【日記】この私がめずらしく映画鑑賞してた
こんにちは!読んでくれてありがとうございます!
noteの更新をさぼってしまいました、、。ここ1週間から1週間半くらい病気ではないものの、体がけだるくて、眠たくて、ぼーっとしてることが多かったです。
久しぶりに正気に戻ったっぽい(どんな言い方だよ)ので、今日からまた更新していきます!ほんとはもっとかっこいい、誰かの役に立つ文章を書きたいけど、書けないので、しばらくはただの日記でいこう!
映画鑑賞への苦手意識
映画を観るのが苦手だった私が、なんと、昨日から映画鑑賞をしております!じっと座っているのが苦手だし、映画は途中で眠くなるし、画面をずっと直視しているのが疲れるし、肩が凝るし、映画鑑賞って苦手意識があったんですよ。集中力が低くて、気づいたら展開についていけていなかったりね。
でも、話題の作品ぐらい知っておきたいし、、ということで3つの映画を観ました!
実際に観たのは、『君の名は』『天気の子』『言の葉の庭』です。
『すずめの戸締り』も見逃したから、早く配信されないかなー。
『君の名は』を観て思うこと
観ていて鳥肌が立った。人に説明できない、言葉で表せない、鮮明ではない記憶というか、体感のようなもの。でも確実に自分の内に存在している、なにかメッセージ性を感じるもの。
それって説明できなかったとしても、自分が信じたいなら信じていいし、感じたいなら感じていいんだなと思えた。
『天気の子』を観て思うこと
これも観ていて鳥肌が立った。
最後のある人のセリフ、『世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから。』がすごくぐっときた。
天気といい、それ以外のことといい、私たちは “正常である” ということに執着しすぎているのかもしれないなと思った。うまくいかないときも、乱れているときも、悲しくて動けないこともあるよね。
でも、それだけじゃなくて、“大切な人にただ会いたい”という、世界が正常であろうと、異常であろうと、ぶれることのない愛の欲求はいつだって存在しているという事実が、すごくくっきりと輪郭を表現されたかのような形で描かれていたのも印象的だった。
『言の葉の庭』を観て思うこと
面識のない人同士が同じ場所で何度も会ううちに、いつしかお互いの存在が支えになっていくお話。
多くは語らずとも、印象的な言葉が人を支えているんだなと思えた。私も言葉で誰かを支えてみたい。過去にたくさん支えられたようにね。
でも、お互いの支えになるような存在だったにもかかわらず、心の奥深くから本音があふれ出したのは、映画の終盤だった。人と人がわかり合うまでの葛藤と、わかり合った瞬間のあふれる滝のような歓びに、なぜか共感してしまった。
おわりに
読んでくれてありがとうございます!
まだまだ連休は続くけど、何しようかな、、。
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