「自分を癒やす」「人生のちょっとしたおもしろさを楽しむ」ふたりの新人作家が読者に届けるエール
「読者の圧倒的支持を得る」。どこかで耳にしたことがある言葉だと思う方も多いだろう。しかし、実際にはそんなに当たり前のことでも、簡単なことでもない。
今年相次いでデビュー作を上梓したふたりの新人作家、潮井エムコさんとせやま南天さん。
潮井さんはエッセイストとして、せやまさんは小説家としてデビューした。ふたりの作品は多くの読者に支持され、ネット上には共感の声や応援する声が届けられている。
まずはふたりのデビュー作について紹介したい。
新人作家ふたりが、お互いや読者からの感想を通して、作品について話し合った。
■「自由奔放でかつ繊細」という不思議な印象の作品
――おふたりはSNSではやり取りがあったようですが、お顔を見てお話しするのは今日が初めてなんですよね。お互いどんな印象を持っていましたか?
潮井エムコ(以下、潮井):せやまさんのことはネット記事の著者プロフィールでお写真を拝見していまして。その時から、作品とご本人の雰囲気がぴったりだという印象を持っていました。だからか、お会いしたことはないのに、勝手に以前から知り合いだったような気持ちになっていましたね。
せやま南天(以下、せやま):ふふふ。私は、潮井さんが書籍を出される前にnoteであの「卵」の話(潮井さんの高校の家庭科のエピソード。「学生結婚と子育て」として収録)を読んで、そこではじめて潮井さんのことを知りました。すてきなエピソードだなと思っていて。
その後、『置かあば』にも収録されている「4歳の家出」を読んだんです。4歳の女の子がリュックに着替えを詰めている様子を思い浮かべて、応援したい気持ちになりました。まとめ方もすてきで。
「家出は失敗に終わってしまったが、あの時自分の足で家を出た瞬間に見たキラキラの輝きを、私はこれからも忘れることができないだろう」と、小さな子が冒険に出る時の心の高鳴りが見事に表現されていて。
きっと潮井さんは小さい頃から、そういうエピソードの一つ一つを忘れずにすごしてこられたから、こういう本を書かれたのだろうなと思っていました。私は、すぐ忘れちゃうので(笑)。
潮井:自分の中で印象的だったことは、定期的に思い出すんです。更新され続けるからしっかり覚えているというか。ただ、それ以外のことは、すごく忘れっぽいんです、私。
せやま:えええ?(笑)
潮井:信じてもらえないかもしれないですけど(笑)。自分にとってどうでもいいことはすぐに忘れちゃうんです。でも、家出をした時は、「もうこの家には絶対に帰ってこないぞ」という決意のもと、家出をしたので。そういう、心が決まった時というのはすごく大きな決断で、だから忘れていないのだと思います。
せやま:そういったエピソードは映像として覚えているんですか?
潮井:はい。例えば、家出の荷造りに使ったリボンの素材や色、どこのケーキ屋さんのケーキについていたリボンかまで覚えています。それを思い出しながら、順を追ってスマホにパパパパパッてメモしていって、エッセイにしていく感じです。
記憶に残っているということは、強烈に心が動いたとか、ものすごく考えたということなので、鮮明に覚えているんですが、その反面、どこか他人事というか、昔の私は昔の私として独立した人格を持っているような、客観的な目でも見てしまうんです。
せやま:そうですよね。お姉ちゃんが登場するところとか、4歳の潮井さんの視点だけではない描き方になっていて、物語を読んでいる感じもあるなと思いました。
潮井:姉が、「また怒られるのにばかなことやってるなー」みたいな感じでつきまとってきて、私が玄関で靴をはいて「もう帰ってこないっ」とか言っているのをニヤニヤしながら見ているのを、すごく覚えているんです。その時の映像を見ながら、今の私が書いている感じです。
せやま:作品を読んで、自由奔放でかつ繊細みたいな、不思議な印象を受けたのですが、作者である潮井さんが俯瞰の視点を持っていることが、作品を多面的にしているのかもしれないですね。
■書くことで、記憶がないくらい忙しかった自分を癒やしたかった
──潮井さんは、せやまさんの作品を読まれてどう思いましたか?
潮井:これは私のよくないところなんですけど、「小説は頭のいい人が読むものだ」という先入観のもと、ほとんど読んでこなかったんです。『クリキャベ』は、そんな私が最初から最後まで一気読みしたという、自分でもびっくりした本です。
『クリキャベ』に出てくる登場人物は、みんないい人で、優しいのだけど、なんかうまくいかないという不器用さを持っていて。せやまさんが、その人たち一人ひとりにスポットライトを当てて、自然に答えに導いていくような優しさを感じました。
たぶんせやまさんは、常日頃からいろんな人にあたたかいまなざしを向けられていらっしゃるのだと思うんです。そのまなざしが登場人物にも注がれているような気がして、みんなに感情移入しながら読みました。
せやま:ありがとうございます。
潮井:主人公の津麦が育った永井家の親子関係と、津麦が家事代行としてかかわる織野家の親子関係が、津麦の存在によってちょっと交差して、それぞれの家庭が抱えている問題が浮き彫りになっていく。
それを解決していくお話だったと思うんですけど、私自身が出産して、親になったタイミングで拝読したので、作品のなかで描かれているさまざまな人間関係に、余計に感情移入したかもしれません。
本当におもしろくて、印象に残ったところに付箋を貼っていったら、付箋だらけになりました(笑)。
せやま:(笑)。私もコロナ禍前の2020年くらいまで、働きながら子育てをしていたのですが、その頃は本当にいっぱいいっぱいで。特に、子どもが0歳と2歳で、どっちもおむつをはいていて、片方は赤ちゃん返りするし、みたいな時は本当に、記憶がないぐらい忙しかった。
あの頃の自分を癒やしたいなという気持ちで、この話を書き始めました。
今から思い返すと、忙しさのピークは2、3年だったから、その短期間であれば割り切って、まわりに頼ることができていたらって思うこともあります。
潮井:小説のなかでご自身の性格が反映されることってあるのでしょうか?
せやま:性格は津麦かもしれませんが、家事がまわらない苦しさは織野朔也(編注:5人の子どもを育てているシングルファーザー)に投影しています。
彼のポジションを女性にしたほうが、境遇が重なる人が多いのかもしれませんが、今は家事・育児をする男性もたくさんいるから、ここは男性にしたいと思って、織野朔也というキャラクターになりました。
潮井:なるほど。
せやま:仕事を辞めてから、家事と向き合う時間は増えたんですけど、今度は「家事って終わりがないな」と思うようになったんですね。その部分は津麦のお母さんに投影しています。終わりのない家事にとらわれている人物として。
潮井:私は(家事代行会社の相談員の)安富さんがすごく好きなんですよ。
せやま:(笑)。ありがとうございます。安富さん、すごく人気なんです。
潮井:私にも安富さんがいてくれたら、と思いました(笑)。安富さんは、答えが出ていてもそれを言わずに、考えさせてくれるタイプの人。常に問いかけてくれる人の存在は大きいですよね。
たぶん安富さんは、せやまさんが一番大変な時に側にいてほしかった人なんじゃないかなって。
せやま:そうですそうです。こんな人がいてほしいなと思いながら書いたのが安富さんです。
潮井:やっぱり。
■ふつうの毎日でも、ちょっとしたおもしろさを見つける楽しさ
──読者からの感想でうれしかったものはありますか。
せやま:全部うれしいんですけど、noteに投稿していただいた感想で、志麻さんという方が、「読了して感想も書けずに時間が過ぎたのに、今になってこんなふうに書いているのは、なにか本と重なるものがじわじわ湧いてきたからだ」と書いてくださったんです。
日常に戻った後に、「そういえばあの小説にこんなことが書かれていたな」と振り返りたくなるものが書けたのかなと思うと、すごくうれしかったです。
もう一人、印象的だったmayuさんという方は、「どの家にも、何かしらこぼれた水がある。そしてそれは、誰かが必死で生きていない、家族を思いやっていないことを意味しているのではなかったりする」と書いてくださって。
ほかにも、昔のつらい経験を重ねて読んでくださっている方もいて、この小説から癒やす力を受け取ってくださっているのがうれしいと感じました。
潮井:ご感想をいただくのってすごくうれしいですよね。読んでもらえるだけでも信じられないくらいありがたくてうれしいことなのに、感想までくれるんですか!って。せやまさんが『クリキャベ』の感想をリポストしているのを見て、私まで感動して。
せやま:はははは。
潮井:「みなさんいいこと言ってらっしゃる!」って。本当に、感想の力ってすごく大きいと思います。
私は、文章のことで言うと、テンポのよさを褒めていただけたことはすごくうれしかったですね。難しい言葉を知らないので、身近なワードを使ってリズム良くいくしかない、と思っていて。
せやま:すごくリズムがいいですよね、潮井さんの文章は。「微分積分がブンブンと教室を飛び交う」(「教室に響く銃声」)も、めちゃくちゃ好きで。
潮井:ありがとうございます。意味として成立することよりも、頭のなかで再生した時の気持ちよさで、言葉を選んでいる節があります。「エムコさんらしい文章ですね」と言っていただけるのは、たぶんそこなんじゃないかな。というか、そこぐらいしかないんじゃないかと思うんですけども。
それから、「ほかのエッセイは、この人はすごい人生を送ってきたんだなと思うが、この本は、作者のおもしろさで書かれている」というご感想をいただいたことがあって。
私は、ほんとに平凡な人間で。かっこいい肩書とかないし、保育士とか幼稚園の先生として働いていた一般人が本を出したので、売り出す時に、すごく大変だったと思います。「こいつ、何もないな」って(笑)。
そんな私の身の回りで起きたことしか書いていないわけですが、だからこそきっと私がエッセイに書いているような「ちょっとしたおもしろさ」はみなさんの生活の中にもあると思うんです。
特別なことが起こるわけでもない毎日だけど、ちょっとおもしろさを見つける、そういう貪欲さみたいなものがあれば、もっと楽しくなるよという気持ちがあったので、そうした意味で自分の平凡さに着目していただけたことが、すごくうれしかったなと思います。
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「癒やしたい」。「日常のちょっとしたおもしろさに気づいてほしい」。このふたりのこの気持ちが、読者の気持ちを捉え、離さないのかもしれない。
自分を癒やすこと、人生を楽しむこと、その難しさと大切さを感じさせてくれるふたりの作品には、やさしくあたたかいエールが込められている。