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運命を変えるアサイゲルマニウム4(志柿松作会長の場合)

浅井ゲルマニウム研究所・志柿松作会長の運命を変えたアサイゲルマニウム

志柿松作氏は今年の3月まで株式会社浅井ゲルマニウム研究所の代表取締役社長を1998年からの長期間担ってくださった。今、やっと重荷を下ろして会長職としてぼくたちの経営を見守っていただいている。

社長時代の志柿現会長(2018年頃)本社会議室で

志柿会長は熊本県天草の生まれで、長じては商才に恵まれ、1990年代には財を成していたと聞き及んでいる。そのような中で、得られた財産を良いものに使いたいと考えていた時、アサイゲルマニウムに出会われた。
アサイゲルマニウムのような、人のためになるもののために一肌脱ぎたい。そのような思いで『ゲルマニウムと私』を読んで浅井ゲルマニウム研究所を訪ねてこられたと伺った。当時、社長であった柿本紀博氏は非常に頼もしい支援者を得た。浅井ゲルマニウム研究所の発展のため、多くの私財を割いて多方面で支え助けてくださっていた中、1997年の厚生省による薬事法告発が起こった。
ここには書き記せない様々なことが、当時あったことを後になって志柿会長から伺ったが、ここに記せることとしては、厚生省の指導に従うことを当時の役員に勧めたが会社として受け入れきらず、結果として告発に至ってしまったということだ。
薬事法違反となった以上は責任者であった役員は退席せざるを得ない状況。その薬事法違反で営業停止になった会社をどうしていくのか、誰が引き継ぐのかは、今の時点でぼくが考えても五里霧中の状況であったことは容易に想像できる。

そう。浅井ゲルマニウム研究所という会社は非常に変わった会社なのだ。何が変わっているか・・・この会社には所謂売り物が50年以上にわたりアサイゲルマニウムだけしか存在してこなかったのだ。1997年当時も、結局は今もそのままなのだ。一般的な企業としてはあまりにも危うすぎる。
そんな会社で、アサイゲルマニウムを製造販売することを禁じられたのだからたまらない。普通に考えれば、倒産して会社を閉じるしかない状況にしか見えなかったはずだ。そんな中、それまでの役員は柿本社長・佐々木専務共に辞任しなければならない状況で、その役を変わって担う能力を持つ社員は当時はいなかった。そこで、外部で関わって支援してきてくださった志柿氏に助けを求めたという。その頃、ビレモ薬品という会社(現在の株式会社ビレモ)を志柿社長が熊本で経営し、ゲルマニウムを取り込ませたスピルリナを販売していた。そんな中でアサイゲルマニウムの素晴らしさを十分に知っていて、この素晴らしい物質と会社を将来に残さなければならない!との思い、心意気で、まさに火中の栗を拾い我々が路頭に迷うことを防いでくれた

その後、浅井ゲルマニウム研究所の社長となった志柿会長のご苦労は如何ばかりだっただろうか。厚生省に通い、直談判し、アサイゲルマニウムを日本の将来のために残さなければならないのだと、浅井博士の功績とともに説明、上級官僚相手に演説し、最終的に「社長、頑張ってください!」との言葉を引き出したそうだ。
会長は今でこそ歳をとり、ほっそりとしてしまったが、26年前には背も大きく、声も大きく、気迫も九州男児の気質で力強かった。強い思いで、アサイゲルマニウムを後世に送るための一世一代の熱弁を振るったのだろうと想像する。

また、すべてのことを働かせ、アサイゲルマニウムを・・・浅井ゲルマニウム研究所を守るべく、多方面に及んで尽力してくださった。25年間近くの社長在任期間には、ぼくら現役員が思いもよらない様々な問題があっただろう。それこそ、最初は収入はゼロ。しかし雇用を切ることはせず、その後も赤字が何年も続く中でも耐え忍び、この会社とアサイゲルマニウムという物質を守ってきてくれた方なのだ。最後には、資金も尽き果てそうになった。しかし、不思議な天の配慮により守られて今に至った。その背後には天の差配だけではなく、志柿社長の人知れぬご苦労があったことは間違いないと、ぼくは確信している。
今、ぼくたち(梅田社長とぼくと、齋藤取締役)にバトンを渡し、アサイゲルマニウムの認知も多少向上し、その素晴らしさを知り求める人達が増えてきたことに、志柿会長は心から喜ばれている。
いわばアサイゲルマニウム最大の難関・苦難を切り抜けるためにすべてを掛けて踏ん張ってこられた、そのことはアサイゲルマニウムの持つ魅力・チカラを見抜き、損を覚悟でアサイゲルマニウムを支える運命に踏み入れられた後半生だ
今、嵐の海から穏やかな港に入港し、安らぐ時となっている。

昨年夏に中村篤史先生の息子さんを抱いて

ぼくたち現役員が、アサイゲルマニウムを後世に残す、いや残すだけでなく”人々の健康を引き上げ、そのことを通して僅かなりとも人々の苦難を除き、平安に過ごせる助けとなるための経営”を進めていけるように、守り導いてきてくださったように感じている。
このような大変な運命を受け入れるに至らせた、アサイゲルマニウムという物質。ぼくは大切に多くの方々に届けたい。いま、ぼくが出来ることをやる。それが志柿会長のご苦労に報いることに繋がるはずだ。

感謝とともに。



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