2年半を振り返る
今日久しぶりに一年前にやってたゲームやってさ。当時の感情を思い出したわけ。…とんでもなくしんどかった。1年前、親が今世紀最大の大喧嘩をして、私は涙ボロボロだった。夕飯の席で突然始まるんだもの。いつもは平和な両親。もちろん片方が我慢してたりしてうまく成り立ってたわけだけど、それでも大事には至らなかったわけ。
あの日はひどかった。
母が「私が早死にしたらあなたのせいだからね」って言ったのよ。重すぎでしょ。たいして父も非を認めず、「昔のことを掘り返されても困る」の一点張り。その「昔」にも母は意見を言っていたのに、深刻に受け止めてもらえなかったんだよね。そんないい争いを目の前で繰り広げられて、私のメンタルはボロボロ。ぐしゃぐしゃに泣いていた。「私なんでもやるから生きて」と母に泣きついた。
やっと安定しかけてきて、2階の寝床から食事の時だけ1階に下りれるようになったところで大喧嘩が起きた。両親のことは基本的に好きだから、不和を見るのがとても辛かった。元気なときに喧嘩されたなら大丈夫だったかもしれないけれど、メンタル弱ってるときに起きたから岩石が飛んできて大ケガをした感じ。
母の負担を少しでも減らしたくて、具合が毎日悪いなか洗濯物干しを一部やっていたんだけど、母の家事のリズムに合わせることができず。結局1ヶ月で挫折した。「いいよ、私がやるから」と言われたときのショック。辛かった。役に立てない自分が、仕事してたころの上司に怒られてるときの心情と重なって、余計に辛かった。
しかも両親は大喧嘩の次の日から何事もなかったかのように会話をしていた。「体力的に限界で死ぬかもしれない」という深刻な喧嘩だったのに、翌朝からなんでもない話をしている。気持ち悪かった。
切り替えがすごいと言えばそれまでだけど、せめてあんな言い争いをした後くらいお互い無視するとかしてよ。なんで通常運転なわけ?二人の心情が理解できずに苦しかった。あんな喧嘩の後だから私は二人に気を遣ってるのに、二人は私に気を遣ってない。だんだんその異常な空気に我慢がならなくなって、3食自分の部屋で食べることにした。一人になることで少し平穏が訪れた。
そこで気がつく。同居はムリだと。私には一人暮しの方があってる。もともと同居が嫌で県外の大学を選んで、その県で就職したくらいだ。心身壊して実家に戻ってきただけで、同居したかったわけではない。ストレスがつもりに積もって、家に居ることに耐えきれなくなって、10・11・12月は毎月1週間外泊をして実家を離れた。正直体力的には限界だった。まだ具合悪いのがデフォルトで、フラフラしていた。それでも一人になった瞬間、どっと安心感が押し寄せた。これで正解だったと身に染みた。
困ったのは翌年1・2・3月。コロナのせいで外泊を禁止された。両親はどちらも基礎疾患持ちなのだ。精神科の主治医からはホテル泊を指示されていることを伝えたが、コロナを持ち帰ったら困るという理由で却下された。このころ私は希死念慮が強くなっていた。「今すぐ死にたい私と、コロナのリスクとどっちが重要なの?」と思ってしまった。
結局、部屋を間仕切りすることに着地し、私は仕切られた一角で生活することになった。それまでは大部屋で両親と川の字になって寝ており、プライバシーもなにもなかったのだ。ベランダのある部屋だったため、母が出入りする。洗濯物は1階に干してもらうことになり、丸一日母が出入りすることはなくなった。物干しワイヤーを買い、シーツを二枚並べて仕切ってみた。いくぶんかましだった。入口のドアが見えなくなるだけでほっとした。
そんなこんなで1月はメンタルがひどかった。死ぬために自分に手向けの花を買って帰ったこともあった。YouTubeで話したが、父が理解を示してくれて、そのときは自死を免れたのである。間仕切りで一人の空間が確保され、食事は2階に持ってきてもらい静かに一人で食べる。寝ていようが起き上がっていようがなにも言われない。徐々にメンタルは安定していった。
ちょうど同時期、ペットをお迎えした。知人のモルモット夫婦から産まれたふたごちゃんを引き取ることになったのだ。モルちゃんのケージは間仕切りの内側に入れた。昼間は起き上がってじっともるちゃん観察をし、深夜に中途覚醒してしまったときは干し草を噛む音に癒される。時々小さな鳴き声もする。まさに癒しだった。
さて、2月になると別のダメージが起きるのだが…『二人の親友との別れ』『忘れるのが吉なのか?』を読んでみてほしい。平和な今はふと忘れそうになるけれど、私の療養期間は決して穏やかではなかった。自殺寸前までいったことが2回あったし、ストレスのはけくちとして買いもの依存症になったり。去年の秋冬を振り返っただけでこれだ。決して生ぬるく惰性で生きていたのではない。
最近よく「私はこの2年半で何をした?」と自分を責めてしまうのだが、十分色々やってきたわけである。忘れそうになっているだけで十分心身削りながら生きてきたのだ。十分すぎる。だから今後はそんな風に自責することはやめようと思う。これで少しは楽になるかな?なってほしいな。
嫌な思い出フラッシュバックの あさひ野
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?