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【いまこそ読みたい!不朽の名作】吉川英治文学賞受賞の傑作短編集、待望の復刊/北原亞以子著『夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋』末國善己さんによる文庫解説を公開

 北原亞以子さんの『夜の明けるまで 深川澪通みおどおり木戸番小屋』(朝日文庫)が2024年10月7日に刊行されました。「深川澪通り木戸番小屋」シリーズは、木戸番小屋に暮らす心優しい夫婦が、人々の悩みに寄り添う人情時代小説です。北原亞以子さんの作家活動や本シリーズの魅力に迫った、文芸評論家の末國善己氏による文庫解説を公開します。

北原亞以子『夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋』(朝日文庫)

 江戸の市中には、警備を容易にするため町の境界に木戸があった。木戸は夜四つ(午後10時頃)に閉じられ、それ以降に木戸を抜けるには、(町医者と産婆を除いて)木戸番がチェックをした後に、木戸の横に作られた潜戸を通っていたという。

 犯罪が起こると、木戸を閉じて捕物に協力する木戸番は、町を火事と犯罪から守っていたが、少ない予算で運営されていたため、屈強な若者ではなく安い給料で働いてくれる老夫婦が雇われることが多かった。給料が少ない代わりに、木戸番は番小屋での商売が認められていて、手軽に立ち寄れる場所として重宝されていたようだ。

 地域の人々が集う拠点であり、見知らぬ人の通過点でもある木戸は、人の出会いと別れを象徴している。この木戸に着目し、市井の片隅で懸命に生きる人々を描く連作〈深川澪通り木戸番小屋〉を作り上げた北原亞以子の着想は、まさに慧眼に値しよう。

 深川澪通りにある木戸番小屋で働く笑兵衛・お捨夫妻を軸に、下町の悲喜こもごものドラマに焦点を当てたシリーズは、1作目の『深川澪通り木戸番小屋』が泉鏡花文学賞を受賞し、1995年には神田正輝(笑兵衛)、池上季実子(お捨)の主演、タイトルを『とおりゃんせ 深川人情澪通り』としてNHKでドラマ化された。そしてシリーズ4作目となる本書『夜の明けるまで』は吉川英治文学賞を受賞しており、北原亞以子の代表作となっている。

 笑兵衛とお捨については、「日本橋にあった大店の主人だった」とか、「武家の出」であるとか、「京の由緒ある家の生れ」などの噂はあるが、その過去を知る者は誰もいない。何ごとにも無欲で、常に人のためを考えて生きる二人が、悩み傷ついた人たちを癒し、立ち直るきっかけを与えていくというのがシリーズの基本となる。

 本書の第七話「奈落の底」で、何かよからぬことを企んでいるらしいおたつの過去を調べた笑兵衛は、早くに父を亡くしたおたつが少女時代から体を売り、その後も「人の亭主を寝取」ったり、「妾奉公をして金だけ受け取って行方をくらま」すなど、数々のトラブルを起こしていたことを知る。普通ならば、犯罪スレスレの人生を送る無分別なおたつの行為に眉を顰めるものだが、笑兵衛とお捨は「ずいぶんと苦労した人なんだな」「ほんとうにねえ。きれいで陽気な人なのに」と述べ、おたつの辛かった半生を思いやるのだ。

 予断や偏見がなく、目の前にいる人をありのままに理解しようとする笑兵衛とお捨は、限りなく優しい。だが自分たちを必要とする人を懐深く受け入れる一方で、積極的に手を差し伸べることも、アドバイスをすることも少ない。澪通りの木戸番を訪れた人は、二人との何気ない会話を通して、自分の進むべき道を切り開いていくのだ。

 これは一見すると、そっけない対応のように思える。だが考えてみると、金に困っていれば金を融通してやり、心配の原因を取り除くために奔走することが本当の“優しさ”なのだろうか。手取り足取り忠告をした揚句、その人物が再び失敗した時、自分の行為を反省するのではなく、「助言が悪かった」と手を差し伸べてくれた人を怨むことも考えられる。それは決して問題の解決ではなく、逆に“甘え”を許すことになりかねない。

 人情は、他人へ信頼と愛情を寄せることが前提となるが、甘やかすことではない。相手に冷酷と思われても、突き放すことが必要な時もあるのだ。笑兵衛が相手を優しく見守りながらも、常に一定の距離を置いているのは、“甘え”を許さない決意ではないだろうか。貧しい人たちが傷を舐めあう人情ではなく、自覚と責任を持った個人がルールを守って“絆”を深める真の人情を描いたことが、シリーズに深みを与えていることは間違いないだろう。

 本書に収録された8篇は、女性の人生をクローズアップした作品が中心なので、様々な商売を営む女性たちの人生を描いた直木賞受賞作『恋忘れ草』を彷彿とさせるものがある。

 まず巻頭の「女のしごと」は、家事と子育て、舅姑の世話に忙殺されていた母に反発し、江戸に出てきたおもよを主人公にしている。おもよは生活に困らないだけの金を稼ぎ、余暇には趣味の合巻本を読む悠々自適の毎日を送っていたが、綿密な計画もないまま自分の店を出した友達お艶を手伝うようになったことで、とんでもない事態に巻き込まれていく。

 続く「初恋」は、実家を救うため意に添わぬ結婚をした女が、婚家での仕打ちに耐えかね、本当に愛した男と命をかけて添い遂げようとするもので、せつない恋物語となっている。「初恋」と対照的なのが「こぼれた水」である。釘鉄問屋の近江屋に嫁いだお加世は、結婚以来、亭主だけでなく舅姑にも仕え、懸命に家を支えてきた。だが夫は、お京という女に夢中になる。お京は家事は苦手だが、商売のアイディアや算盤勘定には長けていてバイタリティにあふれている。その一方でお加世は、自分の意志を持たず流されるままに生きてきた。それだけにお京と一緒になると宣言した夫に、お加世が啖呵を切ってみせるラストは痛快だ。

「いのち」は、自分を火事場から助け出したために、前途有望な武士を死なせたと考える老婆の物語になっている。人間の“命の重さ”に違いはあるのかと悩む老婆の姿は、先進国の中でも自殺による死亡率が高い現代の日本で生きる読者に、生きることの意味を問い掛けているように思えてならない。

 表題作の「夜の明けるまで」は、これまでのシリーズでも名脇役として登場している自身番の書役・太九郎の恋を描いている。太九郎が想いを寄せているのは、離縁され女手一つで子どもを育てているおいと。舅との確執から人が信じられなくなっていたおいとが、純真な太九郎との交際を通して、頑なな心を解かしていくプロセスは強く印象に残る。

「絆」では店も家族も失った老人が、昔ひどい仕打ちをして別れた妾腹の娘との絆を回復しようとする。だが娘には老人の財産を狙う夫がいて、娘も老人への怨みを忘れていなかった。暴力を使って老人からすべてを奪おうとする夫を前に、娘がどのような選択をするかがクライマックスになっているので、サスペンスあふれる物語になっている。

「奈落の底」もミステリータッチの作品で、世間に怨みを持つおたつが、自分に想いを寄せる三郎助を利用して、ある犯罪計画を進める。だが、謀略の全貌がなかなか明かされないので、最後までスリリングな展開が続く。全体に暗いトーンになっているが、三郎助の善良さがそれを打ち消していくので、ラストはホッとさせられるだろう。

 そして最終話の「ぐず」は、お互いに想いを寄せているのに、恋を成就させるのに15年もの歳月がかかってしまった「ぐず」なカップルおすずと与吉の物語。「十五年も辛抱強く待ちつづけた与吉は、おすずの感触をゆっくりと確かめて、ゆっくりと立ち上がるつもりなのかもしれなかった」という最後の一文からは、絶対に幸福になるという強い意志と、夢が広がる未来を掴みたいという想いが、ひしひしと伝わってくる。これは、おすずと与吉だけでなく、〈深川澪通り木戸番小屋〉シリーズ全体にも当て嵌まるテーマなので、まさに一巻を閉じるに相応しい名言といえる。

 厳格な身分制度があり、男尊女卑が法律に記されていた江戸時代の人々は、当然ながら現代人とは異なる常識と価値観を持っていた。例えば、借金返済のために金を貸してくれた商家に嫁ぐ娘が主人公の「初恋」や、妾腹とはいえ家業のために娘を捨てる「絆」などは、現代人から見れば非情に思えるが、当時の人々は日常の出来事と認識していただろう。

 北原亞以子は丹念な時代考証で江戸の下町をリアルに浮かび上がらせているが、それを封建時代の特殊な事情とはしていない。嫁と姑の確執、家族の絆、好きな相手に尽くしたいという想いなど、いつの時代も変わらない“情”をベースにしているので、本書の単行本が刊行されてから20年、著者が亡くなってから約10年が経った今もまったく古びていない普遍的な物語になっているのだ。中でも職場の人間関係に押し潰され、キャリアアップの道を断念しそうになるおもよの葛藤を描いた「女のしごと」や、少子高齢化が進み年金や社会保障で重い負担を背負っている現役世代が増え、その解決策として高齢者の集団自殺、集団切腹を挙げた経済学者の発言が一定の支持を得ている状況を先取りしたかのような「いのち」は、職場や近所の人間関係に悩んだり、世代間の断絶に直面していたりする多くの読者の共感を呼ぶのではないだろうか。

 人間は生きていると、苦労の方が多いと感じる。ただ、どれだけ苦しくとも、生きている以上の幸福はない。どんな人間も包み込む笑兵衛とお捨のさりげないアドバイスは、生きることの大切さと素晴らしさを、改めて教えてくれるはずだ。