
ゲーム「ギフトピア」の思い出。警官ロボットを突っ切るのだ!
今年の10月26日より、Nintendo Switch Onlineサービスに追加パックが出たのをご存じだろうか(PRではない)。
追加パックのサービスのひとつとして、ニンテンドー64のゲームソフトをSwitchでも遊ぶことができるようになったのだ。
64がヒットした当時、わたしは小学生で、テレビゲーム大好きっ子だった。とくにゼルダの伝説シリーズは夢中になってやりこんだ。ゼルダのダンジョンは、悩みに悩んだその先でパッと謎が解けた瞬間の、あの爽快感がたまらない。いまでも煮詰まっていた仕事や小説の突破口がひらけたとき、「テレレレレレレッ」というゼルダのあの効果音が脳で鳴ることがある。
そんなふうに、子どもの頃に夢中になって遊び、大人になったいまの自分にも影響をおよぼしているゲームが、わたしにはもうひとつある。2003年に発売された、ニンテンドーゲームキューブ用のRPGゲーム「ギフトピア」だ。
RPGといってもゼルダのような敵を倒しながらダンジョンで謎を解き、主人公のレベルを上げ、世界の平和を取り戻す、みたいなゲームではない。
Wikipediaの概要の一文にはこう説明されている。
南の島『ナナシ島』に住む少年ポックルが、大人になる方法を探すRPG
上記のとおり、主人公のポックルが「大人になること」を目指すゲームなのだが、面白いのは、大人になるための方法がゲーム上で複数用意されていることだ。
島の村長の言いつけを守り、野菜を育てたり魚を釣ってコツコツ資金を貯め、大人になるための儀式「大人式」を開催して大人になる方法もあれば、村の古くからの教えにならい、「ナナシ島」に住む個性豊かな島民たちの「ネガイ」を叶えてあげることで、少しずつ大人になっていく方法もある。
当時「ファミ通キューブ」というゲーム雑誌の愛読者だったわたしは、その誌面に小さく告知されていた「ギフトピア」の独特な世界観に猛烈に惹かれ、発売当日、親にねだって買ってもらった。
しかし、買ってもらってすぐ、わたしはこのゲームに挫折することになる。
それはゲーム序盤でのことだった。ポックルは村長に「島の北には絶対に行ってはいけない」と警告される。北には古い教えを大切にする爺さんが住んでいて、村長は爺さんとポックルを引き合わせたくなかったのだ。実際、北に続く坂道へ行くと、警官ロボットが道を通せんぼしていて、近寄ると門前払いされてしまう。
実はそのロボットは、簡単に押しのけることができるようになっており、ゲーム展開上、その道を突っ切って北に向かわないことにはストーリーが進まないのである。
そこで当時12歳のわたしはどうしたか。なんと、トラブルを避け、村長の言いつけを素直に守り、北にはいっさい近寄らなかったのである。来る日も来る日も、島に生えるきのこや果物を引っこ抜いては売り、魚を釣っては売り、ただコツコツとお金を貯めてばかりいた。その繰り返しがだんだんと苦痛になり、ゲームを放置してしまったのだ。
ではなぜ、その先のストーリーの攻略に気づくことができたのか。それはギフトピアが発売されて一年くらい経った頃のこと。学校の友だちでゲーマーのMちゃんの家に遊びに行き、彼女が買ったばかりだというギフトピアをプレイすることになった。
Mちゃんがゲームキューブを起動させる背後で、わたしは内心「これからきのこを引っこ抜くだけの時間が続くのか」とヒヤヒヤしていた。淡々とストーリーを進めるMちゃん。そしてついに、「北の道に行ってはいけない」の場面が訪れる。さあ、一体どうするのか。わたしが固唾を飲んで見守っていることなど知らず、Mちゃんは平然とAボタンを押し、通せんぼロボットを突破して、こともなげに北へ進んでいった。
わたしは唖然とした。「押すな」は「押せ」だし「行くな」は「行け」だったのだ。自分がいかに保守的で、額面通りに言葉を捉え、言われた通りにしか行動しない、つまらない人間かを、痛いほど思い知らされた瞬間だった。
Mちゃんの家から帰ってすぐ、わたしはギフトピアを再開した。ロボットを押しのけ北へ進み、人の悩み事を解決し「ネガイ」を叶えることで大人になる方を選んだ。一度クリアした後も、何度もいろんな分岐を試しクリアした。
あれから18年が経ち、わたしは30歳になった。いまでも、仕事で意思決定を迫られた時や、私生活で決断を迫られた時、あの警官ロボットが立ちはだかる姿が頭によぎる。そのたびに、わたしはコントローラーに手をかけ、「突っ切るのだ!」と、Aボタンを押している。
(イラスト提供:JK)