見出し画像

SNSで何かを発信しても注目されないのはなぜか


みなさんお元気でしょうか。かなり久しぶりの投稿になってしまいました。

今回はSNSなどを通じて何かを発信している人に向けて悩みを共有していきたいと思います。

例えばですが何かYouTubeやX、Instagramで発信したのに誰も反応してくれなかったりすることってありますよね。(僕だけかもしれませんが。)
僕の場合は絵本なのですが、Instagramに投稿してもいいねすらほぼつきません(笑)。

約1年間作品を描いて投稿しつづけましたが絵本が売れたのはリアルな場だけでオンラインでは大抵売れません。

SNSはあんまり好きではないのですが、好きなことで生計を立てるためにやむ無しという感じで投稿を続けていましたがInstagramのフォロワーは伸びるどころか減っていきました。

SNSにも向き不向きやその人の性格によって相性だとか色々あるのでしょうが、結局は自分自身のリアルな人間関係の拡大版でしかないのかなとも思います。

僕は人と関わることに楽しさを感じないので、誰かと遊びに行くこともなく時間がある時は大抵本屋に一人で行ったり、自宅で本を読んだり映画を見たりしています。

本当は深い話がしたいんだけど僕の趣味が特殊すぎて大抵みんな着いて来れなくなってしまいます。

例えば、意識はどこから生まれたのかとか、人生の本質はどこにあるのかとか(笑)。ぶっ飛びすぎって言われます。

あと、都市伝説とか答えの出ない謎の多いものが大好物です。

僕が何かを創作する行為はそのリアルの中の埋め合わせなのかもなと最近思うことがあります。

孤独の中一人思考の世界に浸る自分。

最近、僕の描いた絵本を今働いている弁当屋で売っていただいているのですが嬉しいことがありました。

4歳くらいの男の子が父親と一緒に来店して、弁当のショーケースの横にある絵本を見て真っ先に飛びつきパラパラとめくって

「これ、お兄さん描いたの?」って聞かれて
「そうだよ。よくわかったね。」って言ったら
「だって絵が上手だもん」って言ったんです‼︎

3冊置いてあるのですがじっくり1冊づつ吟味して
「ああ、やっぱり上手」って。

お父さんが弁当を注文されてから待っている間ずっと読んでいたようで

商品を渡す時に絵本の意味を聞いてきたんです。

「君はどう思う?」って聞いたら。

キャラクターを見てこの子はこういう子でこれはこういうことなのかなって一つ一つ丁寧に説明してくれたんです。

僕はその少年と同じ歳の頃、父親が古本屋で買ってきたドラえもんの小さな文庫本を何度も読み返していたことを思い出しました。まだ意味はわからなかったのに僕は絵だけを追ってドラえもんを楽しんでいました。

僕は今でもそうですが言葉で書いてあることは二の次で絵でどこまで語っているかといことに強く惹かれるんです。

少年は言いました「でも、絵がいいよやっぱり」

この瞬間に僕の創作やこれまでの人生全てが報われたような気がしました。

僕が「ありがとう」と言ったら「ちょっと待ってて」と言って車に戻ってグミを一粒持ってきてくれて「また来るね」って言ってくれたんです。

僕は最後に「君も絵を描くの?」って聞いたら、「うん、でも上手じゃない」って言ったんです。

僕は少年とハイタッチして別れました。

こんなに心から幸せな気持ちに浸れたことは23年間生きてきて3度目くらいです👀

子供は歳を重ねるにつれてくだらない知識や価値観を身につけて、いつしか想像力を失い、これは自分のタメになるとか、みんな面白いって言ってるからこれを面白がらなきゃ、とか周りに馴染む努力をしていきます。

そして僕みたいな人間は何処かで行き詰まるんです。で、何か作り出す。

僕は彼が描いた絵をいつの日か目にすることを夢見ています。

僕も彼に負けないように頑張りたい。

そして僕自身が小さい頃に影響を受けてきた
藤子・F・不二雄先生、やなせたかし先生や宮崎駿先生を超えたい。

これからの絵は技術力では無くイメージ力だと思う今日この頃です。

タイトルの内容とかなりずれてしまいましたがこれが僕のスタイルです。

最後までお付き合いいただきありがとうございます!

ではまた🖐️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?