【エッセイ】そういうこと
ねこは寝てばかりいた。
これまでは具合が悪そうでも、数日寝ていればまた元気になったのだが、今回は長引いているようだ。
でろんと横になり、触っても迷惑そうな顔すらしないで無視している。毛もボサボサで、なんだか薄汚い感じだ。すっかりやせて、抱き上げてしばらくすると嫌そうに小さく鳴く。
しかし、夕方になるといくらか元気になることもあり、母と姉は病院に連れていくのを迷っていた。もとは野良ねこで、寝ることで体調不良を回復してきたのだと考えると、突然病院に連れていくのはかわいそうな気もした。
数日後、ねこのあまりにぐったりした様子に、母と姉はねこを病院に連れていくことを決めた。姉が車を運転し、母がタオルでくるんだねこを抱えて午前の診療に駆けこんだ。となり町の動物病院だった。
受付では、ねこの名前を「ミーちゃん」と言うことにした。「ねこ」と書くわけにもいかず、獣医の前で「先生」もなかろうとなり、「かまぼこ」はとっさに思い浮かばなかった。
検査の結果、肝臓が良くないのと、肺に水が溜まっていると言われた。状態は思わしくなく、ねこは入院することになった。
午後になって、携帯電話が鳴った。仕事中に姉から電話が来るときは、たいてい悪い報せか、よほどの緊急事態である。
内容を予期して電話に出ると、姉は力ない声で私の名を呼んでから言った。
「ねこちゃん、死んじゃったよ」
ああ、やっぱり。口には出さなかったが、思っていたとおりの内容だった。
「そっか……急だったね。相当、具合悪かったんだね」
「病院に置いてきたんだけど、酸素室で死んじゃったって。もうギリギリだったみたい。これから迎えに行く」
その夜、ねこに会いに行った。ねこはタオルにくるまれて、姉の車の助手席に横たわっていた。すっかり小さくなって、目が少し開いている。
頭から耳、眉間と鼻筋、鼻と口元。順に撫でる。背を撫で、前足を握った。冷たく、こわばったねこは、どこかの違うねこのようで、でもやっぱりうちのねこだった。
「ねこちゃん、うちに来て良かったかい。来てくれてありがとうね」
触っても話しかけても、もう嫌がることもない。
母と姉はすっかり落ち込んだ様子で、ねこの写真をながめながらお骨を入れる箱の用意をしていた。ふたりは、ねこがもういないなんて信じられないと言った。
次の日の火葬に、私は立ち会うことができなかった。
週末にねこのお骨を埋めた。
ほんとうは、ねこのお気に入りで私たちが巣と呼んでいた草むらに埋めてやりたかったが、のちのち誰かに踏まれるおそれがあったので家の裏に埋めることにした。
場所は犬のお墓のすこし左側に決まった。ここもまた草むらである。
スコップで穴を掘り、底に白くて小さな骨を納める。土をかけるとき、かさかさと小さく音がした。
ねこがこの土の中で眠るとは信じがたかったが、埋め戻しながら少し泣いた。ねこはもういないのに、さらに遠くに行く気がした。
なにか言ってやりたくて、じゃあね、またね、と言った。それ以上なにか言うと、もっと泣いてしまいそうだった。そういえば、ねこが死んでから私はまともに泣いていなかった。実感がわかなかったのだ。
姉と母も、手を合わせながらそれぞれねこに別れを言った。
土の上に目印のレンガを置いて、小さなお墓はすぐに完成した。
「こんなに寂しいのに、世の中は何も変わらないで、ものごとが普通に過ぎていくのが不思議だね」
母は言った。
ねこがうちに居つくようになってからまだ1年と少ししか経っていないのに、いつもそこら辺にいるのが当たり前になっていた。
「ほんの何日か前までそこにいたのに、もうずっと前からいないみたいだ」
とも言った。突然いなくなったから寂しいのに、不思議とねこが居たころが遠い過去みたいに思える。
「なんでねこはうちに居ついたのかな」
「わからないけど、自由にどこにでも行けるのに、居なくならなかったってことは、そういうことなんじゃない」
姉は納得したのかしないのか、そうか、とだけ言った。
病院に行くか行かないかとか、姿を消すとか、目の前で弱って死んでしまうとか、選択肢も可能性もいくらでもあったし、後悔やたらればはいくらでもある。でも、どのようにしてもいつかは死んでしまうのだし、それぞれのタイミングでは最善と思えることを選んできた。
だから、このような結果になったのもまた、そういうことなんだろう。
いつもどおり二階の窓から外を見ても、台所の窓から外を見ても、ねこはどこにもいない。