太田和彦が呑んだ“愛知” 居酒屋のない町の日本一の居酒屋とは?
【愛知】居酒屋のない町に日本一の居酒屋が
関東と関西を分かつのは愛知県豊橋あたりで、ここを境に味の好みが変わる。
麺類(関東は蕎麦/関西はうどん)、出汁(関東は鰹節/関西は昆布)、基本調味料(関東はなんでも醬油/関西は薄口醬油と酢)、味噌(関東はしょっぱい赤味噌/関西は甘い白味噌)、香辛料(関東は七色唐辛子/関西は山椒)、葱(関東は白いところ/関西は青いところを使う)、鰻(関東は蒸して焼く/関西は直焼き)、寿司(関東はにぎりで主役はまぐろと小肌/関西は押し寿司で主役は鯖寿司)、天ぷら(関東は専門店が多く天丼は豪華/関西は天ぷら店が少なく天丼は貧弱)。
居酒屋的には、刺身の好み(関東はかつお、まぐろなど赤身/関西は鯛、ぐじなど白身)、〆鯖(関東は酢洗い程度のあっさり/関西は酢をたっぷりきかせてさらに出汁に浸す「きずし」)、卵焼(関東は砂糖を入れてやや焦がす程度まで「焼く」/関西は出汁たっぷりで温め固めるだけの出汁巻で「焼かない」)、煮魚(関東は醬油の濃い汁でさっと煮る/関西は出汁をきかせあっさりゆっくり煮る)、おでん(関東は煮ないで静かに温めているだけ、大切な種ははんぺん/関西はつねにグラグラ煮えたぎりどんどん出汁を追加する、大切な種は牛スジ)。やや無理して言えば日本酒(関東は辛口/関西は甘口)、などなど。
中間の大都市名古屋はどうか。
麺類(平たいひもかわうどんの「きしめん」、その「味噌煮込みうどん」)、鰻(直焼きをご飯に埋める「ひつまぶし」、最後はお茶をかける)、味噌(独自の八丁味噌、これはうまい)、寿司(よりも天ぷらのおにぎり「天むす」)、おでん(よりも「どて焼き」)などなど独自色が強い、というか独自色を作り出したのは、東西に埋もれない意地か。
県民性は、損したくない、倹約家だがブランド好き、結婚式引出物は派手、ポイントカードやクーポン券はしっかりためる、喫茶店の豪華過ぎるモーニングサービス、偉大なる田舎、など名古屋を揶揄する言辞は多い。では居酒屋はどうか。私は漠然とあまり居酒屋のない大都市だなあと感じていたが、ある時きちんと探索してみようと数日にかけて滞在したことがあった。
その結果は「やはり、なかった」。だいたい繁華街がない。「栄があるで」と聞いて出かけたが、ビルばかりで道路はひろく、他の都市にはたいていある飲み屋横丁がないのは居酒屋好きにはつまらない。それは、車通勤社会で飲めない、ケチだから家で飲む方が安上がり、よって居酒屋文化が育たないのでその良さがわからない、などがよく言われる理由だ。
しかし私の見方はちがう。名古屋には「大甚本店」という「日本一の居酒屋」があり、そこがすべてを吸収している。その結果なのだと。
目抜き通りの交叉する広小路伏見の角、壁は黒い丸太を並べた2階家に開店4時の前から客が入りはじめ、暗い店内に座ってじっと待つ。柱時計が4つ打つと明るくなり、客はいっせいに立ち上がる。目当ては大机いっぱいに並べた様々な肴だ。
鯛の子煮、かしわ旨煮、寒ブナ煮、小芋煮、オクラごま和え、海老ときゅうりの酢の物、ポテトサラダ等々、季節で変わる小鉢が常時四十種あまり並び、好きなものをとってゆく。減ると大皿から次々に追加され、炊き上がっためじろ(穴子)煮の大皿が湯気をあげて届く。それだけではなく、奥のガラスケースには時季の鮮魚が並び、刺身、焼魚、煮魚、天ぷらのあらゆる注文に白衣の板前が応え、料理されて運ばれる。
最もすばらしいのは玄関脇、赤煉瓦へっついの酒の燗付け場だ。でんと据えた白木四斗樽の木栓をひねり、大きな錫片口に受け、じょうごで70本余りの徳利に小分けする。大きな羽釜にはつねに湯が沸き、沈めて燗をする。盃は隣の鍋の湯に沈んで温まり待機する。酒は広島「賀茂鶴」の大甚専用タンクから樽で運ばれる樽酒で四斗樽が1日で空になる。「酒」と言えば10秒で届く燗酒の味は日本酒究極の絶品。常連の注文は黙って指を1本立てるだけだ。
カウンターはなく、8席ほどの大机に知らぬ同士が寄り合って座る。その奥の座敷も、2階の窓際も小机を適当に置いた小上がりも開店即満員。勘定は残った皿を数えてしゃっと算盤を入れたちまち終わる。毎朝8時から総出で仕込む肴小鉢は200円、300円ながら肴としての完成度はきわめて高い。
余談だが、私は日本を訪れた要人に日本の健全な庶民の楽しみを見せるため、お忍びでここに案内すると良いと思う。そこで自分で料理を取りにゆかせる。酒の注文も。逆に日本の要人がドイツのビアホールやイギリスのパブに案内されれば、その国に親しみがわくと思う。居酒屋や酒場ほどその国の庶民が裸になっている所はなく、そういう意味で間違いなく国の文化なのだ。高級寿司やレストランは料理文化ではあるが生活文化ではない。
創業明治40年。がっしりした店内の貫録。毎日来る客も、新幹線を気にしながらの客も、男も女もここで飲めるよろこびに顔が輝いている。私も名古屋に行ってここに入らないことはなく、名古屋に来る用事がこれになった。