ケウラ岩塩鉱山(パキスタン)2010
岩塩鉱山 Salt Mine
地中に埋もれた巨大な塩の鉱脈、塩が地中にこれだけ埋もれるには理由がある。勝手に塩が塊になってできたわけではない。大昔、そこは海又は塩湖だった。それが造山活動やプレート移動などによって現在のような岩塩鉱脈として現れたわけだ。今回のケウラ(Khewra)の場合は海だった。そしてユーラシア大陸にインド亜大陸がぶつかり太古の海が持ち上げられたわけだ。おそらくKhewra付近がくぼんでいたので海水がここに大量にたまり持ち上げられ乾燥した後にこのような形になったわけだろう。
岩塩に対し海の塩は辞書的には海塩(かいえん)という。しかし「かいえん」と聞いて漢字の「海塩」が思い浮かぶという人はまず滅多にいまい。実際にパソコンでも変換されない。流通上の商品としては天日塩(てんぴじお)の呼び方の方が、はるかになじみがある。要は海水を塩田に引いて天日の下で何日もかけてゆっくりと蒸発させて作った塩だ。しかし現在ではそんなのんびりと太陽の元で水が蒸発するのをゆっくり待つという気長な製法は鳴りをひそめ、海水を釜で炊いたりして水分を飛ばす製法が主流になっている。こちらは商品としては天然塩というジャンルのようだ。しかし正確には天然塩には釜炊きと天日干しの両方が本来含まれるそうだけど、現実には天日塩は伝統製法を売りにしたいので天然塩と書くことはほとんどないと思う。ちょっと話が脇道にズレたけれど、ここでは海塩(かいえん)が一般的ではないので海の塩と表記してみる。
それでは海の塩とこのような海由来の岩塩は元が同じ海水ということになるけれど、成分的に同じかというと微妙に違う。岩塩の方は長年わたり地中の成分が溶け込んでいるらしい。色でピンクや黒というのは溶け込んでいるものやイオンなどにより異なるという。黒っぽい場合は鉄分が多いとされているようだ。
そういえば料理において、肉には岩塩、魚には海塩といわれる。岩塩の方が地中のミネラルが含まれていて海塩よりまろやかと一般には言われているようだが、そういった微妙な味の違いも含め、両者は別物として扱われている。
ケウラ市 Khewra City
ケウラはイスラマバードから約2時間程度と十分に日帰りで行ける距離。ここの岩塩は美しいピンク色をしている。見た目も美しいので岩塩というとこのケウラのものが一般に流通しているのではないかと思う。よくヒマラヤ岩塩とかピンクソルト、ローズソルトとして売られているのが大抵このケウラ産の岩塩だ。この岩塩鉱山の歴史はかなり古く、アレキサンダー大王の遠征の時代というから驚きの古い歴史を誇っている。当時の軍馬が塩を舐めていたことから発見されたという。
ケウラに入ると先ず目に入ったのは広場に転がされているピンクの大量の岩々。そして男たちがこの岩をトラックに載せている不思議な光景だった。
どう見ても男達のこのピンク岩に対する扱いというのは完全に岩である。誰がどう見ても人の口に入るようなモノを扱っているように見えない不思議な光景だった。男たちはピンクの塊の上を平然と土足で踏みつけそして手荒にトラックの荷台にひたすら放り込んでいた。日本で買うと高価なピンクソルト、しかしここでは普通の岩同然に扱われ、しかも適当に持って帰ってもいいよ状態でちょっとビックリした記憶がある。口に入るだけでなく、それなりに取引されるものであるはずなのに、ここでは全く商品価値がないぐらいに軽い扱いとなってしまっている。せめて売り物なのだからもっとキチンと商品管理しないと、などという考えはここでは微塵も感じられなかった。
大きい塊の一部はお土産と加工される。岩塩は半透明なのでランプにはうってつけの素材らしい。広場のそばの表通りにはお土産屋が立ち並び岩塩ランプも売られている。その一方裏通りに足を踏み入れると何軒もランプ加工工場が軒を連ねており、岩塩を削る騒音が通りに響き渡っていた。ちょっと中を覗いてみようかと思ったが、思いのほか工場内部は岩塩を削る煙がもうもうとしてとても見れる状態ではない。入り口では別な男が四角に削り終わったブロックを外に運び出し、まだ未加工の岩塩を中に運び入れていた。男は煙が酷いので顔を布で完全に覆っていた。
その中でも一軒だけはそれほど煙が舞い上がっていなかったので覗かせもらった。削る際に岩塩が飛び散るのが危険なためちゃんとゴーグルにヘルメットまでしていた。思っていたより安全管理がしっかりとしていたのでパキスタンの田舎でもちゃんとしてんなと思った記憶がある。写真右下にカット済みの岩塩ブロックが転がっている。まずはこのように大雑把に削り出しそれをさらに細かく加工して家の形にしたのが次の写真だ。そしておそらく別なところで内部に電球などを入れるのだろう。
ケウラ岩塩鉱山 Khewra Salt Mine
土産物通りを一通り眺めた後に食堂で腹ごしらえをしてからメインとなる岩塩坑道入り口に向かう。ここからはトロッコに乗って内部に行く。確か徒歩でも行ける。ちゃんと覚えていないが行きは歩きで帰りがトロッコだったような気がする。記憶がおぼろげだが行きはトロッコの席がとれなかったためだ。トロッコ乗り場では他の観光地に比べ子供たちが比較的多かった。大人はどちらかといえば子供の引率で、いわば子供の社会科見学に近い存在なのだろうと思う。
トロッコ到着駅からしばらく歩いて目に入るのは岩塩でできたモスク。かなり古い歴史をもつ鉱山に対しこのモスクそのものは50年前に作られたという。それ以前はもっと質素なモスクがあったのかもしれない。ブロックに電球が設置され光り輝く岩塩が薄暗い地下をバラ色に明るく照らしていた。作業中にお祈りの時間が来ればここで祈りを捧げるのだろうか。それとも作業場に向かう前に祈りを捧げてから奥に向かうのだろうか。いずれにしても地下奥深くの作業する人にとって神のご加護というのは精神的にも必要なのだろう。世界最古の岩塩鉱山で有名なポーランドのヴィエリチカ岩塩坑でも礼拝堂がある。日本でも登山道入り口付近に安全祈願の神社が建てられているのと似た状況なのだろう。昔は現在と違って時に落盤が発生したはずだ。このモスクが作られた半世紀前だとしても今の技術からすると時に事故のリスクがあったろう。時々死を意識しながらの仕事は日常と化した流れの中で稀に事故が発生し仲間を失う。危険であればあるほど神への信仰が深まるのだろう。今では観光客の写真スポットとなっているピンクモスクは昔の作業員たちの祈りのパワーが込められている。岩塩モスクは現在子供たちを連れた家族の楽しいひと時を見守る一方、昔は事故のいたたまれない作業員の生死を見守ったのかもしれない。
内部は美しいピンクローズの壁が広がっていた。所々、雨水がしみこむためか、鍾乳洞の石筍のようなものも見える。石灰ならぬ塩の石筍だ。坑道は迷路のように伸びていた。一部では湧き水だろうか水が溜まっていた。美しいバラ色の地層のような壁を眺めながら子供たちのはしゃぎ声が坑内に響き渡っていた。一通り見学が終わって帰りのトロッコに乗り込む。子供たちは興奮冷めやらぬ状態で一緒に乗り込む。何となく自分が子供たちの遊び場に来ているような不思議な感覚がありちょっとだけ恥ずかしい気分もあった。
このケウラ岩塩鉱山は今でもバリバリに稼働している現役の鉱山。海から離れた内陸のパンジャブでは貴重な資源だったはずだ。昔はかなり小規模だったらしいが鉱山の歴史を紐解くとイギリス統治時代に坑道やら塩の貯蔵部屋などが拡張され大量の掘削が可能になっていったという。この時代にレイルも敷かれたらしい。今は世界にピンクソルト、ローズソルトとして日本にもなじみのあるケウラの岩塩。有名になる大規模掘削そのものはイギリス植民地時代に整備されたという歴史を考えると、世界的な知名度の裏には塩辛い歴史があるようにも思えてくる。ローズソルトの過去は必ずしも塩の色のようにバラ色ではないのかもしれない。
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