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「悠々自適」な老後は恐ろしく退屈? 82歳で転職した元ソフトバンク副社長・松本徹三さんの著書『仕事が好きで何が悪い!』を立ち読み

「悠々自適に暮らしたい」。多くの人が夢見る老後の生活は、思ったより寂しく、張り合いがないかもしれない? ソフトバンクの元副社長だった松本徹三さん82歳にして立ち上げたのは、まったく新しい海洋調査のベンチャー企業だった――。「生涯現役」こそが新時代のシニアだという松本さんによる著書仕事が好きで何が悪い! 生涯現役で最高に楽しく働く方法』(朝日新書)から、「はじめに」と「目次」を特別に公開します。「仕事が好き!」だという人はぜひ、立ち読み気分で読んでみてください。

■はじめに

 日本は世界にこれまで例を見なかったような「高齢社会」に突入しており、これがGDPの深刻な伸び悩みと、財政の悪化を招いています。しかし、「高齢化」は止めることができないので、これを嘆いていても仕方がありません。
 今必要なことは、その「高齢化」をむしろ逆手にとって、流れを良い方向へと変えていくこと。これしかありません。

 世の中には、明らかに「良い高齢者」と「悪い高齢者」がいます。一言で言えば、良い高齢者とは「世の中のためになっている高齢者」、悪い高齢者とは「世の中に害をなしている高齢者」のことです。
 今は、残念ながら、「良い高齢者」は社会の片隅でひっそりと生きており、「悪い高齢者」がのさばって、社会の改革を阻害しているかのようです。ですから、この状態を逆転することこそが、最良の処方箋であるように思えてなりません。
「悪い高齢者」は退場し、「良い高齢者」がどんどん社会に復帰してきて欲しいのです。

  まずは、私自身のことを少し話させてください。コロナによる社会の混乱でしばらくの間逼塞ひっそくしていた私は、2022年の9月のある日に、82歳で翻然と決意しました。
「そうだ。これからはどんな苦労も厭わず、生涯をかけて働くことにしよう」。こんな決意をした背景には、それまではそんなに意識していなかった「自分なりの使命感」のようなものが、なぜか突然、私の心の中を埋め尽くすようになっていたからです。
 私には、20歳代の頃の自分を「あまり良い人間ではなかった」と恥じる気持ちがあり、「歳をとって余裕ができたら、少しでも『良い人間』になって、その埋め合わせをしたい」という気持ちがずっとありました。
 ですから、ここ数年間は、毎日をその気持ちと共に過ごしていたのですが、現在の日本をめぐる「様々な憂慮すべき事態」が嫌でも耳に入ってくる昨今は、「こんなふうに漫然と日々を送っているだけで、果たして自分は本当に『良い人間』になったといえるだろうか?」という思いが、次第に募ってきていたようです。

  歳をとったら「悠々自適」の生活を楽しもうと、多くの人が夢見ているのは事実でしょう。しかし、現実には、そういう生活を素直に楽しめている人はそんなに多くはないようです。
 長年仕事をしてきた人は、急に仕事をしなくなると、何となく世の中と縁が切れてしまったような気がして、寂しいというか、張り合いがないというか、要するにそんなに楽しくはないのです。
 自分では何もできないとなると、世の中の色々なことに腹が立つことも多くなり、それが高じると、いつも何かに文句をつけている「しかめっ面の老人」になり、周りから嫌がられる存在に成り下がってしまいます。
 そんなことなら、「悠々自適」の夢なんか捨てて、働けるなら働き、「若い人たちの税金や社会保険料で養ってもらう」側ではなく、「税金や社会保険料を払っている」側に回って、何の引け目も感じることなく、できるだけ長く「社会の普通の構成員」として堂々と生きている方が、はるかに気分が良いのではないでしょうか?
 人間は、すぐに固定観念を持ち、なぜか無意識のうちにそれに縛られてしまう動物のようです。人間にとって、長い間、「働く」ということは、「自分の時間を不本意に使われる」こと、つまり「苦痛」を意味してきました。生活費を稼ぐためには、それに耐えていくしかなかったのです。
 ところが、よく観察してみると、世の中には「働く」ことが好きな人も多いし、「それが生き甲斐だ」という人も結構います。
 サラリーマンは、大体において型にはめられた仕事を強いられることが多いためか、「権力を振り回す」楽しみに浸っている一握りの人を除いては、毎日の仕事を楽しめている人はそんなには多くないようですが、それでも例外はいます。
 自営業の人や、好きな研究などに没頭できる立場の人になると、仕事の好きな人の比率はずっと多くなります。
 私が多くの人にお勧めしたいのは、固定観念を捨てること、中でも「働く」ということについての固定観念を捨てることです。
 サラリーマンには「定年退職」というものがありますが、これを「長年の苦痛からやっと解放された」と受け取って、実際にしみじみとそういう思いに浸る人は、そんなに多くはないのではないかと思います。「これからもやはり、もうしばらくは働き続けた方が良いのでは」と考える人の方が、今の日本では多数派ではないでしょうか?
 それならば、この人たちは、「少なくともこれからは、働き方を自分で決められるのだから、嬉しいよね」と考えるべきです。そうすれば、きっと、かなり気分が晴れるでしょう。本当は「後々の生活費が心配」という動機の方が大きかったとしても、それはあえて意識せず、気分の晴れるような考えに浸るべきです。
 高齢になると、体の自由が昔ほど利かなくなり、疲れ易くもなります。目はしょぼしょぼするし、体の方々が何やかやと不調を訴えてきます。動作は救い難いほどに緩慢になり、何をやるのも億劫になります。しかし、その一方で、明らかに良いこともあるのですから、そんなに捨てたものではありません。
 それは「自由度」の高さです。
 子供の教育やローンの支払いなど、心配の種が常に重くのしかかってきていた現役時代に比べれば、これは夢のような世界です。
 以前には得られなかったこのような「自由」をどのように使うか?
 このことを深く考えてみることが大切です。

 「こういう本を書いてみたら?」という提案を出版社から受けた時、私は二つ返事で引き受けました。「できるだけ多くの同年代(65歳以上)の人たちに、できれば自分と同じように考え、同じような行動をとってほしい」という、身勝手な気持ちが強かったからだったと思いますが、実はそれ以上に、「今後の生き方について迷っている50 代から60代前半の人たち」にも、私なりの何らかのアドバイスをしたいという気持ちもあったと思います。この年代の人たちの中には、本当に思い悩んでいる人たちが結構多いように思えたからです。
 いや、想定以上に対象読者は幅広いかもしれません。今の私には、働き盛りの今の若い世代の人たち(現時点でビジネスの最前線に身を置いている20〜40歳代の男女)にも、言いたいことがいっぱいあるからです。
 それはこの本のテーマからは外れるのではと言われるかもしれませんが、あながちそうとも言えません。
 なぜなら、今の若い人たちも、いつかは高齢者になるからです。
 その頃になると、医療や保健の水準が今よりもっと高くなっているでしょうから、悩みは「恐ろしいほど長い期間」になると思います。働き盛りの若い人たちにも、「将は、悪い高齢者にはなりたくない。できれば良い高齢者になりたい」という気持ちは、少しはあるでしょうから、もしそうなら、今のうちにこの本からも色々なヒントを受けて、是非その準備をしてほしいと、私は心から願っています。

  84歳になっても、今なお普通の若い人たちと同じような感覚で仕事をしている私自身は、かなりの「変わり種」であることは認めます。私は22歳で伊藤忠商事に入社し、色々な紆余曲折はありましたが、定年の4年前に退社して独立するまでの34年間は、日本の大企業の普通のサラリーマンとして仕事をしていました。
 しかし、その間もずっと、「与えられた仕事を大過なくこなそう」などと思ったことは、一度もありませんでした。
 配属された部署の多くが、たまたま「新しい仕事を作り出さねば存続できない」ところだったこともありますが、生まれつき「世の中の移り変わり」に敏感な方だった私は、常に「じっとしていたらどんどん遅れてしまう」という強迫観念に取り憑かれていたかのようです。
 いつも「何か新しい商売のネタはないか」とか「もっと違ったやり方があるのではないか」とか、寝ても覚めても、そういうことばかりを考えていました。
 ですから、今も考えることは、実は当時とほとんど同じなのです。年齢は全く関係ありません。
 新しいアイデアを思いつくと夢中になり、それが空振りに終わってしまうと、しばらくは落ち込んでいますが、また気を取り直して、新しいアイデアを求めます。
 仕事は成功か失敗の二つに一つしかないと思っているので、成功するためには、思いつく限りのことは何でもやります。協力してくれそうな人がいれば、どこへでも出向き、誰にでも頭を下げます。それは当然のことだし、自分にはそれ以外の選択肢はないと信じているからです。
 歳をとったおかげで、「知識」と「経験」は確かに相当増えていますから、「無駄」や「失敗」の可能性は、かなり減っていると思います。しかし「仕事に対する姿勢」が変わることは全くありませんでしたし、これからもないでしょう。
 そんな私ですから、今までには誇りに思えるような「良い仕事」もいくつかはできましたが、手痛い失敗も数多くしています。「空振り」に至っては、数え切れないほど多く、その数は「まともにできた仕事」を遥かに超えるほどです。
 それなのに、この歳になってもまだ同じことをしているのは、「仕事」がもたらしてくれる「自由な発想の楽しさ」と「緊張感」故でしょう。
「とにかくベストは尽くしたよな」とか「今なお、日々成長しているよな」とかいった「若干の達成感」が、なかなか捨てられないのかもしれません。
 そのおかげで、足腰はかなり怪しくなってきていても、頭は全くボケません。
 頭というものは、おそらく「使っていれば退化することはなく、むしろ鍛えられる」のでしょう。最近はむしろ、「以前より冴えてきているのでは」と感じるほどで、それが少し嬉しくもあります。
 今は、出資者をはじめとする多くのステークホルダーに対して責任のある仕事をしていますから、まだまだ死ぬわけにはいかないし、そんなに簡単には死なないだろうという自信もあります。
 私自身は特に長生きしたいわけではありませんが、仕事に対する責任感から人並み以上に健康に気をつければ、その結果として、もしかしたら思った以上に長生きができるかもしれません。もしそうなれば、これからますます加速していく科学技術の色々な進展を、自分自身の目で見られるようになるのですから、それはそれでとても嬉しいことです。

 「変わり種」の私自身のことについて語るのはもうこの辺でやめて、この本の本題に戻りましょう。
 それは、全ての高齢者に「悪い高齢者」ではなく「良い高齢者」になってほしいという、私の強い願いについて語ることです。
 そして、私の言う「良い高齢者」とは、「周りに迷惑をかけたり、雰囲気を壊したりしない人」であるだけにとどまりません。もっと積極的に「良いことをする人」を意味しています。
 私の考えでは、それは、「働ける限りは働いて、少しでも経済的な貢献を行い、将来の世代に不公正な負担をかけないようにする人」だと思います。
 では、どうすれば、そういう「良い高齢者」になれるのでしょうか?
 私のアドバイスは単純明快です。
 それは、今まで慣れ親しんできた「日本のサラリーマンのやり方」を、一度綺麗さっぱりと忘れて、生まれ変わった一人の自由人として、「仕事に対する全く新しい取り組み方」を試みてみるということです。
「仕事に対する取り組み方」を変えても、これまでに身についた知識や経験の一部は、必ず役に立つでしょう。「デジタル化の急速な進展で、長年得意としてきたやり方が、既に陳腐化してしまった」というケースは結構多いでしょうが、それでも、「脇役に徹する」ことを覚悟さえすれば、やることはまだまだあるでしょう。

 私にとっては、「日々新た」という言葉ほど、耳に快い言葉はありませんが、なぜか私には、この言葉が、「世の中の高齢者のためにある言葉」のように思えてなりません。
 歳を取れば取るほどに、この言葉が心に沁みるようになれば、あなたの人生は最後まで充実したものになるでしょう。
「生涯現役で、最高に楽しく働く」ことが、もしあなたの望むところであるならば、あなたはこの言葉を、生涯にわたって常に噛み締めていくことになると思います。
 この本が、あなたの生涯をそのような方向に導くことに、少しでも役に立てると良いのですが……。

松本徹三著『仕事が好きで何が悪い!生涯現役で最高に楽しく働く方法』(朝日新書)

■仕事が好きで何が悪い! 目次

はじめに

第1章 悠々自適なんてしていられない

日本人は茹でガエル状態
82歳で私が起業した理由
今の年金制度は必ず破綻する
シニア世代が未来のためにできる三つのこと
「悠々自適」からは希望は生まれない
「働く=苦痛」の価値転換
勤勉はいつか誇りになる
「人生の新しい楽しみ方」を見つけよう
人事評価や出世は本質ではない
仕事の快感は忘れることができない

第2章 老害と老益の分かれ道

年配者は職場で嫌がられる?
老害三原則
「偉い人」症候群
成功体験の罠
失敗経験をどんどん語ろう
「スピード」こそが、全てを分ける鍵
「とりあえず一呼吸置く」をやめる
「老害」があるのなら、「老益」もあるはず
趣味を楽しむのも大いに結構
夢中になれるものが持てないあなたへ

第3章 定年はサラリーマンの福音かも

好きこそものの上手なれ
なぜ新しい発想は大企業からは生まれにくいのか?
定年後には新しい地平が広がっている
定年後の仕事選びの三原則
人生の最後のチャンスを見逃さない
権力にこだわらず「脇役」として働く楽しみ
飄々と、一隅を照らそう
「困っている人を助ける」という選択肢
私の大失敗、しかし
仕事に対する不完全燃焼
縦割り組織では「誰もできない仕事」が溢れている
自分にしかできないミッションを見つける
「やれることは全てやった」と死ぬ前に思えれば十分

第4章 50代は人生で最も重要な時期

50代になったら「このままでいいのか」考える
これまでの仕事のやり方は通用しなくなる
人生でもっとも重要な時期がやってきた
何もしないことが評価された日本の企業文化
忍耐強く几帳面で、低賃金でも文句を言わない日本人
「何ができるか」ではなく、「何をすべきか」を考える
こぢんまりした仕事に慣れてはいけない
「心が躍る」瞬間を作っていく
一つの選択肢としての「起業」
ベンチャービジネスは誰でも実現可能に
副業から始めてみる
エンジェル投資家になるという選択肢
現時点の履歴書を作ってみる
「自分の市場価値」にはがっかりするもの
手抜きする仕事・頑張る仕事を区別する
表と裏を使い分ける
徹底的に部下の味方になる

第5章 誰もがいつかは高齢者になる

「何となく過ぎていく毎日」に流されていないか?
冒険なくして運は訪れない
別世界に触れ、そこからヒントを受ける
問題意識とぼーっとした意識を行き来する
単調な毎日に変化をつける
別世界にいる人との出会いを大切に
引っ込み思案は最大の敵
英語はいつやっても遅くない
組織に卑屈になる必要はない
会社にうんざりしたらすべきこと
今の仕事には決して手を抜くな
生きる価値は自分で決める
高卒だったキーエンス創業者
老後の生活の質で人生は逆転できる

第6章 デジタル・AIはシニアの救世主

なぜ高齢者はデジタルが嫌いなのか?
ざっくりわかるデジタル用語
デジタル技術が「何を可能にするか」だけは理解する
現在のパソコンはシニアに不親切
ソフトバンクの“CSO”として
最低限の性能のパソコンを持てば十分
デジテルを駆使すれば、どんどん学べる
コミュニケーションも、難しい仕事も支障なくこなせる
老後の楽しみはデジタルが叶えてくれる
こんな未来を体験したくはありませんか?

第7章 死ぬまで仕事で何が悪い!

働き続ければ心身の健康にも繋がる
定年後も脳を退化させない
「生き方」は大切だが、「死に方」も大切
死ぬときは淡々とした心境で
延命治療もお墓もいらない
思うがままにやって生ききる
「生涯の価値」は最後に決まる
仕事人生は「覚悟」を形成するためにある

おわりに