【エッセイ】こえ
こえが聞こえる。
連れ合いを呼ぶ鹿のこえだ。
山のほうで鳴いているようだが、風に乗って遠くから流されてくるこえかもしれないし、このごろは家のすぐ裏にまで鹿の足跡があるから、思いのほか近くで鳴いているのかもしれなった。
笛のようなそのこえは、もの悲しげで秋の深まりを否応なく感じさせる。
きつねがコンと鳴くと言った人は、本物のきつねのこえを聞いたことがないに違いない。そのこえは、鳴き声というより、叫び声に近い。それも、なにか危害が加えられたときに発する悲鳴に。
きつねは家の近くまでやってくるので、夜中に鳴こうものなら、枕元で鳴いているような近さでこえが聞こえる。そして、なかなかおさまらない。
馬はふだん、あまり鳴き声をあげない。しかし離乳のときには、空気を引き裂くような悲壮なこえをあげる。
母馬と仔馬を離し、別々の馬小屋に分ける。馬を飼ううえで当たり前で必要なことだが、親子が互いを呼ぶこえが数日聞こえ続けるとなると、さすがにかわいそうに思う。
実際は馬房も広々とするし、数日後には親子ともケロリとして悠々と過ごしはじめるのだが。誰もが通る通過儀礼といったところだろうか。
動物はなぜ鳴くのだろう。彼らが鳴き交わすのはコミュニケーションのためか。ならば、そこに感情は存在するのか。
本能や感情のままにこえを発することをしなくなって久しい。おそらく、わたしだけでなく、人すべてがそれをできなくなった。
ああ、でも人は言葉を得てしまった。代わりに鳴くということを手放した。だから意味を正確に伝えようとし、それゆえに素直に伝わることが難しくなったのかもしれない。
そうしてまた、夕暮れ、あるいは夜の闇の中で鹿のこえが聞こえる。
わたしも、まだ知らない誰かをずっと前から呼んでいる気がする。もしこの想いをこえに乗せることができたなら、出会うことができるのだろうか。
笛に似たこの音は、本当は鹿のこえなどではなく、まだ知らない誰かが、わたしを呼んでいるこえなのかもしれない。
ぴぃーーー、、、
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