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【試し読み】親の格差が子に与える深刻な影響 『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』

 かつてないほど、子どもの社会的地位・学歴と保護者の学歴・経済力とに強い相関関係が見られるようになっている現代。「ペアレントクラシー(親の影響力が強い社会)」という言葉で形容できるほど、社会階層の固定化が進んでいる。生徒、保護者、学校、教育行政の観点から日本がペアレントクラシー化に至った経緯を分析し、教育の公正の実現に求められる策は何かを提言する『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』(志水宏吉著/
朝日新書)
から、プロローグと目次と第1章を特別に公開する。まず知ってほしい現実がある。

志水宏吉著『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』(朝日新書)

■プロローグ

「パン、パーン!」 冬の朝の張りつめた空気のなか、選手たちの拍手の音が響きわたる。
「今年こそは、全国大会に出場できますように」、神殿に向かって深くおじぎをしながら、ケンタは心のなかでつぶやいた。「二礼、二拍手、そして深く一礼」、監督さんに教えられた通りに、神妙に選手たちはお参りした。2022年、寅年の幕開けである。
 ケンタは中学2年生の野球少年。ここは、ケンタが所属するリトルリーグの専用グラウンドの近くにある神社。監督さん、コーチ陣、そして選手たち皆で、お正月の朝いちばんに揃ってお参りするのがチームのならわしだ。
 ケンタの家は、大阪市内の下町にある。大阪のど真ん中と言ってよい。お母さんと高校生のお姉ちゃん、そしておじいちゃん、おばあちゃんと五人で住んでいる。両親は、ケンタが幼い頃に離婚した。内装業に従事しているお父さんは近所に住んでいて、時々阪神タイガースの試合を見にいったり、食事をしたりすることがある。それについて、お母さんはほとんど何も言わない。
 働き者のお母さん。ふだんは近所の整骨院で働き、夜には知り合いのおばちゃんの居酒屋の手伝いに行く。おじいちゃんは、現役のタクシーの運転手。おばあちゃんはお酒のおつまみをつくる工場でパートをしていたが、病気がちになりこのごろはずっと家にいる。そうした家族の暮らしを、コロナが直撃した。収入は減り、逆に治療代が増えた。しんどいに違いないけれど、お母さんはひとことも弱音を吐かない。チームの保護者会の役員でもあり、日曜日には欠かさずグラウンドに出、ケンタたちの練習をさまざまな形でサポートしてくれる。
「絶対にプロ野球選手になって、お母さんを楽にさせてやりたい」と、ケンタは考えている。熱烈なタイガースファンであるお父さんの影響もあり、小学校低学年から野球をはじめ、高学年になるとリトルリーグのチームに入団した。大阪は少年硬式野球がさかんだが、ケンタのチームもかなりの強豪として知られている。背が高く足の速い彼は、一番バッター、センターのレギュラーであり、二番手投手もつとめる。結果を出し、野球部特待生として名門校に入ることが、ケンタとお母さんの目下の夢である。
 ケンタが通う中学は、かつては「荒れ」で知られた公立中学である。「元ヤン」だったお母さんもお父さんも、この中学の卒業生。今の校長先生は、ケンタのお母さんの担任だった先生だ。当時と比べると生徒数はずいぶん減ったが、現在は部活動がさかんな中学として知られている。大阪市は学校選択制を敷いており、その中学は近隣地域の「人気校」である。きびしいが、面倒見がいい先生が多く、クラスメートも「おもろい」ヤツ揃い。ケンタにとって、中学は愉快な場所である。
「ペロ、ペロ」ほっぺを舐めるコテツの舌の感触で、リオは目を覚ました。彼も中2の男子。「コテツ」とは、彼の家のペットのトイプードルの名前である。ベッド脇の時計をみると、もう昼前。昨日は、家族揃って紅白歌合戦を楽しんだ。お父さんは「ゆく年くる年」を見たあと寝室に引き上げたが、リオはお母さんと夜中まで居間でテレビを見て過ごした。「朝寝坊も仕方ないか」、リオはコテツを抱き上げながら微笑んだ。
 リオの家は、大阪北部の「北摂ほくせつ」と呼ばれるエリアにある高層マンションだ。両親と自分の三人家族。東京大学の大学院を出ているお父さんは、大企業に勤めるエンジニア。コロナ禍になってからは、家でリモートワークをすることが多い。一方、名門音大で学び、ドイツへの留学経験もあるお母さんはバイオリンの先生。現在は自宅で、もっぱら音楽大学や音楽科のある高校を受験する生徒たちにバイオリンを個人教授している。
 コテツが家に来たのは、リオの5歳の誕生日の時だった。リオという名前は、男女どちらでも使える国際的な名前ということで、生まれる前から決まっていたそうだ。その分ペットには純日本風の名前がいいのではないかというよくわからない理由で、「コテツ」という名がついた。いずれにせよ、以来コテツは、一人っ子のリオにとって、文字通り兄弟のような存在である。
 お母さんが、幼い頃から絵本や本を読み聞かせてくれたおかげで、リオは大の本好きとなった。小学校の図書室の本を、5年生までの間にほぼすべて読破したほどである。それだけではない。サッカーをしたいというリオの願いを聞き入れ、1年生の時に地元の伝統あるサッカークラブに加入させてくれた。練習のある日は欠かさず家のポルシェで送り迎えをしてくれたお母さん。もちろんバイオリンの手ほどきも、お手のものだった。
 5年生になる時に転機が訪れた。進学塾に通い始めたのである。それを決めたのは、リオ自身だった。準レギュラークラスだったサッカーの方は、いったんはやめることにした。両立は現実的に無理だったからである。彼は、近隣にある、日本でも有数の大学進学実績を誇る私学の中学部を受験した。事前の模試ではA判定をとっていたが、残念ながら算数の問題でミスをし、不合格となってしまった。
 そこで入学したのが、現在通っている寮制の私立学校である。もう一校、家から通学できる別の私学にも合格し、お母さんは自宅から通えるその学校に行ってほしいと願ったのだが、リオ自身が寮生活をする道を選んだ。入学後に入部したサッカー部のレベルがあまりに低かったため、現在はテニス部に転部し、活動している。来年は高校進学なのだが、より偏差値レベルの高い私学を受け直すことも考え始めている。なぜなら、お父さんの母校東大に是が非でも合格したいのだが、今の学校では難しいような気もするからである。
 元日の今日は、午後から両親と初詣に行くことになっている。そして早速、明日は学校に戻らなければならない。あさって3日から、学校で「冬期勉強合宿」が始まるからである。リオの冬休みはまたたく間に終わりそうだ。

 ここで紹介したケンタとリオの二人が生まれたのは、2008年1月27日のことである。この日は、大阪維新の会を立ち上げた橋下徹氏が、二人の故郷である大阪府の知事選に歴史的な勝利を収めた日であった。
 橋下氏の政治手法は、本書で出てくる「新自由主義」と呼ばれるものを地でいくものであった。新自由主義とは、個人の選択と市場原理を重視する政治スタンスのことであり、学校教育システムに競争原理や成果主義を劇的な形で取り入れようとした氏の教育改革路線は、大阪府内の学校現場に大きな変化をもたらすものであった。
 この新自由主義と本書の主題である「ペアレントクラシー」とは、表裏一体の関係にある。それについては、本書1章で改めて考察することにする。
 ここで強調しておきたいのは、二人が生まれ育ったこの時代は、家庭が所有する各種の「富」と、親が子どもに対してもつ「願望」が、子どもの人生行路にきわめて大きな影響力を及ぼす「ペアレントクラシー」の時代と呼びうるということである。
 ケンタにもリオにも等しく幸せな人生を送ってほしいと、筆者は心から思う。
 これからの人生において、ことによると二人がどこかで出会う場面があるかもしれない。しかしながら、その可能性は実質的にはきわめて低いであろう。異なる家庭環境に育った彼らは、学校教育システムのなかで大きく隔たった経験を積み、やがて異なるタイプの社会的世界に旅だっていくことになるだろう。異なる場所に住み、異なる仕事に就き、異なる生活を送ることであろう。彼らの接点は皆無ではないが、将来にわたってほとんど接触することはないように思われる。
 次章以降で、彼らが暮らす世の中、すなわち「ペアレントクラシー」と呼ばれる社会の諸相に迫っていくことにしよう。


■目次

プロローグ

第1章 ペアレントクラシー化する社会――何が問題か

  • 1 ペアレントクラシーとは
    メリトクラシーからペアレントクラシーへ/「親ガチャ」という言葉はなぜはやるのか

  • 2 ペアレントクラシーにいたる歴史
    近代世界を動かしたメリトクラシーの原理/明治維新が転換点に/メリトクラシーの究極の形がペアレントクラシー

  • 3 ペアレントクラシーの現状
    ペアレントクラシーはどのように顕在化しているか/「絵に描いた餅」になりかねない「多様な選択肢」

  • 4 新自由主義的教育政策との共依存関係
    強まりつつある新自由主義的色彩

  • 5 本書の構成

第2章 追い詰められる子どもたち

  • 1 ある女子中学生の語り
    子どもの視点から

  • 2 ペアレントクラシーに乗れない子ども・若者
    「しんどい」子どもたちのリアル

  • 3 ペアレントクラシーの上昇気流に乗って
    大阪大学の学生の事例

  • 4 ペアレントクラシーをどう見るか
    肯定派の意見/アンビバレント派の意見/懐疑派の意見/「追い詰められる」だけの受動的存在ではない

第3章 不安のなかの親

  • 1 分化する親のスタンス
    加熱される層とそうではない層

  • 2 教育熱心な層の戦略
    お受験の実態/塾や習い事の現状/「天王山」の中学受験

  • 3 高騰する教育費
    日本の教育費負担は世界最高水準

  • 4 子育ての階層差に関する研究│欧米での蓄積から
    「文化資本」/「計画された子育て」と「自然な成長」

  • 5 日本での子育て研究
    子育て格差/4つの類型

  • 6 まとめ
    不安の理由/ミドルクラスが最も不安

第4章 戸惑う教師たち

  • 1 はじめに
    1990年代に潮目が変わった

  • 2 親と子と教師の三角関係
    「教育は選ぶ」への移行

  • 3 ペアレントクラシーが学校・教師にもたらしたもの
    保護者対応に苦しめられる教師/学校の二極化

  • 4 新自由主義によって生じる軋轢――教師たちの言葉から
    大阪の教師たちの証言

  • 5 まとめ
    教師受難の時代

第5章 四面楚歌のなかの教育行政

  • 1 教育行政が置かれた状況
    教育行政担当者の視点/1990年代以降、トップダウンが強まる

  • 2 国の教育政策の動き
    「臨教審」がペアレントクラシーの引き金に/学力をめぐる国際競争

  • 3 教育行政をみる視点│公正と卓越性
    大阪の事例/公正と卓越性

  • 4 教育行政担当者のたたかい
    知事と府教委の攻防

  • 5 新たな突破口――教育機会確保法をめぐって
    教育機会確保法/十全に保障されていないマイノリティーの「学ぶ権利」

第6章 脱ペアレントクラシーへの道

  • 1 はじめに
    私たちに何ができるか

  • 2 阪大生が考える克服策
    学生たちの回答

  • 3 実態としてのペアレントクラシーをどう克服するか
    格差化のプロセス/学力格差の縮小を

  • 4 理念としてのペアレントクラシーをどう評価するか
    置き去りにされる人々/アイソクラシー/公正の第一原理化と卓越性の多元化を

  • 5 おわりに
    「好きなことができる」と「好きな人と」/公正が何たるかを経験する機会を

エピローグ
あとがき
参考文献


■第1章 ペアレントクラシー化する社会
 ――何が問題か

1 ペアレントクラシーとは

メリトクラシーからペアレントクラシーへ
「ペアレントクラシー」、本書の主題である。ほとんどの読者の皆さんには、あまりなじみのない言葉であろう。
「ペアレント」という言葉は、よく知られている。「親」という意味である。そのあとに「クラシー」という言葉がくっついている。「クラシー」とは、「~の支配」(「~の支配力や支配権」)を表す接尾語である。たとえば、「デモクラシー」は「民衆による支配」を意味し、「アリストクラシー」は「貴族(=アリストクラット)による支配」ということになる。したがって、「ペアレントクラシー」とは、「親による支配」、すなわち「親の影響力がきわめて強い社会」ということになる。
 ペアレントクラシーという語の生みの親は、イギリスの教育社会学者、フィリップ・ブラウンという人物である。ブラウンによると、ペアレントクラシーとは、「家庭の富(wealth)と親の願望(wishes)」が子どもの将来や人生に大きな影響を及ぼす社会のことである(Brown 1990、p.66)。
 ここでブラウンの議論を簡潔に紹介しておくことにしよう。
 ペアレントクラシーという言葉を世に送りこんだ「第三の波」と題された論文を、ブラウンが『英国教育社会学会誌』というジャーナルに発表したのが1990年のことであった。当時イギリスは、サッチャー首相(当時)の主導による戦後最大と言われる教育改革で大揺れに揺れていた。その教育改革をリードした教育理念、それによって引き起こされた世の中の変化を、ペアレントクラシー、そして第三の波という用語で形容したのであった。
 ブラウンは、次のように整理している。

「第一の波は、19世紀後半に生じた、労働者階級の子どもたちのための大衆教育の勃興によって特徴づけられる。第二の波は、デューイの言う『事前決定という封建時代の常識』にもとづく教育の供給から、個人の業績や能力にもとづいて組織されたそれへの変化のことを指す。そして第三の波を特徴づけるのは、子どもたちの能力と努力ではなく、親の富と願望によって受けられる教育が大きく規定されるシステムへの移行である。別の言葉で言うなら、メリトクラシーのイデオロギーから私がペアレントクラシーと呼ぶイデオロギーへの変化が起きたのである」(前掲論文、p.65)

 第一の波、第二の波については、次節で改めて論じることにする。右の引用のポイントは、世の中がメリトクラシーからペアレントクラシーに移行しつつあるという認識である。
 イミダス時事用語事典によると、ペアレントクラシーはサッチャーの教育改革によって、「学校の学力レベルや良しあしに対する関心が高まり、学校選択を行う保護者が増加し、教育機会・教育達成度が、家庭の階層的・経済的要因に加えて、家庭の文化的環境や保護者の積極的な教育支援に左右され、教育格差が拡大する傾向が強まった」(イミダス、https://imidas.jp/genre/detail/F-101-0065.html)として提起された概念ということである。
 右の引用の最後の文においてブラウンは、「メリトクラシーのイデオロギーから私がペアレントクラシーと呼ぶイデオロギーへの変化」と表現している。
「イデオロギー」とは、「考え方」とか「理念」に近い言葉であるが、より突っ込んでいうなら、それは、「ある集団を結果的に利する考え方」というニュアンスをもつ社会学用語である。たとえば、「学校教育を受けることは万人にとって有意義なことだ」という理念があるが、現実の社会では各種の教育格差が存在しているため、学校教育のメリットを大きく受けるのは「富裕層」ということになりがちである。つまり、「誰にとっても大事だ」とされているものが、結局「もっぱら特定の人たちの得になっている」という現実があるわけだ。その時、見かけ上中立的な学校教育の理念は、特定の人たちを利するというイデオロギー的作用を持つということになる。
 では、メリトクラシーのイデオロギーとは何か。次節で詳しく述べるが、それは端的に言うなら、「個人の能力と努力で人生は切り拓かれていく」という考え方である。これは私たちの生活に深く根ざした「常識」となっており、その意義は万人が認めるものである。ただし、貧困や格差といったテーマが日常化してきている今日、日本社会において本当にメリトクラシーがうまく機能しているかというと、大きな疑問符がつくと言わざるをえない。

「親ガチャ」という言葉はなぜはやるのか
「親ガチャ」という言葉が、最近はやっている。「親は選べない」「どの親の子として生まれるかが人生を決定する」ということを意味する言葉である。由来は、「ガチャガチャ」と呼ばれる、オモチャなどが入った丸い透明カプセルを販売する自動販売機。コインを入れ、商品を取り出すハンドルを回す際に「ガチャガチャ」と音がすることからこう呼ばれている。100円や200円を入れたらオモチャやフィギュアが出てくるわけだが、素敵なものが出てくるか、魅力のないものが出てくるかは、やってみないとわからない。運を天に任すようなものである。人間の運命も同じ。いわゆる「よい親」のもとに生まれるか、そうではないか。そうした事態を揶揄やゆ的あるいは自嘲的に表現する言葉が親ガチャである。
 大学の授業でペアレントクラシーについて話したとき、学生たちがしきりに引き合いに出してきたのが、この、流行しはじめたばかりの親ガチャという単語であった。しかしなんとも落ち着きの悪い、気味の悪い言葉だなと、私は違和感を覚えたものである。
 いずれにしても、この言葉がはやる素地が、今日の日本にはある。どの家に生まれるかで子どもの人生に大きな違いが出てくるということを、人々は身にしみて感じている。学校教育が成立する前の世の中もそうだったのではないか、と思われるかもしれない。たしかに身分や家柄で人生がほぼ決まっていた時代があった。ただそれは、「見えるカベ」だったはずだ。今日の社会では、身分や家柄、あるいは貧富の違いによる社会的障壁は、公式的にはないことになっている。しかしそこには、「見えないカベ」が厳然と存在している。現代の子どもたちにとって、家庭環境の違いは決定的な意味をもつことが多い。

2 ペアレントクラシーにいたる歴史

近代世界を動かしたメリトクラシーの原理
 日本の近代の出発点となるのは明治維新である。大政奉還がなされた1867年をそのスタートとみなすなら、そこから今日(2022年)まで150年余りの歳月が流れたことになる。
 そのちょうど真ん中あたりに、近代の世界史のもっとも大きな出来事であった第二次世界大戦(1939~1945年)が位置する。おおざっぱに言うなら、明治維新から第二次世界大戦終戦までの期間(約75年)とほぼ同じだけの時間が、大戦後すでに経過したことになる。図に示すと、下記の通りである。

【図表1-1 歴史の流れ】

 60歳を過ぎた筆者らの世代でも、「第二次世界大戦」に関してリアルな実体験があるわけではない。「明治維新」とともに、それは歴史上の出来事である。しかしながら、自分自身が生きてきた図中のBの期間の長さがAの期間と同等になり、今後はそちらの方がどんどん長くなっていくという事態は感慨深い。もはや、「大戦後から今日まで」の時間の方が、「明治維新から大戦前にかけて」の時間よりも長くなりつつあるのだ。
 教育について言うなら、図表1-1のAの期間(明治維新→第二次世界大戦終戦)をつかさどったのが1872年に発布された「学制」である。四民平等の精神にのっとり、「必ずむらに不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」とうたったこの旧学制のもとで日本の教育は展開していった。学校教育の拡大をバネに明治・大正・昭和と日本は急速な近代化を遂げたものの、それは、第二次世界大戦における敗北という不幸な帰結をもたらすもととなった。
 大戦後、アメリカ合衆国GHQの指導のもとで、1947年にスタートしたのが新学制である。これは、小学校・中学校・高等学校・大学を軸とする単線型学校体系を打ち立てたものであった。日本はこの教育制度のもとで順調な高度経済成長を遂げ、1970年代には早くも先進国に仲間入りし、今日にいたるまで世界を先導する大国としての役割を果たし続けている。
 教育勅語を柱とする旧学制から、民主主義を標榜する新学制へ。日本の教育の中身は、2つの時期できわめて対照的な特徴を有している。しかしながら他方で、両者は、同じ目標に向けて組み立てられたものであったと指摘することも可能である。その目標が「メリトクラシーの推進」ということになる。
 明治日本の中心的国是は「富国強兵」であった。また、戦後の日本の最重要課題は「経済成長」であった。いずれもその鍵となるのは「人づくり」である。いかに国家にとって有用な人材をつくりあげるか、その目標に向けて学校制度の総力が結集され、国民の動員が図られた。その背景にある人材選抜の考え方、そしてそれにもとづく国家統治のあり方がメリトクラシーと呼ばれるものである。この150年ほどの間、日本という国、もっと言うならば世界じゅうの国々を動かしてきたのが、このメリトクラシーの原理である。
 メリトクラシーは「業績主義」と訳されることが多い。この言葉の生みの親であるイギリスのヤングは、メリトクラシーの社会を、次のような公式で表現している(ヤング 1982)。

業績(Merit)=能力(IQ)+努力(Efforts)

明治維新が転換点に
 すなわち、諸個人が有する能力と彼らが蓄積する努力が組み合わされた結果としての「個人のメリット(業績)」に応じて、彼・彼女の人生が切り拓かれていく社会がメリトクラシーの社会なのである。先にあげたブラウンの議論と重ね合わせると、そのうち、図表1-1のAの部分が「第一の波」、そしてBの部分が「第二の波」に等しいということになる。いずれも、メリトクラシーが主導原理だった時代である。
 このような、個人の能力と努力が重視される近代社会の前に存在したのが、「アリストクラシー」(貴族主義)の社会である。一般的には、「身分社会」と表現することができる。そこにおいては、王を中心とする貴族たちが社会の支配層を構成した。そして、諸個人の人生は、各自の生まれ(身分や家柄)によっておおかた定められていた。その「運命(定め)」にあらがうことには、大きなリスクや社会的コストがつきまとったはずである。
 18世紀末から20世紀にかけて、世界の多くの国々でそれぞれの歴史的文脈にもとづいた市民革命が生起し、アリストクラシーの社会がメリトクラシーの社会へと転換を遂げることになった。すでに述べたように、日本の場合は、明治維新がその転換点となる。
 さて、図表1-1のBの時期の長さがAの時期のそれに並んだ今日、新しい事態が日本社会を覆いはじめている。端的に言うなら、150年続いたメリトクラシーの世の中が大きく変質しはじめているように見受けられるのである。その変化の内実をなすのが、ペアレントクラシーへの移行だと表現することができる。先にも述べたように、ブラウンによれば、ペアレントクラシーは次のように定式化できる(Brown 1990)。

選択(Choice)=富(Wealth)+願望(Wishes)

メリトクラシーの究極の形がペアレントクラシー
 21世紀を迎えた今日の先進諸国では、人々の人生は選択に基礎づけられたものとなっている。その選択に決定的な役割を有するのが、親(家庭)が所有している種々の「富」と、子どもの教育・人生に寄せる「願望」だというのである。
 ペアレントクラシーには、理念としての側面と実態としての側面があることに注意されたい。「理念としての側面」とは、親の選択の自由を最大限に尊重しようとする政治的スタンスのことで、本書5章で論じる、今日の新自由主義的教育改革の底流をなすものである。前著『二極化する学校』(2021年)で論じたように、この側面が公教育の「解体」をもたらしつつあると見ることもできる。他方、「実態としての側面」が、親ガチャという言葉で形容される、子ども・若者の間で見られる各種の「格差」の現状である。
 筆者の考えるところ、ペアレントクラシーは、メリトクラシーの次に来る新たな時代というわけでもない。かつてヤングが警鐘を鳴らしたように、メリトクラシーの原理をつきつめるなら、その究極の形としてペアレントクラシーが立ち現れると考えた方が真実に近いように思われる。
「個人の能力と努力こそが大事だ」というメリトクラシーの理念は、近代社会を動かす機関車としての役割を果たしたと言っても過言ではない。ある時期たしかにメリトクラシーは、社会の進歩・発展のカギを握るものだとみなされていた。ただし、それはメリトクラシーが持つ光の部分である。モノには必ず表と裏の両面がある。ヤングが強調したのは、メリトクラシーがもつ影の部分の方であった。すなわち、彼がその主著『メリトクラシー』(原著1958年)という未来小説で描いたのは、能力原理による階級対立が顕著になった分断国家の姿であった。ヘタをすると、メリトクラシーの発展型としてのペアレントクラシーの社会は、かつての前近代社会のような、不平等と差別に満ちた社会に成り下がってしまうかもしれないのである(※注)。

3 ペアレントクラシーの現状

ペアレントクラシーはどのように顕在化しているか
 では、現代の日本社会を見た場合に、ペアレントクラシー化の趨勢すうせいはどのようなところで顕在化しているだろうか。ここでは3点にしぼって、その現状に迫ってみたい。
 その3点とは以下である。

①各界で二世と呼ばれる人が増えていること⇒二世化
②毛並みのよさが問われる社会になってきていること⇒サラブレッド化
③教育の世界においてさまざまな格差が広がっていること⇒格差化

順に見ていこう。

①二世化
 各界で二世現象が広がっている。政界、財界、学術界、芸能界、スポーツ界等々において、いわゆる二世と呼ばれる人の数が増え、活躍の度合いが増しているように思われる。「二世」とは、言うまでもなく、「一世(親)の地位を継いだ(継ぐ予定の)者」のことである。
 似た意味を持つ言葉に「世襲」があるが、こちらの方は、特定の地位や職業などを、「子孫が代々継承する」ことを意味する。伝統芸能の世界を思い浮かべていただければいいだろう。たとえば市川海老蔵えびぞうという役者がいるが、彼は「11代目」である。若いころはともかく、今では押しも押されもせぬ大看板。いずれ「市川團十郎だんじゅうろう」(13代目)という名跡を継ぐことになっているようだ。
 読者の皆さんは、そうした「名門」に生まれた男子が、30~40代ともなるといずれも「ひとかど」の役者に成長していることを不思議に思わないだろうか。たとえば歌舞伎を演じるには、さまざまなワザや所作を身につけなければいけないはずだが、そもそもそれには「才能」は関係ないのだろうか。結論を先に言うなら、筆者は「環境がほぼすべて」だと思っている。歌舞伎の家に生まれることが決定的なのである。その中で呼吸をし、ご飯を食べ、周囲の人とかかわるなかで歌舞伎役者におのずとなっていく。市川の家に生まれなければ、海老蔵にはなれない、と言ってもよい。
 各界で二世現象が広がっているという事実のうらにあるのは、一世のもとに生まれ、そこで育つことが、各界で活躍するための大きなアドバンテージとなる度合いが今日高まってきているという事情であろう。最もわかりやすいのが政界の事例である。
 まず、歴代首相を見てみよう。1996年に自民党が政権に返り咲いた時の首相が橋本龍太郎である。以下、政権は次のように引き継がれてきた。

橋本龍太郎→小渕おぶち恵三→森喜朗→小泉純一郎→安倍晋三→福田康夫→麻生太郎→鳩山由紀夫→かん直人→野田佳彦→安倍晋三(返り咲き)→菅義偉すがよしひで→岸田文雄

 合計12人であるが、そのうち二世・三世などの世襲政治家でないのは、菅直人・野田佳彦・菅義偉の3人だけである。そのうち前の2人は民主党政権下の首相であるため、近年の自民党政権下において世襲でなく首相の座に着いたのは、菅義偉ただ1人ということになる。
 また現在、国会議員の約3割が「二世」を中心とする世襲議員だという報告がある。そこでは、計量的な分析の結果、「世襲議員は選挙における地盤や資源に恵まれており、選挙に強く、当選回数が多いということ、さらに世襲議員は自分が代表する地域により多くの補助金をもたらす」(飯田他 2010、139頁)ということが指摘されている。
「地盤、看板、カバン」というよく知られた言葉がある。この3つの「バン」に恵まれていなければ、選挙に勝つことは難しいという現実があり、それが世襲議員の輩出という現実につながっている。
 話は変わるが、芸能界においても、二世芸能人の増加が顕著なようである。インターネットで検索してみると、「成功していると思う二世タレントランキング!親の七光りを感じさせない二世タレントは?」という記事があった。そこでのベスト10には、宇多田ヒカル、佐藤浩市、Taka、杏、香川照之、長澤まさみ、京本大我、新田あらた真剣佑まっけんゆう、杉咲花、松たか子といった名前があがっている(https://ranking.net/rankings/best-nisei-geinoujin)。筆者には、そもそも誰だかわからない人物も数人混ざっているのだが、彼らがどういう二世であるか(=誰が彼らの親であるか)、読者の皆さんにはおわかりになるであろうか。
 芸能界で、あるいは音楽やスポーツの世界で、なぜ二世が増えているのか。確たる根拠があるわけではないが、おそらく言えるのは、「一世」の人たちが培ってきた知識や技能の確かさ、人気の高さ、仕事に対するモチベーションの強さ、経済的な富や資産の豊かさ、人間関係のネットワークの広がりなどが、二世の人たちのスタート時点での大きなアドバンテージになるということであろう。もっとも二世たちの、将来へと続く「成功」となると話は別である。「親の七光り」だけでしぼんでいくか、末広がりの活躍を見せることができるか、二世なりの研鑽けんさんや工夫がそこでは必要となるはずである。
 二世現象の広がりは、社会の階層的再生産の傾向が強まっていることの現れと見ることもできる。社会学における階層研究分野での知見によると、日本社会全体の階層的流動性はここ半世紀ほとんど変わっていないが、「社会の上層レベルでのパイ縮小と上昇移動率の低下」という事実が観測されるということである(石田・三輪 2008)。そこで念頭に置かれているのは、ホワイトカラーのなかでも管理・専門的な職業ではあるが、政治家にしてもタレントにしても、人々から注目を集める「社会の上層」に位置する者であることに間違いはない。一般庶民の手の届かないところで、階層的閉鎖性の強まりが顕著になってきていると結論づけてよいだろう。

②サラブレッド化
 右で述べた「二世化」という現象とも深くかかわってくるが、ペアレントクラシーの社会では「毛並みのよさ」(あるいは「育ちのよさ」)が大きく問われるようになってきていると、筆者には感じられる。
 先日たまたまテレビをつけると、上白石かみしらいし萌音もねという俳優さんのインタビューが放送されていた。2021年下半期のNHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の主人公を務めた人物である。話を聞きながら、筆者の脳裏に浮かんできたのが「芸能界のペアレントクラシー」という言葉であった。
 俳優ということであるが、歌がとてもうまい。そして、作詞もし、エッセーも書くという。演技も文句なく上手である。「若い人は(マルチに活躍して)すごいね」という聞き手の突っ込みに対して、「そうですね。私の周りの人たちも皆ボーダレスになってますね」と答える彼女。周囲にいる若い知り合いたちも、皆「ボーダレス」に頑張っている、すなわちいろいろなジャンルでの活動に手を伸ばしている、ということである。彼女は、アカプルコでの思い出(お父さんが日本人学校の教師だったようだ)や、同じく俳優である2つ違いの妹・萌歌もかとのエピソードをにこやかに語った。
 彼女を見ていると、多くの人が「育ちのよさ」を感じるのではないか。海外日本人学校にも勤務した父親と元音楽教師で自らのピアノの先生でもあった母親の薫陶くんとうのもとで、すくすくと自分が持つ才能・資質をのばしたのが、現在24歳になる彼女である。「ペアレントクラシー」を地で行く存在であるように、私には思われる。
 話を、筆者の知り合いのお子さんに移そう。その知り合いというのは北陸のある県の教育関係者であり、配偶者も高校教員である。端的に言うと、両親が教師で、一人っ子であるそのお子さんは、現役で東京大学に進み、卒業後は文部科学省に入省した。
 筆者も東京大学教育学部出身ということもあり、そのファミリーと食事をともにすることがあった。そこで彼女は、次のように語ってくれた。「最近は志水先生がおっしゃるような『苦学生』的な教育学部生はほとんどいませんよ。みんな明るく、余裕をもって入学してきた仲間が多いですよ」と。彼女自身が、まさにそうなのである。明るく、素直で、賢明で、親思い。どこにも文句のつけようがない人である。
 私が大学を受験したのは、40年以上も前のことである。私は運よく現役で合格したが、一浪はおろか二浪、三浪もふつうに存在した。当時の現役合格率は45%ほどであったと記憶する(現役合格が嬉しかった私は、鮮明にその数値を覚えている)。また、自分自身も含め、地方の「無名校」から合格を果たす者もちらほらいた。入学当初そうした「マイノリティ」が集まって、大学生活をスタートさせた記憶もある。今日では、そうした地方の無名校からの東大進学はレアケースになっている。今日、東京大学の現役合格率は70%以上に達しているという。また、合格者の大部分は、名の知れた進学校の出身者である。
 なぜ現役合格率がこれだけ高くなっているのだろう。明らかにひとつの要因として、経済的理由から、あるいは心理的理由から、受験生が浪人という選択肢を避けるようになってきているという事態を挙げることができる。しかし、私には真の要因はほかにあるように思われる。それはずばり、「ペアレントクラシーの高まりの帰結」とでも言えるものである。東大へといたる受験の道のスタートは著しく低年齢化しており、周到に親が用意した子育て・教育によって順調に成長した若者たちが、ある意味余裕をもって受験というハードルをクリアできているのではないか、と考えるのである。逆に言うと、苦労してはいあがった者が逆転できないようなギャップ、あるいは地方で自分なりの地道な努力を続けているだけでは乗り越えられないようなカベが、そこには生じているのかもしれない。
 前に挙げた俳優さん、あるいは知り合いのお子さんは、表現はやや適切ではないかもしれないが、大切に育てられたサラブレッドのような存在である。サラブレッドは、英語で書くと thoroughbred となる。すなわち、「徹底的に」あるいは「綿密に」(thorough)、「飼育された」(bred)存在が、サラブレッドなのである。
 教育社会学者の本田由紀は、「ハイパー・メリトクラシー」という考え方を提起している(本田 2005)。「ハイパー」とは、「超」という意味である。メリトクラシーを超えた次の段階「ハイパー・メリトクラシー」の世の中では、従来必要とされてきた能力(=受験学力で主に測られるようなもの)だけではなく、コミュニケーション能力や独創力、問題解決力、さらには「感じの良さ」「人間力」などの数値化・測定化できない能力が重視されるようになる。このハイパー・メリトクラシーという捉え方は、本書の主題であるペアレントクラシー社会で重要視される能力の中身を適切に捉えているように思われる。サラブレッドの「毛並みのよさ」は、とんがったものであってはならない。それは、しなやかで上品なものでなければならない。
 ただし、サラブレッド馬の使命はあくまでも競走に勝つことである。「最も速く走る」という卓越性が求められるのである。現代を生きる人間の場合、ただコミュニケーション能力があればよいというものではなく、激烈な競争を勝ち抜くことが前提条件となる。その上で、他者と良好なコミュニケーションができて、独創的な問題解決力を発揮できること。卓越したサラブレッドは、速いだけでなく、見かけも走り方もすばらしくなければならない。

③格差化
 ここまで見てきたのは、主として社会の上層にかかわる部分であった。言い換えるなら、ペアレントクラシーのなかで自己を生かすことができている人々について見てきたわけである。次に、その「逆サイド」に目を向けてみよう。すなわち、ペアレントクラシーというゲームのルールを十分に生かすことができない人たち、もっと言うなら、その中で「割を食っている」人たちのことである。
 筆者は、2000年ごろから学力問題の調査研究に携わってきた。きっかけとなったのが、その当時に勃発した学力低下論争と呼ばれるものであった(市川 2002)。私たちは比較的大規模な実態調査を行った。そこで見出されたのが、「学力低下」の内実は「学力格差の拡大」であるという事実であった(苅谷他 2002)。
 わかりやすく言うなら、小中学生の間に、学力の「2ふたこぶラクダ化」とでも呼ぶべき事態が進行していることが明らかになったのである。それ以前の段階ではおおむね「1ひとこぶ」だった子どもたちの学力分布が、「できる層」と「できない層」に分極化する傾向が見られはじめたのである。そしてその「2こぶ」は、子どもたちの家庭背景と強く関連していた。すなわち、「できる層」は豊かで安定した家庭生活を送っている層と、「できない層」は家庭生活にさまざまな課題をかかえている層と大きくオーバーラップしていたのである。この状態は今日の公立小中学校では常態化しており、「できない層」をどう支えるかという課題が各校の共通した懸案事項となっている。
 この点にかかわって注目されるのが、子どもたちの「体力の二極化」という問題である。2021年に『子どものスポーツ格差』というタイトルの本が出版されたが、この本のなかで子どもたちの「体力の二極化」が、筆者らが指摘してきた「学力の二極化」に相伴うものとして検討されている。そして、「様々なデータが示すようにスポーツへのアクセスに人々の社会経済的地位が強力に影響するようになってきて」おり、「近代以前のスポーツへと逆コースを辿りつつある」(清水編著 2021、ⅵ-ⅶ頁)という重要な指摘がなされている。ここで言う「近代以前のスポーツ」とは、特定の地位や身分にある者たちのみがその面白さや喜びを享受できたもの、という意味合いを有している。
 話を学力格差に戻す。学力格差の実態を把握し、その改善・解決の方向性を探ろうと試みてきた筆者がある時思いついたのは、格差が顕在化しているのは一人ひとりの子どもたちだけではなく、彼らが学ぶ学校自体の格差が拡大し、二極化が進んでいるのではないかという疑問であった。勉強の「できる層」と「できない層」の二極分化を追いかけていたら、できる子が集まる「評判がいい学校」とできない子が集まる「評判がわるい学校」への二極分化が目に入ってきたということである。
 多少の地域差はあるものの、小中学校については、「できる子」が行く「私学」、ふつうの子が行く「公立」という色分けはこれまでもあった。それが、公立学校のなかでも分極化が進行しはじめたのである。それに実質的に拍車をかけたのが、2000年の品川区以来、2000年代に各地で広がった「学校選択制」の導入であった。文部科学省の調査によれば、2006年には全国のほぼ14%の自治体が何らかの学校選択制を採用することになった。もっともそれ以降、学校選択制の導入にはブレーキがかかり、今日では見直しの動きが広がっているようだ(志水 2021、4章)。
 いずれにしても、2007年からはじまった全国学力・学習状況調査が定着した今日、その得点分布を見ると、ほとんどすべての自治体で高得点をとる学校とそうではない学校に分極化する傾向が見られる。そしてそれぞれの学校の得点は、学校が立地する地域の、あるいはその学校を選択する親たちの社会経済的地位に大きく規定されるものとなっているのである。
 高い平均点をとる学校を「いい学校」、低い平均点しかとれない学校を「わるい学校」ととらえる見方は正当ではないことを、ここで強調しておきたい。なぜならば、学力テストの点数には、大ざっぱに言って「家庭の力」と「学校の力」が関与しているのであり、少なくとも教育社会学の視点から言うなら、高い平均点に主に寄与するのは「家庭の力」だと考えることができるからである。極端に言うなら、学歴が高く、専門職についている保護者の比率の高い学校では、教師がさぼっていても子どもたちは高い点数をとるのである。それを「いい学校」と形容するのは、果たして正しいだろうか。逆に、「しんどい」家庭の多い学校では、教師が子どもたちの学力を懸命に下支えしようとしても功を奏さないことも多く、平均点は低迷しがちになる。それを「わるい学校」と評価するのはフェアではない。

「絵に描いた餅」になりかねない「多様な選択肢」
 ペアレントクラシーの基本となる考え方は、「子どものために少しでもよい教育を与えたい」という親心にある。それに応えるために学校教育システムを再構築することが必要だということである。子ども・保護者の多種多様なニーズに応えるために、さまざまなタイプの教育機関を設け、選択肢を増やすことが試みられている。しかし現実には、その試みの恩恵を受けることができるのは、主として先述の著書のなかで「教育を選ぶ人」と名づけた、一部の人たちである。より多数からなる「教育を受ける人」たちにとっては、選択の自由の尊重を掲げる教育システムは、品揃えは豊富だが、高いものしか置いていない、高級デパートのようなものである。さらに、貧困層や外国籍の人たちといった人々は、常に「教育を受けられない人」に転落するリスクをかかえている。彼らにとって、多様な選択肢は絵に描いた餅にすぎない。
 そうした状況のもとで、高校や大学のみならず、小学校や中学校までもがタテ方向に序列化する傾向、すなわち「いい学校」と「わるい学校」に分極化して把握される傾向が強まっている。ゆゆしき事態だと言わざるを得ない。

4 新自由主義的教育政策との共依存関係

強まりつつある新自由主義的色彩
 新自由主義とは、何よりも市場競争を重視し、自己責任を基本とした小さな政府路線のもとで、福祉・公共サービスの合理化、公営事業の民営化、大幅な規制緩和、労働者保護政策の廃止などを図ろうとする政治スタンスのことである(志水 2021、44頁)。その流れのなかにある新自由主義的教育政策とは、「市場原理(より具体的にいうなら、選択の自由、あるいは競争原理や成果主義)を教育の場に持ち込もうという明確な意図を備えた一連の政策」(前掲著、20頁)のことを指す。ペアレントクラシーは、この新自由主義的教育政策といわば共依存関係にあると言える。
「共依存」とは、心理学の用語で、「自分と特定の相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態」を指す。先にペアレントクラシーには、理念としての側面と実態としての側面があると区別した。そのうちの理念としてのペアレントクラシーとは、教育システムを再構築するうえで、保護者の選択の自由を最大限保障することを目標とするものであった。その理念を真っ正面に据え、教育システムのリストラを断行しようとするのが新自由主義的教育政策である。
 そもそもぺアレントクラシーという語の生みの親であるイギリスのブラウンがその言葉を発表したのが1990年のことであった。筆者はほぼ同時期(1991~93年)にイギリスで在外研究に従事していたのだが、そこで目にしたものはサッチャー元首相のもとで成立した1988年教育改革法によって、劇的な変貌を遂げつつあるイギリスの教育界であった。ブラウンはその状況を目の当たりにして、ペアレントクラシーという言葉を発想したに違いない。親の自由な選択が教育システムの中核に来る時代の到来を予感したのである。
 日本では、イギリスよりやや遅れて、新自由主義の考え方が教育界に入ってくることになる。最大の画期となるのが、2000年の品川区における学校選択制の導入である。それを含め、日本における新自由主義的教育改革の経緯については拙著(2021、特に2章)にまとめているので、そちらをご覧いただきたい。いずれにしても、本家イギリスに比べるとマイルドな形ではあるが、日本の教育界も新自由主義的色彩が強まりつつある。具体的には、学校選択制の導入以外にも、民間人校長の採用、全国学力テストの導入、中等教育学校(1999年創設)や義務教育学校といった新しいタイプの学校の創出、学校運営協議会の設置を伴うコミュニティ・スクールの法制化などが、その代表的施策である。
 そのような施策が採用される背景には、疑いもなく実態としてのペアレントクラシーの高まりがある。一人ひとりの多様な個性の伸長こそが教育の最大の務めだとする常識の形成、教育を選ぼうとする「熱心な層」の増大、競争によってこそ教育の質は高まるという信念の流布などの下地がなければ、新自由主義は成り立たない。そうした下地が成立していたからこそ、2000年代になって日本の教育界は、急速に新自由主義化している。そして、そうした教育政策の連なりが、さらに人々の教育に対する「願望」を増幅させていくのだ。
 つまり、理念としてのペアレントクラシーが新自由主義的政策の勃興をもたらし、さらにその展開が実態としてのペアレントクラシーを強化していくという循環構造の成立あるいは相互依存関係の強化をもたらしているのである。そしてその相互依存関係は、もはや「共依存」とでもいうべき病的な段階にまで来ているのではないか、というのが筆者の見立てである。
「親ガチャ」と形容されるほどに、子どもの運命は、どの家に生まれるかという条件に左右されるようになっている。そうしたペアレントクラシーの実態に対して、新自由主義と呼ばれる教育政策が「火に油を注ぐ」形で作用してしまっているということである。新自由主義のもとでは、個人や学校や地域が競い合い、「勝者」と「敗者」にくっきりと識別され、結果の一切が自己責任とされるという事態が生じやすい。そもそも教育には、数値化できないもの、短期的には効果が見えにくいもの、優劣という評価軸にはなじまないものが含まれており、それこそがより重要であるという見方も可能であり、筆者などはそうした立場にくみするものである。

5 本書の構成

 以下、本書では、現代日本におけるペアレントクラシーの実態を、異なる4つの視点から読み解いていきたい。その四者とは、「子ども」(2章)、「保護者」(3章)、「学校・教師」(4章)、「教育行政」(5章)である。各章では、それぞれにとってのペアレントクラシーの現実をできるかぎり具体的に描き出すことを試みたい。それぞれの場で何が起こっているのか。当事者たちは何を感じ、考え、行動しているのか。4つの章を通して、ペアレントクラシーのリアリティーの立体的な把握を試みたい。
 最後の6章では、2~5章の4つの章で明らかになったペアレントクラシーの姿をどう評価すればよいかについて、筆者自身の視点から論じる。読者の皆さんには、それぞれの立場から(市民として、社会人として、学生として、親としてなど)筆者の議論に耳を傾け、ペアレントクラシーに自分自身としてどう向き合うかをともに考えていただきたい。

※注:本節は、以下の文章をもとにしている。志水宏吉『二極化する学校』(2021)、1章1節。図表には若干の修正を施した。