「地理は、すべての知識の出発点である」世界的ジャーナリストの“逆襲”とは?/『地政学の逆襲』を立ち読み
■日本語版によせて
メールやSNSなどのコミュニケーション・ツールが発達し、人やモノ、資金の移動はますます活発化している。進化するテクノロジーの恩恵を受ける多くの人にとって、「地図」あるいは「地理」という概念は、もはや意味をもたなくなっているようだ。グローバリゼーションによって地理は消滅し、世界は「フラット化」しているというのが、現代社会に生きる人々の共通認識となっている。
思い切ったいい方をすれば、本書はそういったトレンドに逆らい、解釈を正すことをめざしている。地理が指し示す揺るぎない事実は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素は、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右する。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる。
私たちは、自国や周辺国だけでなく、より広い範囲の地域を知る専門家にならなければいけない。二〇一三年一二月頃から感染が世界中に拡大しているエボラ出血熱が、このことを痛感させた。日本やアメリカにとって、西アフリカは比較的遠い地域であるものの、そこで起きている脅威はもはや他人事ではなくなっている。公衆衛生の問題にも、地理は大きく関係している。国や地域が距離に関係なく相互に影響を及ぼし合う世界において、地政学の重要性は確実に高まっている。
私は常に旅をしていたい人間で、一九八〇年代から、戦場ジャーナリストとして世界中を駆け巡っていた。だが、あるときからジャーナリズムに対して限界を感じるようになり、ニュースを超えたものごとを追求すべく、訪れた国の歴史や、国際関係や地政学などの理論を学ぶようになった。そのため私の著作は、旅行記的でありながら、歴史や戦略分析などにも言及するスタイルをとっており、やや特異な印象を受ける読者も多いかもしれない。本書を旅するように読み進めながら、地理が示唆する過去、現在、そして未来について考えていただければ幸いである。
第一部では、ハルフォード・J・マッキンダーやニコラス・J・スパイクマンなど、地政学の古典的思想家たちと彼らの理論を紹介する。残念ながら、ここ数十年間に地政学研究は葬り去られたと言っても過言ではなく、政治学はもはや地理を無視しつつある。それでも、一九世紀末から二〇世紀半ばにかけて活躍した地政学の思想家たちから学ぶことはたくさんあるし、彼らの理論は、今も色あせてはいない。
第二部では、アジアについて随所で触れている。アジアの未来を占う最大の試金石は、何と言っても中国経済だろう。しかし、中国経済の先行きは余断を許さず、昨今足踏み状態にある経済を成長軌道に戻せるかどうかは不明である。ただ、中国国内の動きが、対外活動の方向性を決定づけることは間違いないだろう。
日本やアメリカが対中政策を決める際に重視すべきなのは、中国の「能力」である。メディアはとかく、大統領や首相などの発言や人となりをとりあげ、それが国家戦略を決定するすべてであるかのように報じている。しかし、中国の政府高官の言動から、政策を判断することはできない。それよりも、たとえば中国は二〇年前に比べて約二倍の潜水艦を保持しているなど、進化し続ける国家の能力に注目していく必要がある。前著『南シナ海:中国海洋覇権の野望』(奥山真司訳、講談社)で、南シナ海を主な舞台とする、中国とその周辺国の動向について論じているので、興味のある読者はあわせて参照していただきたい。
アメリカについても少し触れておく。悲観的な見方をする専門家は多いが、私はむしろ楽観的に見ている。アメリカは世界の覇権国家として、当面の間は実権を握り続けるだろう。この見方は、私が現在所属するストラトフォー(ストラテジック・フォーカスティング)のジョージ・フリードマンとも一致している。EU(欧州連合)やロシア、中国の経済状況と比較するだけでも、アメリカは最も強大なパワーを持っているし、今後もそうあり続けるだろう。一方でEUは、報道されている以上に深刻な状況に陥っていると感じている。EUの不安定さは今後も継続するどころか、さらに深刻化する恐れもある。
運命論を語るわけではないが、国や地域がたどってきた歴史と地理的事実をひもとくことで、今起きているできごととの関係が明確になり、未来を知る手がかりも得られる。読者のみなさんにとって、本書が世界を新たなまなざしでとらえるきっかけとなれば、著者としてこれ以上喜ばしいことはない。
二〇一四年一〇月二七日
ロバート・D・カプラン
■地政学の逆襲 「影のCIA」が予測する覇権の世界地図 目次
日本語版によせて
序章 失われた地理感覚を求めて
アフガニスタンとパキスタンの矛盾
統一朝鮮の誕生?
なぜアラブの春はチュニジアで始まったか
第一部 空間をめぐる競争
第一章 ポスト冷戦の世界
ベルリンの壁崩壊で失われた地理感覚
中央ヨーロッパの夢
ドイツ再統一がもたらす新たな戦い
ミュンヘンの教訓
エアパワーの台頭
ベトナムの悪夢
第二章 地理の逆襲
民主主義と道徳性はイコールではない
現実主義と地理の受容
なぜアメリカは繁栄し、アフリカは貧しいのか
地理が示す〝謙虚な運命〞
第三章 ヘロドトスとその継承者たち
地形が文明を形づくる
西洋はなぜ台頭したのか
埋め尽くされる地理空間
ヘロドトスの世界が世界史のカギを握る
イスラムの勃興
運命との戦い
第四章 ユーラシア回転軸理論
世界大戦を予言した地理学者
ロシアが歴史の中心を担う
先を見据えた警告
「世界島」の閉ざされたシステム
ハートランドを支配する者は世界を制する
第五章 ナチスによる歪曲
地理を実践してきたドイツ
ナチスの地政学
ゲオポリティークの教訓を生かせ
第六章 リムランド理論
歴史は温帯域でつくられる
アメリカが西半球の覇権を維持するには
ハートランドからリムランドへ
地理が支配する「多極的」世界
第七章 シーパワーの魅惑
「旺盛な帝国主義」に駆られて
制海権の重要性
アメリカの受動的な海軍戦略
第八章 空間の危機
距離の終焉
アジアの「閉所恐怖症」
過密都市で高まる民族主義
無国籍の権力
第二部 二一世紀初めの世界地図
第九章 ヨーロッパの統合
深まる内部分裂
分断の歴史
東方へのパワーシフト
南下するヨーロッパ圏
地理的優位を強化するドイツ
ロシアは東欧を再び威圧する
ゆらぐギリシア
第一〇章 拡大するロシア
けっして見くびってはいけない
大陸帝国をめざす
ランドパワー国家の宿命
中国――最も危険な地政学的ライバル
ハートランド大国の出現
ソフトパワーが外交の要に
プーチンの思惑
ウクライナ――
ロシアを変える中軸国家 282
カザフスタン――真のハートランド
第一一章 大中華圏
万里の長城はなぜ建設されたか
命運を握る少数民族
内的ダイナミズムと外的野望
大陸国家のひそかな拡大
中央アジア征服計画
インドとの国境問題
ASEANとの植民地的関係
朝鮮統一は中国の有利に
安全な陸の国境
南シナ海の制海権を求めて
台湾との統合は進む
アジアにおける軍拡競争
弱まるアメリカの支配
第一二章 インドのジレンマ
「影のゾーン」にふり回される
地理と乖離する政治実体
イスラム勢力による侵略
なぜパキスタンは不安定なのか
「パシュトゥニスタン」の建国?
中国との新たな対抗意識
カシミールをめぐる問題
第一三章 中軸国家イラン
一体性に欠ける中東
サウジアラビアの脅威、イエメン
イランの地の利
きわめて制度化された民族国家
洗練された政教一致体制
エネルギー枢軸同盟
スンニ派アラブを解き放てるか
イラクの影響と政権変革
第一四章 旧オスマン帝国
矛盾をはらんだトルコのヨーロッパ志向
イスラム民主主義の模範として
中東諸国との歴史的和解
イランとの団結
弱体国家にとどまるイラク
大きな将来性を秘めるシリア
ユダヤ人はまもなく少数派になる
第三部 アメリカの大戦略
第一五章 岐路に立つメキシコ
ブローデルの「長期持続」
アメリカが直面する地政学的ジレンマ
ローマ帝国の大戦略
命運は南北に展開する
地理的伝統が生んだ麻薬カルテル
多様性に欠ける移民集団
メキシコとの有機的連携
よりよい世界をめざすために
解説
新書版 解説
原注
地図作成/加賀美康彦