人生での「アホ」との出会いはチャンス? エリートが実践する処世術
職場でピリピリして八つ当たりしてくるアホは、徹底的にやり過ごせばいい。
しかし、家庭や親類関係などでいきり立つアホがいたらどうすればいいのだろうか。多少は思うことがあっても、その場では共感してストレスを受け流すというしたたかな戦略をとればいい。
私も昔は八つ当たりのようなことをしたことがあった。しかし、不機嫌を人にぶつけても、筋肉は凝るし血圧にも影響が出るし、病気になりそうでいいことは全くなかった。怒って毒を吐いても、人間としての品性の低下を見せるだけだったのだ。
その後、嫌なことがあっても淡々と受け流すことに決めた。それによって徳を積めるし、人間的な魅力も増すということにも気がついた。
そんな私の経験からお願いしたいのは、逃げ場のない場所でピリピリと八つ当たりを受けたら、真正面から対峙せず、大らかに受け止めてみることだ。
残念なことに、日本は“ピリピリ国家”だ。私は今シンガポールに住んでいるが、日本に帰ってくるたびに街中の人からピリピリとした空気を感じる。それだけ余裕を持てない中で暮らしている方が多いのだろう。
厄介なことにこうした空気は伝染する。ピリピリした人にこちらも同じ態度で返しているとその“ピリピリ”が空間の中で拡大するのだ。同じ空間の中に不機嫌な人がいることの影響力はそれほど大きい。
それでは、ピリピリのまっただ中に自分が置かれたらどうすればいいだろうか。ピリピリの原因なんて、ほとんどが些細なことだ。伝染や拡大を阻止するには、「ピリピリしないで」などと言ってしまうと逆効果。
こちらがゆったり構えて、「そんなこと世界の終わりじゃないんだから」という“雰囲気”で受け止めるのがコツだ。そうすると、相手から発せられる嫌な空気はそこで止まり、相手も「なんかくだらないことにとらわれていたのかも」と思い直すだろう。
気をつけなくてはならないのが、決して説教調で言ってはいけないということ。相手には相手の事情があるし、あなた自身に非がある可能性もある。だからこそ、あなたからその言葉が発せられると、相手に火をつけてしまう恐れがある。
「世界の終わりじゃない」といったセリフは一言も言わずに、そういった佇まいでニコニコふんわりと受け止めてあげよう。相手がよほど間違った道を歩もうとしている場合でないのなら、相手の意見を受け入れてふんふんと聞いて、そして認めてあげよう。
こうした振る舞いを自然にできることこそ、相手への心からの好意が根底にあるという証拠の一つになるのかもしれない。お互いにこのような関係を築いていければ、その空間はさらに居心地の良いものに自然となっていく。
ただ、そういう気持ちが自然と持てないなら、一緒にいない方がお互いのためかもしれない。あまりに不満をぶつけられることが重なり、我慢の限界が試されるようなときは、いったん距離を置いて関係性を冷静に見直す必要がある。
アホとは正面から対立してはいけない。時には褒めて、寛容さとリスペクトを持って共感し、適度な距離感を保つことで、共存できるアホもいる。そうやってアホを取り込めば、アホなどいないも同然だ。