとりトランクケースを開けた。先日、両親にお金を前借りして、スマートフォンを買ったばかりだった。ラジオが聴けるアプリがあるのを思い出して、取り出そうとした。
トランクを開けるなり、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ荷物が少し飛び出してきた。何冊かの本だ。そのなかに、『私のお気に入りの孤独』の単行本もあった。ページが開かれたまま、床に落ちてしまった。笑子は慌ててそれを拾い上げた。
幸いにもページは折れてはいなかった。これも何かの運だと思ってそこのページから読もうとすると、見慣れない文章が並んでいて笑子は驚いた。何度も繰り返し読んだ本のはずなのに。恐らく、うっかり飛ばしてしまっていたのだろう。
薄暗い窓の外から、ぽつぽつと鳴るのが聞こえてきた。笑子は雨音をBGMに、読み損ねていた「エピローグ」に目を通していった。
「屋根裏部屋で死体となったエミリーの姿を見つけた女主人は、エミリーを抱いて泣き崩れてしまいました。
『ごめんなさい、ごめんなさい・・・あたしはあなたを家族みたいに思っていたのよ。家族なんだから、多少のわがままは許されるって思っていたんだわ。でも、やり過ぎたのね。あなたに伝わらなかった。あなたは心を閉ざしてた・・・・・・いいえ、それはあたしが、あんまりにもあなたにきつく当たってきたせいなんだわ。ひとりぼっちの、あたしをおいて。それがあなたの答えなのね』
そして女主人は悲しみを一生引きずったまま、ひとりでおばあちゃんになって、やがて死んでいきました。」
物語はそんなふうにして幕を下ろしていた。
笑子は思った。
(ひとりじゃいられない。だけど一緒にいたくない。どっちも答え。どっちも正しい)
(わたしは、どっちを選ぶこともできるんだ。テストみたいな、たった一つだけの答えなんてないんだ)
(今出した答えは正しいとはかぎらない、でも今出した答えが間違いだともかぎらない)
(わたしにとって、この2年の『私のお気に入りの孤独』は、決して無駄じゃなかった)
笑子は小さく微笑んで、頷き、本を閉じ、他の本と一緒に丁寧にトランクにしまい、トランク横のジッパーを閉めて少し眠った。もう悪夢は見なかった。
翌日、トランクひとつを持った笑子は、部屋を出て、鍵をかけて、管理人に鍵を返却して頭を下げた。そしてトランクから折りたたみのベージュの傘を出して、オートロックの出入り口を通り抜け、実家へ向かうJR駅を目指して歩き出した。
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