見出し画像

やむを得ず“アホ”と戦った際に「完璧に勝つ」ために行った準備とは? さらにその結果得た大いなる学びとは?

 周囲に、あなたの時間・エネルギー・タイミングを奪う人はいないだろうか? 90万部を突破した人気シリーズ『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(田村耕太郎著/朝日新聞出版)から、理不尽で不愉快な存在との対処法を一部抜粋で解説する。(タイトル画像:ilkercelik / iStock / Getty Images Plus)

田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)
田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな! 賢者の反撃編』(朝日新聞出版)

■アホを踊らせて正面対決を避けろ

 アホとは戦うなという私だが、自分の目標のためには戦わないといけない時が来たら全力で戦わざるを得ない。

 つい数年前だが、実は私は仕事上、やむをえず戦ったことがある。もちろん戦うことはできるだけ避けてきた。戦うにしても「戦わずして勝つ」のが最上の策で、相手もこちらも疲弊させず傷つけず、自分の目的を達成できればそれにこしたことはないと確信してきた。そのために全力を尽くした。

 戦わずにあらゆる策を使い、相手の目的とこちらの目的を合致させWIN―WINに導こうとした。しかし、相手の目的がこちらの認識とは違ったのか? 相手がこちらと戦う決断をしたのか? 理由は定かではないが、あらゆる手段を尽くしても、戦うしか選択は残されていないという結論に至った。

 ここから私は「戦い」の準備に入った。完璧に勝つためである。

 まずは「怒り」を消すこと。怒りは間違いなく判断を誤らせ自らを弱める。感情的になった人間についていく人は少ない。淡々とことを進めるのみだ。

「怒り」がコントロールできないうちは行動を起こしてはいけない。

 まずはこちらの戦意や戦力はひた隠しにした。こちらが戦う意思がなく戦闘能力も欠けているという印象を持たせるために奮闘した。

 相手は油断を始めた。手強い相手だが調子に乗ってきたのだ。次に、調子に乗せたうえで相手の戦力を削いでいった。相手陣営への調略を尽くして、相手の信用を落とし相手の戦力や同盟(仲間)を削いでいった。相手も完全に油断をしていたので順調にいった。

 そして同時にこちらの守りも固めた。手強いし、万が一、相手の戦力や同盟が私の想像以上のものだったとしても、せめて負けないように信用を上げ仲間を作り守備力を充実させ陣営を固めた。

 そして相手が十分弱まり、失敗をする機会を待った。ひたすら耐えて待った。その瞬間が来時、一気呵成に激しく退路をたったかのごとく攻め立てた。

 相手の動揺は想定通りだった。感情的になり、うろたえて、取る行動もバラバラになり、戦力も予想以下に弱まっていた。力はあるものの相手の取る行動はさらに自らを弱めるものばかりであった。

 そして危ない局面もあったが結果は出た。これだけ準備して耐えても戦いは思い通りにならない局面もあるのだ。とはいえ一気呵成に攻めて決着はついたところで、相手を追い詰めるのはやめた。そもそも手強い手負いの相手を「猫を噛む窮鼠」にしてはいけない。

 逆襲の可能性もないほどに相手の戦意と戦力が低下したことを確認すると、相手にこちらに協力する機会を与えた。協力の姿勢は示したものの、さすがに具体的な協力はあったかどうか定かではないが、逆襲は全く受けなかっただけでもよしとした。

 これらの行動は孫子の兵法に正確にのっとったものだった。「風林火陰山雷」という戦法だ。武田信玄が自らの旗にこの戦法を記すほど、こよなく愛した孫氏の兵法の一節である「風林火山」。

 これは「攻めるときには疾風のごとく、機会をうかがうときには林のように息をひそめ、襲う時は燃え盛る火のように一気呵成に、守りは山のようにどっしりと自陣を固める」という意味である。

 さらに、「陰」とは「自身の戦力や戦略などは、徹底的にひた隠しにして相手に知られないようにする」という意味だ。そして最後の「雷」は「動くときには、雷のように激しく動く」という意味だ。

 アホと戦わざるを得ない時は「風林火陰山雷」でいくしかない。二千数百年の時空を超えて生き抜いた戦法は現代でこそ輝くのである。しかも舞台はグローバル。国籍や国境を超えて通用したのだ。

 しかし、最高に後味が悪かった。価値のあった戦いだが戦う価値のある相手だったかと言えばそうではなかったと思う。

 戦いに勝ってもホッとはしたが全然嬉しくなかった。勝つための努力も虚しく辛かった。心身ともに疲れ果てた。正面から戦うことを避け、最高のパフォーマンスを発揮すべくアホを踊らすことができれば、それに勝ることはない。