「テラスハウス」は叩かれ「モニタリング」はウケる…テレビ業界的なものに操られる視聴者たち <武田砂鉄×上出遼平対談>
『わかりやすさの罪』の武田砂鉄と、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の上出遼平による初の対談。第4回は、テレビに鋭く厳しい視線を向ける武田と、バラエティーの作り手である上出が、「テレビの中のリアルとは何か」について話し合う。全5回でお届けする。
第3回<なぜ辺境の地で“飯”なのか?テレ東の異端児「ハイパーハードボイルドグルメリポート」上出遼平の思い>よりつづく
* * *
上出:(番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の)ロケの第一弾を放送したあと、会社の偉い人たちに怒られたんですよ。「危ないだろ」って。
武田:「危ない」ってどういうことですか。
上出:「テレビじゃない」って言われました。
武田:テレビじゃない?
上出:こんなことを言うとあれかもしれないですけど、「テレビは危なくないものを危なく見せるようにしてつくってきた。だけどこれは危ないじゃないか」と。「視聴者が真似して事故が起きたらどうするんだ」とも言われましたね。
武田:偉い人たちの言っている「テレビとは少し盛って伝えるものだ」という態度と、上出さんの「行って、撮ってきました、どうですか」という態度では、明らかに後者が正しいわけですよね。
上出:時代もあるのかなと思いますけど。
武田:時代というと。
上出:いまは、視聴者の中に「リアル至上主義」があるのかなと思っているんです。例えば、昨年「クレイジージャーニー」の件(※)がありましたけど、全体として、「あたかも偶然に発見したように振る舞う」ことがまったく許されない空気がある。これが行きすぎると、それはそれでまずいんじゃないかなと思ったりもするんです。
(※2015年4月から2019年9月まで放送された紀行バラエティー番組。メキシコロケで希少生物を事前に準備していたことが発覚、問題となった)
「リアルかリアルじゃないか」でものごとを見るのは実は簡単だと思うんです。番組の裏にあるいろんな文脈を無視できるから。でもそうなると、かつての「藤岡弘、探検隊」みたいに、全員が共犯関係になってフィクションの世界をつくって楽しむみたいなことができなくなるなと思ったりして。
<しかしいくばくかのドキュメントの要素を備える番組がこの種の取材対象者を扱おうとすると、失敗するのが必定である。その人はカメラの前で最後まで演じきるからだ。>(『ハイパーハードボイルドグルメリポート』より)
武田:そもそも、「リアル」というのは存在するんですかね。テレビの中に。
上出:ああ……難しい議題に自ら突入しました(笑)。「テラスハウス」のこと(※)があって、あらためて「リアルとは何か」をよく考えるんです。あの問題にはいろんな側面がありますけど、「リアルとは何か」に関して言えば、ほとんどの批判が的外れだったと思います。「台本があるかないか」「スタッフの指示があったかないか」という議論に矮小化されてしまった。だけど本当は、プライベートをシームレスに商品化する装置であるSNSや、現代の見世物小屋とも言える「テラスハウス」という箱そのものがいかに人間に“演技”を求めるかということが議論されるべきだったでしょうし、その要請された“演技”も含めて現代のリアルだとも僕は思います。
(※2012年10月から放送された恋愛リアリティー番組。その後、動画配信サイトでも配信されるようになった。今年5月に出演者の一人が亡くなり、放送および配信が中止になった)
武田:例えば、上出さんの番組が褒められるとき、「これが世界の最深部のリアルだ」といった言われ方をされてきたと思います。でも、撮影した映像から何十分かの番組を作り上げる過程では、上出さんの作為が入るわけで、「リアルではない」という見方もできるわけですよね。
上出:もちろんです。
武田:「リアル」や「やらせ」は、非常に取り扱うことが難しい言葉だと思います。万人に共通の概念があるわけではないのに、それぞれの場面で断定して使われるので。
上出:Netflixの「日本沈没2020」(※)はご覧になりました?
(※2020年7月に配信されたNetflixオリジナルアニメ。1973年に刊行された小松左京のSF小説『日本沈没』を原作に、舞台を2020年に移して改作されている)
武田:見てないですね。
上出:やばいんですよ。
武田:どうやばいんですか。
上出:「日本沈没」って、大震災が起こって日本が沈むという、いわゆるディザスターものなんですね。で、かなり多くの人が、2話の途中ぐらいでやめちゃうんです。なぜかというと、「ありえない」と思うことが、まるでリアリティーを追求したかのようなそぶりで次々と起こるから。いままで慣れ親しんできたリアリティーが通用しない。苛立つんです。
なのにぼくは、なぜか最後まで見てしまったんですよね。もしかしたらぼくらは、起承転結だとか、フリがあってのオチだとか、そういうことに慣れ親しみすぎていたのではないかと、ふと思ったりして。現実ってもっと脈絡のないものかもしれない、とか。
武田:ちょうど今、芥川賞を受賞した遠野遙さんの『破局』という小説を読んでいるんですが、文章の展開が奇妙なんです。たとえば、「私は、チーズバーガーを食べるはずだった。ところが、急に魚のバーガーが私の心を捉えた」とある。でも、なぜそのように変化したかは書かれない。心地悪いんです。
だけど、日頃の生活に置き換えたら、そんなこと、普通にありますね。マックに行って、チーズバーガーを食べようと思ってたけどフィレオフィッシュにした、という思考の流れは。
上出:全然ありますね。「だから」で接続されないということですね。
武田:そうです。思考の流れをそのまま文章化すると奇妙になる。物語としても、どこか砂利が混じっているというか、破綻しているところがある。でも、自分たちが生きている日常は、そもそもそういうものなんじゃないか。
<私(武田)にとってロジカルとは、「雨が降りそうだから、キャンディをなめよう」の可能性を丁寧に考察していくことだと思っているが、1分で話さなければならないとする人たちは、差し出されたものがロジカルでなければ、ロジカルとは認めてくれないのだ。>(『わかりやすさの罪』より)
上出:なんの伏線もなく何かが起こるのが現実ですもんね。なのに、ドラマでも映画でも、伏線が回収されないと許されなくなっているじゃないですか。バラエティーも作劇法にのっとったものばかりで、その段階ですでに「リアル」ではないですよね。
武田:それなのに、上出さんの番組は「タブーなし」とか「台本なし」と言って褒められる。きれいに整理されたものを求めるわりに、偶発的なものが連発している作品が好きというのが、よくわからないんですよ。
上出:確かに。それはなんなんでしょうね。「これは偶然なんですよ」という体を為しているものが好きですよね。なんていうか、「理路整然とした偶発性」が求められていると思います。
武田:なるほど。
上出:リベリアで、エボラ(出血熱)から生還した女性に取材したんですよ。ぼくが「エボラのあと何か変わった?」と聞いたとき、視聴者はたぶん「生きていてよかった」という返事を求めていたと思うんです。「理路整然」としているから。でも実際は、彼女は「何も変わらないよ。不幸なまま」と答えるんですね。その答えはバグとして消費されていくんじゃないかなと思います。
武田:「理路整然とした偶発性」って、矛盾するけどおもしろいですね。
上出:仕組まれたものは大嫌いじゃないですか。
武田:特にテレビに対して厳しくなっていますよね。だけど、ドッキリ番組はなくならないですよね。たとえば「モニタリング」がなぜウケるのか。
上出:人を驚かせることは、人間が根源的に持っている欲求でもあるから。
武田:でも、「催眠術をかけると、目の前にいる妻が人気女優の誰それに見える」みたいな定番のドッキリがあるじゃないですか。見ていて「ウソつけ」と思いますよね。その最初の感情をなぜ捨ててしまうのか。それはそちら(作り手側)が考えることじゃないかもしれませんが、そこを疑うことがまさに「視聴者がなめられない」ことにつながると思うんですよ。
上出:演技だとわかりながら楽しんでいる人とすっかり信じ込んでいる人と二種類いると思いますし、はっきりと分かれるものでもないと思いますけどね。
武田:テレビ業界的な感性に支配されることに抗いたいんです。最近は、テレビについてモノを書く人がやたらとテレビの内側にアクセスしていて、誰と誰が仲がよくてだからこういうビビッドな番組が生まれたとかって書くんだけど、それってどうでもいいんですよね、本当は。
上出:なるほど。
武田:2001年に亡くなったコラムニストのナンシー関さんのことが大好きなんですが、ナンシーさんのコラムがなぜ今も面白く読めるかというと、制作現場のことなんてどうでもよくて、ブラウン管から伝わってきたことを批評していたからです。その感覚を少しは取り戻さないと、と思っています。だって、人気芸人にいちばん詳しいのはその芸人のマネージャーや近しいスタッフなわけだから、書く側はいつまでも彼らより詳しくはない。でも、その芸人の番組を見て感じた面白さや違和感は、個人が占有してもいいわけじゃないですか。そっちにいかないと、視聴者はどんどんテレビ業界的なものにあやつられます。なんか、そこに逆らいたいんですよね。
(構成/長瀬千雅)
第5回<いよいよこのわかりやすさ至上主義、きつくないですか?>へつづく(全5回)
■武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍。9月28日スタートの新番組『アシタノカレッジ』(TBSラジオ、月~金、22時~)の金曜パーソナリティを務める。
■上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年、東京都生まれ。2011年株式会社テレビ東京に入社。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画、演出、撮影、編集まで番組制作の全課程を担う。空いた時間は山歩き。