「読んで書く生活、または火曜日の地獄」 斎藤美奈子さん『あなたの代わりに読みました 政治から文学まで、意識高めの150冊』刊行記念エッセイを特別公開!
子どものころ、私は読書感想文がわりと得意だった。相手のニーズ(教師が何を求めているか)が子どもながらにわかったからだ。なので心にもないことを書くのも平気だった。
だが後に、読書感想文というものを客観的に分析する機会を持って、私のような賢しらな子どものインチキ作文には何の価値もないことがわかった。読書感想文とは、本についてではなく「本を読んだ私」について書くもので、いわば1種の体験記だからである。
今年で70回目を迎える「青少年読書感想文全国コンクール」(主催/全国学校図書館協議会・毎日新聞社)の公式HPにはいくつかのQ&Aが載っていて、たとえば〈何をどう書けばいいか、全く分かりません〉というしごくもっともな疑問に対する答えはこんな感じだ。〈本を読んで自分がどこに感動したのか、なぜ感動したのかを考えましょう。そしてもう1度本を読んでみましょう。自分の生き方や経験と本の世界とを照らし合わせると、いろいろなことが見えてきます。(略)書き終わった時には、それまでとはどこか少し違った自分になっていることに気づくはずです〉
主催者が要求しているのは「感動」であり、もっといえば「本で私はこう変わった」という感動的な体験談なのだ。実際、上位入賞者の作品にはその種の体験談(カナダの女性化石ハンターを描いた本を読んでカエルや虫が好きな自分を肯定できた島根県の小学3年生とか、中村哲の評伝と自らの被災体験を重ね合わせた石川県の小学5年生とか)があふれている。感動(したふり)が大事だということは小学生の私でも知っていたから、ふり(ほんとに感動したこともあったとは思う)はいくらでもできたが、自分が変わった体験となると、これは相当ハードルが高い。作為はしょせん体験に負けるのだ。
ついでにいうと、夏休みの出来事などを書く体験記的作文も、まあまあ得意だった。捏造のワザ、今日風にいえば「盛る」という技術を体得したからだ。家族旅行の話など、そのまま書いてもべつにおもしろくはないのである。だが、ややオーバーな会話を挿入したり、ちょっとしたエピソードを加えたりすると、がぜん興趣が増す。ノンフィクションの掟に背くなんていう罪悪感もべつになく、おもしろければOKだと思っていた。いま思うと、毎回全体の2〜3割はフィクションで埋めていた気がする。
大正・昭和の日本の学校には「生活綴方」など作文や日記と生活指導を結びつけた教育の伝統があって、時にはそこからベストセラーが生まれる。豊田正子『綴方教室』(1937年)や、安本末子『にあんちゃん』(1958年)が代表例だ。これらが今でも「感動」を呼ぶのは、貧しい少女が自身と家族の生活を(もちろんそこに教師の指導は入っていたにせよ)おそらくは「盛る」ことなしに書いているからだ。豊田正子は東京下町の経済的に厳しいブリキ職人の娘、安本末子は佐賀県の炭鉱町の両親を亡くした在日のきょうだいの末娘で、誤解を恐れずにいえば、その境遇自体が物語的だ。加えて優れた観察力と表現力。そこに虚構が挟まる余地はない。インチキはやはり事実に負けるのである。
とまあいうような、半端に作文が得意(なだけで何の達成感もなかった)子ども時代をすごした私は大人になり、雑誌編集者や編集プロダクションでの仕事を経て、署名原稿を書くようになった。気がつけばそれから30年。その間何をやっていたかというと、書き下ろしの単行本もあるにせよ、ルーティンの半分は新聞や雑誌の書評、残り半分は社会時評的なコラムの執筆である。
直近の約10年に限っていえば、私の生活は火曜日を中心に回っていた。火曜日は、週刊誌の書評連載(週刊朝日「今週の名言奇言」)と、新聞のコラム(東京新聞朝刊「本音のコラム」)の締め切り日だったからだ。どちらもスタートしたのは2013年で、以来よほどの事情がない限り火曜日には予定を入れず、ねじり鉢巻きでデスクに向かう。とかいうと、いかにも仕事人だけれども、実際は……。
まず、朝5時ごろに起きて本を読む。そんなもの前日までに読んどけよ、といわれるだろうけれど、経験上、書評は読んだ直後にしか書けない(事前に読んでいても、書く直前にどのみち読み直すのだ)。なんとか午前中に読み終え、原稿が書き終わるのが早くて午後2時。残すは新聞のコラムだが、恐ろしいことに、この時点でネタが決まっていなかったりするんだな。締め切りの時間は午後7時。できれば5時か6時には送りたい。ここからの数時間は地獄である。ニュース検索をしてみたり、ぼーっとテレビを眺めたりしてトピックを探すも、時は虚しくすぎていく。どうするんだ、ワシ!
たかだか600〜800字の文章で四苦八苦しているのは、大昔、読書感想文に「心にもないこと」を書き、作文で「捏造」をしていたころのバチが当たったのだろうか。
書評家と読書の関係はねじれている。「読んだから書く」のではなく「書くために読む」という逆転現象が起きるのだ。そうなると書店はもはやショッピングではなくハンティングの場、書評家は年中、獲物を求めてさまようハンターだ。このハンティングはしかも「今日は獲物がなかったな」ではすまない。明日書くための本を今日見つけなければ帰れないのだ。付け加えれば、書評は読書感想文のある意味、対極の仕事である。「私の体験」が価値を持つ読書感想文に対し、書評はむしろ「私を消すこと」が求められる。主役はあくまでも本で、いかに的確にその本を紹介できるかが問われる。読んだ人の責任として評価の言葉は必要だけれど、自分の感想なんかどうでもいいのよね、本当は。
一方、新聞や雑誌のコラムはというと、当然ながら学校の体験記的作文とは異なる。このジャンルの見本は朝日新聞の「天声人語」だろう。学校作文やネット上のブログが「体験(見聞)したから書く」という手順だとしたら、コラムは逆で「書くために体験(見聞)する」。材料探しが仕事の半分以上を占める分野ともいえる。誰と会った、どこに行った、何を食べたといった一見お気楽な雑誌の身辺雑記的なエッセイでも、じつは「書くために体験する」というケースが少なからずあるはずだ。長年週刊誌の連載を続けている作家やエッセイストを、だから私は無条件に尊敬している。
さて、火曜日中心に回っていた生活は、昨年5月に一区切りした。東京新聞のコラムはまだ続いているものの、「週刊朝日」が休刊し、自動的に書評連載「今週の名言奇言」も終了したからだ。数えてみたら、書いた原稿は10年で計490本。読み直してみて、われながら呆れた。たしかに自分で本を選んで自分で読んで書いたはずなのに、9割以上の本の内容を(読んだことすら)忘れていたからだ。おそるべし魔の火曜日。いかに目の前のことしか考えていなかったか、である。
2013年〜23年に書いたこの490本の中から154本を選んだ本が『あなたの代わりに読みました』のタイトルで出版されることになった。行き当たりばったりの書評集とはいえ、原発事故、安倍政権時代の混乱、コロナ禍の不安など、その時期その時期の話題が選書にも反映している。本を読みながら私は同時代を考えていたのだと思い当たる。火曜日の地獄もやはり無駄ではなかったのだ(と思いたい)。