タイガーバームのにおいとお風呂場の魚たち 柚木麻子さんが眠れない夜に思い出す祖母のこと
■夜の釣り堀
40歳になってから、とくに理由もなく、一睡もできないまま朝を迎えることが頻繁にある。ちなみに昨日もまったく眠れなかった。これはまずい、とあらゆる病院にいってみて、色々な方法を試した結果、漢方薬で徐々に体質を改善していくという方向に今のところ落ち着いている。睡眠導入剤は私には強すぎて、翌日、仕事にまるで集中できなくなるのだ。はじまりは去年の秋。全然眠れない夜がなんの前触れもなく、3回続いた時は、ショックとパニックで自分が自分ではなくなり、最後はデビッド・リンチ的な幻覚に悩まされ、何故か暗闇にぼんやりと小さなワニが浮かび上がるようになったほどだ。実は来るべき時が来たという気もしている。というのも、私の母も、亡き祖母もなかなか眠れないたちで、しかもそれは40代から始まっているのだ。三代目不眠SOUL SISTERSである。
祖母は完璧主義で冗談を好まない、かなり神経質な女性だったので、社交的でモード系おしゃれを好む芸術家肌な母とは昔から確執があったようだが、どちらも私とは仲が良かった。正反対かに見えた二人だが、寝つきが悪い、寝てもすぐに起きてしまうというところだけは共通していた。小さな頃から、母が寝た後は、できるだけ物音を立てないように過ごさないと、泣いて飛び起きられて叱られた。祖母もまた、入眠までには長い長い儀式があり(マッサージや錠剤を飲むなど)、一つでも飛ばすと朝まで眠れなくなってしまうから、とタイガーバームを肩や首に塗り込みながらも、まるでこれから戦いに出向くかのようにピリピリしていた。当時の私は、二人はちょっと気にしすぎなのではないか、と思っていたが、今ならわかる。40歳をすぎた人間にとって、寝ないで迎えた朝は、恐怖と絶望ですみずみまで青ざめた色をしている。胃も肩も背中どころか眼球まで痛い。
私も寝る1時間前は、よくそれがいいと言われているように、スマホもテレビも禁止だ。眠くなるストレッチに頭皮のマッサージ。薬用養命酒入りのホットミルク。最近はヤクルト1000も加わった。もはや死活問題なので、私の入眠儀式もどんどん長くなっている。それでも、灯りを消し、その日の暗闇がかぶさってきた瞬間、あれ、もしかして、眠れないんじゃないの?という懸念が、ふっと芽生えたら、その時点で私の負けだ。どんなに可能性を打ち消しても、100パーセントそれは当たってしまう。 1時間を過ぎたあたりから、その予感はどんどん大きくなり、部屋全体に広がっていって、やがてそれに押しつぶされて仕方なく横になっている格好になる。一度でもそんな夜を過ごした人であれば、寝返りを打つことさえ、だんだん怖くなっていく感じ、真っ暗な部屋が次第に緑色っぽくなってきて、カーテンから白い空が見え、鳥のさえずりを聞いた時の絶望を、共有できると思う。母も祖母も、こんな時間を数え切れないほど過ごしてきたのだな、と思うと、二人の人生というものを思い浮かべずにはいられなくなる。特に今はもう会えない祖母と、眠れない夜についてたくさんしゃべってみたかったと思う。
いつかは死ぬのに、また今夜を無為に過ごしてしまったことが悲しいし、眠るという普通のことさえ普通にできない自分が惨めだし、なにより、今日の仕事や家事育児をこの寝てない身体と精神状態でこなすことを考えると、このあと起き上がるのが心底恐ろしくなってしまう。しかし、次の瞬間は眠れるかもという淡い期待を手放せないせいで、割り切ってこの時間を何か有効につかおうと身体を起こすだけの勇気もない。横になったまま何か役に立ちそうなことを考え始めると、それはそれで将来や仕事の不安からよりいっそう眠れなくなる。
そんな時、ふいに思い浮かぶ光景がある。暗いお風呂の水面に浮いた、ブヨブヨした質感の魚や貝殻の形のゴム製おもちゃだ。私が小学生の頃、初めて、祖父母の家に一人で泊まった夜のことである。
夕食がすみ、お風呂に入るまでは、いつものように楽しく過ごしていた私だが、父や母よりずっと早くベッドに入る祖父母に促されるうちに、急に寂寥感でいっぱいになった。そして一心不乱にタイガーバームを塗り込んだり、手袋をはめたり、靴下を履く祖母を眺めているうちに、母に会いたくてたまらなくなった。暗くなると、祖父はすぐにいびきをかき始めたのだが、私はタイガーバームのキツいにおいを嗅ぎながら、さっぱり眠くならず、だんだん焦っていた。今の私からすれば、そんなの眠れないうちに入らないのだが、子どもの私にとっては、横になっても一向に瞼が重くならない時間は恐怖でしかなく、家が恋しくなって、いつの間にか、ぐすんぐすんとすすり泣きから次第に声をあげて泣いていた。その時、祖母が「ねえ」と話しかけてきた。「お風呂場にいってみようよ」と言うので、素直に彼女の後をついていった。祖父母のお風呂場には白い小石がしきつめられていて、ひんやりして、川の底を歩いている気持ちになる。お風呂場には、先ほど、祖母と一緒に使ったお湯に、彼女が最後に「これ、水につけると大きくなるんだって」といっておもむろに取り出した小さな魚や貝のおもちゃが浮かんでいて、先ほどより一回りくらい大きくなっていた。暗闇にゆらゆら浮かぶそれは、本当に生きているみたいで、ちょっと怖かったのだが、あまり面白いタイプではない祖母が私を楽しませるためにおもちゃを用意してくれた事実は嬉しく、気が紛れた。もう一度、寝室に戻って、祖母の冷たい両足に自分のを挟みながら、なんとか寝る努力をしてみた。やはりまったく眠くはならないので、「もう一度、魚を見に行ってもいいか」と頼んだ。どちらかといえば、厳しい祖母なのに、「いいよ」といい、私たちは何度かそれを繰り返した。魚と貝はどんどん大きくなっていった。とりわけタコは見るたびに赤くふくれていて、吸盤らしきものも飛び出し、本物そっくりだった。結局、私がいつまで経っても寝ないので、母があわてて迎えにきたような気もするし、そのまま眠ってしまったような気もする。でも、何度も何度も一緒に冷たいお風呂場に足を運んでくれた、祖母の血管の浮き出た大きな手や、ゆっくりした歩き方、そしてタイガーバームのにおいは今でもはっきり思い出せる。
子どもながらに悪いことをしたな、と眠れない40歳の今ならわかる。あんな風に暗闇の中、子どもに何度もしゃべりかけられるのは、寝つきの悪い人間にとっては、拷問に近い(私も、5歳の子どもがなかなか寝ず、耳元で話しかけてきたり、くすくす笑ったり、暗闇の中で楽しそうに目を光らせていたりすると、神経が高ぶってきて時々、ワーッと泣いてしまいそうになる)。孫のお泊まりが滅多にないものだとしても、祖母にとって、私の相手は楽ではなかったと思う。そんな私を面白がらせる工夫をしてくれたことも、優しくてセンスもある人だったんだな、と今ならわかるのだ。と同時に、祖母は、私もまた自分と同じ道をたどるんじゃないか、と薄々気づいていたような気がするのだ。今にこの孫も、寝つきの悪い若くない女性になって、暗闇と戦うようになる、とあの頭がいい女性は知っていた気がするのだ。その予感は祖母にとってどんな種類の気持ちを呼び起こしたのだろうか。
今年の夏の夜は寝苦しく、相変わらずなかなか眠れない夜ばかりだが、こうしている間も水に浮かべたおもちゃの魚はどんどん大きくなるんだよな、などと思いながら、最近は涼感を求めて、私も喉や肩にタイガーバームを塗り込んだりする。