物心ついた頃には境界性パーソナリティ障害だったと思う
私は周りに馴染めなかった
たぶん発達障害が先にあったんだと思う。そんなに多動でもないし、不注意でもなかったから目立つ方ではなかったけど、こだわりが強くて人との関係の築き方を知らないからよく浮いていた。家庭環境は田舎にありがちな二世帯同居って感じ。姑の嫁いびりが露骨な家だった。男尊女卑な祖母からは弟とは差のある扱いを受け、娘の子どもである従兄弟とも差があった。父親は今思えば、発達障害があったんじゃないかな。過眠傾向だったし、友達は多いけど職場では人間関係がうまくいかないようだった。母親は虐待的な家庭で育っているけど、子どもを殴ることは絶対にしない人だった。たぶん何かの発達障害と人格障害があったと思う。嘘のつけない人で何も余計なことも言わないのに、周りに悪く思われて苦労している人だった。誰も家事育児を手伝わない家庭で、働く女性や子育てに理解のない時代で、仕事はかなり出来たようだが出産を機に辞めさせられたせいでその後は、正社員と変わらない仕事内容でありながら、ずっと理不尽な非正規雇用だった。
祖母のことは殺してやろうと思ったことがある。あまりにも意地の悪い嫌がらせばかりするからだ。変なもので、父親や祖母から不当な扱いを受ける母親を当たり前に見て育つと許せないとかおかしいと思うところもあるが、おかしいと思わずに小さい頃は体型のことなど一緒になっていろいろ言わされていたこともあった。今思えば、自分さえ殺したい。
母親の機嫌は良い時がなかった。当たり前だ、毎日家に心休まるところがないのだ。それでも睡眠時間を削って学校で使う物や弁当などなんでもやってくれた。普通に人を思いやる言動というのを見て学ぶ機会がなかったから、中学生になった時友人と外食して初めて、人の分の飲み物や箸なんかを用意してあげたりするもんなんだと知った。
私も家で居場所がなかったから、高校生の頃にはかなりの恋愛依存症になった。初めて出来た彼氏はDVで、バカとかデブしか言えない人だったから会話にならないんだけど、何時間も電話させられたりした。自己肯定感が低いもんだから、この人しか私と付き合ってくれるような人はいないと思い込んでいたから経済的にいくら搾取されても3年は別れられなかった。そんなだから、大学でもろくな恋愛をしないで痛い思いばかりして、当時を知る人とは一切会いたくない、恥ばかりの学生時代だった。
死にたいくらい自分が恥ずかしいとか、なんで普通になれないんだろうとか、人並みの幸せを望むことさえ傲慢なんだとか。そんなことばかり考えていたように思う。誰かに対する激しい怒りとか自分に対する怒りとか社会や人に対する不信感や絶望感ばかりしか感じることが出来なくて、幸せな気持ちとか安心感というものを感じてみたかった。ほっとしてみたかった。
寛解した今では当時の感情を正しく思い出すことができない。今は激しく落ち込むこともなければ不安や焦燥感を拭えないこともなく、心も頭も静かにボーッとしているからだ。もちろんここまでくるまでの死に物狂いの努力の結果だし、合う先生、合う薬のおかげで一つ一つ症状が消えていったからなんだけど。人から嫌われないわけがないという不安、いつか離れていく不安。我慢できなくならなかった人がいないという学習と、強い理性がそんなわけないといつまでも諦めさせずに、衝動的な反面、冷静で戦略的に自分を変えようと試行錯誤させてきた。
寛解した人の体験談とか境界性パーソナリティ障害の人と共依存になった人の関わったら終わりみたいなコメントを見たり、医者の見解を片っ端から調べても、何にも具体的なことはわからないくらいに情報が足りていない。どうにか治したいのに、治し方は見つからない。だけど、冷静に自分を分析してみると、容姿は悪くなくて若い女性であるということはパートナーを見つけやすいから、理解しよう支えようと考える人が現れる可能性があり寛解した例に近い可能性があった。友人も少ないがいたし、性格の面で嫌われると言ってもそこが信頼できるとかいう人も一部いた。ということは、周りに恵まれている可能性があった。幸い複合的に起こしている障害はなさそうだし、トラウマがあるとしてもそこまで重篤じゃないだろう。10、20代で自殺率が高いのに、歳を取ると症状がおさまる人が多いというのはなんでだろうか?勝手に成長するわけじゃない、慣れるわけじゃない。治る人と治らない人の違いはどこにあるんだろうと考え続けた。
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