「禍福は糾える縄の如し」の3日間(日記 4/20〜4/22)
4月20日(土)
昨日、より専門的なコースへ推薦した生徒さんの話を書いたが(ここ参照)、今春は他にもそういう生徒さんがいらっしゃる。その子と私との最後のレッスンがあった。お父さんもお母さんも本当に明るくて素直なよい方で、わからないことはいつも率直に質問してくださるおかげで、音楽の道をすくすくと真っ直ぐに楽しく進んでいらっしゃるご一家である。
お母さんが洋裁や手芸がとてもお上手で子どもたちの服を次々と縫っておられ(しかもどれも可愛くてハイセンス)、いつそんなお時間があるのだろうと思うほど素敵な作品をいっぱい作っていらっしゃる。今日のお別れに紅茶と手作りの巾着袋をくださった。
めっちゃ可愛くないですか!?両面に猫とお花の刺繍が施してある。猫のウィスカーパッド(ヒゲの生えたこんなω場所)のぷっくり感まで刺繍で丁寧に表してあって、あまりの可愛さに帰宅してからもずーっと眺めていた。少々嫌なことがあってもこれを見たら気持ちを回復できそうな、そんな力を持っている巾着袋だな、とすら思った。
袋の中には子どもとお母さんお二人からのお手紙が入っていて、心のこもった言葉にこちらが励まされた。子どもからはある曲を私と連弾したことが一番楽しかったと書いてあって、それが自分の中ではそれほどまでに重要とは思っていなかった曲だったため、ものすごく意外で驚いた。いつもどんな曲も新鮮な気持ちで向き合っていないといけないな、と嬉しさと同時に気の引き締まる思いになり、子どもたちはいつもこうして私に新たな学びをくれるなあと感じ入った。
4月21日(日)
義母の認知症予防という観点、および役目があることで生き甲斐にもなるという観点で、家事をこちらが先回りしてやりすぎてしまわぬように配慮している。しかし、その塩梅がとても難しい。良かれと思って義母に任せていたことが実は義母にはもうしんどかったようで…。まるでこちらが怠けて押し付けていたみたいに思われてた節がある。言い訳がましくなるからこちらがどういう意図で手を出さずにいたのか、という思いは言わずにおいたけどね…。
はああ、難しいものだなああああ。
昨日はあんなに素敵な気持ちになった日だったのに、今日は朝からズドーンと落とされた。でもそういうものだ。だから逆に悪いことや嫌なことがあっても落ち込みすぎなくていいのだ。禍福は糾える縄の如し。
4月22日(月)
同業の20年来の友人がいて、仕事の相談や愚痴を言い合ったり、カープの試合を一緒に見に行ったり、公私ともにとても仲良くしている。県内の別の教室で働いていて、だからこそその距離感が良いのか、べったりするわけでなくとても良い関係である。そんな彼女が海外の教室で働くことになり、今日はそのお別れの小旅行をしてきた。彼女も私も夕方から仕事があるため、本当に小旅行。厳島神社へと足を運んだ。
広島駅から宮島口へ向かう電車のホームで待ち合わせて出発。外国人観光客の多いこと、多いこと。この人たちもたぶん厳島神社へ行くのだろうなと思っていたら案の定、彼らも宮島口駅で一斉に下車した。そこから船で10分。大鳥居が見えてきた。
上陸してとにかく歩く、歩く、歩く。友人も私も何度も来ている大好きな場所なので観光と言うより、好きな場所で歩きながら楽しく話すことが主たる目的。でも写真は撮ったのでご紹介しつつ筆を進める。
友人は、20代では南米で音楽を教え、30代では中国で、そして今回50代でまた中国で教える。「私はひとつのところにじっと居られないんだと思う」と笑っていた。彼女がいつも行動的なのは変化が欲しくなるからなのだろうな。大きな決断をした友人を羨ましく思う気持ちもあり、その一方で「いや、私は少しずつ変わっていこう、そちらの方が性に合っている」と思い直したり。どちらの方法にせよ、残りの人生を自分の気持ちを大切にして生きたいという思いは、彼女も私もここのところ格段に強くなってきているよねと話した。
2万歩以上歩きながら、大いに語って大いに笑って大いに食べた。もう少なくとも向こう5年はこんなことができないのか(5年は帰らないらしい)。寂しいよ。こみ上げる気持ちが抑えられない。でも、笑顔で送り出します。今日は厳島神社のとても良い「気」に守られて気持ちが清々しくなった。厳島神社はいつもそういう気持ちにさせてくださる場所のように思う。本当に良い一日をありがとう。そして友よ、行ってらっしゃい。
ほんっと、「禍福は糾える縄の如し」を地で行くような3日間であった笑
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