水野美紀が「子供抱えながら仕事して大変だね」に反論! もっと大変なのは…
仕事に復帰して「あれ?」と思ったこと。それは、仕事がラクに感じるようになっていたことだ。
家にいると、常に我が子に目を光らせながら、
「ご飯、何にしよう?」
「食器洗わなきゃ」
「そうだ、ご飯何にしよう?」
「買い物に出なきゃ」
「ひとまず掃除機をかけよう」
「あ、洗濯終わった、洗濯物干さなきゃ」
「お風呂入れなきゃ」
「ワクチンの予約入れなきゃ」
「ああ、携帯チェックしなきゃ」
「セリフを覚えなきゃ」
と、常にてんこ盛りのタスクを背負い込んでいて、自分の睡眠も食事もトイレもままならないのに、撮影の現場では、その背負い込んだタスクをいったん降ろして、自分のことだけ、撮影のことだけ考えればいいのである。何にも考えないでぼーっとできる時間さえあるのだ。
産後初めて撮影の現場に復帰した日(産後2カ月)。
朝7時に迎えの車が来ることになって、私は5時に起きて我が子の授乳を済ませて、オムツを替えて、寝かしつけて、支度して、搾乳して、夫にバトンタッチして、バタバタと迎えの車に乗り込んだ。
そして、車が走り出した時に衝撃が走ったのである。
何が衝撃かって、その静けさにである。
ホッと一息ついて流れる景色を眺める。
その贅沢さにである!
産む前には何も特別に感じたことなんてなかったその時間が、「え……! 何この静かな時間! 何このリラックス・タイム! なんて贅沢! なんて癒されるの! ボーッとしていいの? こんな贅沢していいの!?」という、極上の贅沢タイムに感じられたのだ。
この感覚をどう例えたらいいのか、どうすれば伝わるのか分からない。
私はこの衝撃があって初めて気づいた。
この時、私は久々に「気が休まる」感覚を味わったのだ。
産む前は、ちょっと忙しくなると平気で、
「あー、忙しい忙しい」
なんてのたまったものだったが、とんでもない。育児に比べたら仕事なんてラクなもの。
まあ、キャリアも長くなって仕事の勝手が分かっていたり、年齢的に、アクションなどの身体を張った撮影も少なかったり、ということはあるにせよだ。
現在私は「探偵が早すぎる」と言う木曜深夜のドラマの撮影中だ。この酷暑の中、皆で汗だくでやっている。
暑さで体力奪われるしヘロヘロだが、それでも、ちょっとした待ち時間に、共演の広瀬アリスちゃんや滝藤賢一さんらと談笑する時間があって、「ああ、こういう時間があることが、気晴らしにもなるし、こういう時間があるからラクに感じられるんだよなあ」と思う。
昼食休憩、夕食休憩も小一時間、ちゃんとあるわけで、「わあ、ご飯を食べるだけの時間! 贅沢!」と思ってしまう。まあ実際、その間にセリフを覚えたり、こうして書き物をしたりするんだけど、出産してからというもの、自由時間のありがたみをひしひしと感じられるようになった。
長くやっている仕事だから、ペース配分もできるし、仕事でもちろん疲れるんだけど、我が子を追っかけ回しながらタスクをこなす一日の方が倍疲れる。
それはなぜだろうとずっと考えていたのだが、
「予測不能な動きをする我が子のペースに合わせて動くからなのではないか」
という結論に至った。
我が子がぐずる、泣く、遊ぶ、ウンチする、いたずらする、そのペースに寄り添いながら隙を見て家事! エンドレスな片付け! 自分のペースでなどできないから、同じ仕事量の家事をこなすにしても無駄な動きが増える。それで倍疲れるんじゃないかと。
「俺は外で働いてんだ! 育児なんか女の仕事だ!」なんていうお父さんいたら(どこぞの政治家にいそうだよな)、頼むから一回、丸一日のワンオペ育児を体験することをオススメする。
やってくれ(特に政治家!)。絶対に、その後の家庭円満につながる!!(国家安泰の政策につながる!)
ママ友のAちゃんが、
「夫が全く子育てを手伝わない。こないだ風呂に入る間だけ見ててもらったら、子供が泣き出して、あやしたりもせずに、そのまま抱えて風呂まで連れてきて差し出された」
と愚痴った時、その瞳には殺意が滲んでいた!
その後、二人目を妊娠した時にAちゃんは体調を崩して長期入院。
その間、旦那は子供の面倒を見ざるを得ない状況となり、その後子育てに参加するようになった。
今では家庭円満だ。
「子供抱えながら仕事して大変だね」と、よく言っていただくが、私は断言したい。
専業主婦の方が絶対に大変だ。
どんなに可愛い我が子でも、一人で不安を抱えながら、毎日睡眠不足で逃げ場もなく向き合っていたら(特に最初の2カ月は家から出られないからね)、可愛いものも可愛いと思える余裕すらなくなる。
私は煮詰まった時、夫が我が子を抱いて「可愛いねー」と言うとハッとさせられる。
「なんで泣きやまないんだろう(焦!!)」
「なんで食べてくれないんだろう(泣!!)」
「早くオムツ替えなきゃ、風呂に入れなきゃ!」
と煮詰まっている時、私は、全然我が子の顔を見ていない。
ご飯を運ぶ口元、オムツを替える手元、そういうパーツしか視界に入ってこなくなっていて、我が子の可愛い顔を見逃しているのだ。
それに気づかされる。
夫の抱っこする我が子を、少し離れて客観的に見ることで、ふっと気持ちが落ち着くのである。
これがどれほどありがたいことか。
母が子を育てるのは確かに当たり前かもしれない。
でも、母親が一人で全て背負い込むのは当たり前じゃない。
アフリカでは、「一人の子を育てるのに100人の村民の力がいる」と言うらしい。
私は私の周りの共同体の力をフルに借りてやっている。
夫、母、義母、弟、義妹、保育園。
保育園のママ友やクラスメイトや先生たちも数えたら、100人近くの人の手を借りていることになる。
それでも、毎日満身創痍だ。
そして少し離れている時間に我が子可愛さは募る。それでまた頑張れる。
さて、書けた。我が子を迎えに行こうっと!