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社会に巣くう悪党たちの話を書かせると月村了衛の右に出る者はいない!/文芸評論家・池上冬樹氏による、月村了衛著『奈落で踊れ』文庫解説

 2010年の作家デビュー以来、話題作を発表し続け、日本SF大賞、日本推理作家協会賞、山田風太郎賞など数々の賞を受賞してきた月村了衛さん。このたび、朝日文庫1月刊として、『奈落で踊れ』がついに発売となりました。
 この小説は、実際にあった事件がモデルになっています。物語の舞台は、官僚組織のエリート中のエリートであった大蔵省(2001年に財務省と金融庁に解体)。1998年、接待汚職「ノーパンすき焼きスキャンダル」が発覚し、霞が関に激震が走ります。接待を受けていた89年入省組の4人は処分を恐れ、“大蔵省始まって以来の変人”と呼ばれる同期の文書課課長補佐・香良洲圭一に助けを求めますが……。黒幕の大物主計局長、暴力団、総会屋、政治家らの思惑も入り乱れるなか、香良洲はこの危機にいかに立ち向かうのか!? 日本の闇をあざわらうかのような、官僚ピカレスク小説の傑作です。文庫発売によせて、文芸評論家の池上冬樹氏の解説を掲載します。

月村了衛著『奈落で踊れ』(朝日文庫)

 まずは、最新作『半暮刻はんぐれどき』(双葉社)からはじめよう。

 この小説は、暴力団に所属しないで犯罪を行なう集団、つまり半グレたちを主人公にしている。会員制クラブにつとめる山科翔太と辻井海斗で、2人は店の方針に従って、女性客を騙して借金まみれにし風俗店に落としていたが、ある日警察の摘発にあう。だが、逮捕され刑に服したのは末端の翔太だけだった。

 ここから2人は違う道を歩み始めるのだが、そもそも2人は生まれも育ちも違っていた。翔太は児童養護施設で育ち、少年院入所歴があり高校中退。海斗は経産省のキャリア官僚の息子で、有名私立大学に在学中という設定だ。第一部では翔太が自らの罪と向き合い、第二部では大手広告代理店に就職した海斗の罰を捉えていく。特に第二部、海斗は東京都市博の推進準備室で公金を還流させるシステムを作り上げていくが、そこで政界と官界に食い込むヤクザと半グレ、それを巧く利用する広告代理店の構図を徹底的にリアルに浮き彫りにしていく。ヤクザは暴力団対策法などの法律に縛られるが、半グレはカタギの世界に身を置きながら、法の隙間で好き勝手ができる。代理店勤務のエリート社員でも犯さざるをえない合法的な犯罪があり、それによって出世が決まる歪んだ背景が鮮烈に映し出されている。「日本社会の闇と本物の悪をえぐる」という帯文が、ひしひしと迫る社会派サスペンスだ。

 月村了衛といえば、「機龍警察」シリーズ(早川書房)だろう。2010年に出たシリーズ第一作『機龍警察』はやや軽かったが(2014年に「完全版」が出ていちだんと厚みが出た)、第二作『機龍警察 自爆条項』(2011年)で日本SF大賞を受賞し、第三作『機龍警察 暗黒市場』(2012年)では吉川英治文学新人賞を受賞するなどSFファンのみならずハードボイルド・冒険小説ファンも狂喜させ、さらにはその文学性が文壇でも高く評価され、機龍警察シリーズは新作が出るたびに(『機龍警察 未亡旅団』『機龍警察 火宅』『機龍警察 狼眼殺手』『機龍警察 白骨街道』と短篇集をいれて現在まで7作)、ミステリ・ベストテンを賑わせてきた。私事になるが、『機龍警察 自爆条項』の帯の推薦文を担当していて、メイン・ストーリーとサイド・ストーリーが見事に織りあう海外エンターテインメントを念頭において書いたのだが(「元女性テロリストと家族をテロで失った女性警部補の物語が読ませる。本筋と脇筋が入念に織り上げられた警察&冒険小説の秀作。今後の展開が楽しみだ」)、予想はしていたものの、その後の小説の凄味は、こちらの予想をこえるボリュームとスケールだった。国産エンターテインメントの歴史に残る出色のシリーズだろう。

 だが、もっと驚いたのは、月村了衛の才能の豊かさである。警察小説、冒険小説、ハードボイルド、ノワールというジャンルは予想できても、まさか時代小説まで手を延ばすとは思わなかった。アメリカ製の最新式回転拳銃を武器にして江戸の暗黒街に戦いを挑む『コルトM1851残月』(講談社、大藪春彦賞受賞)、水戸光圀が原稿督促のため全国の執筆者のもとを回る『水戸黄門 天下の副編集長』(徳間書店)など荒唐無稽きわまりないのに細部が充実していてリアルで実に面白いのだ。

 さらに月村了衛の近年の特徴は、史実と虚構を巧みに組み合わせた社会派サスペンスの数々だろう。昭和から平成にかけての重大事件の数々の裏側を公安警察の視点から捉え直す『東京輪舞(ロンド)』(小学館)、元戦災孤児のアウトローが1964年の東京オリンピック記録映画の監督選定で暗躍する『悪の五輪』(講談社)、戦後最大の詐欺集団“豊田商事”事件の残党たちの運命を抉る『欺す衆生』(新潮社、山田風太郎賞受賞)など、現代史を多角的に描くセミドキュメント小説が目立つ。冒頭で紹介した『半暮刻』も2021年に行なわれた東京オリンピックの不祥事をモデルにしていることは読めばすぐにわかる。実際の事件報道を知っているとひょっとしたらこういう堂々たる公金還流(2023年の流行語であり、これからも使われる言葉を使うなら“公金チューチュー”)があったのではないかと思わせるほどリアルである。知人の大手新聞の女性記者が一読して、“月村さん、やりますね!”と感嘆していたほどだ。

 そして実は(枕が長くなってしまったが)、本書『奈落で踊れ』も、その現代史を描く一連の作品に連なる。社会に巣くう悪党たちの話を書かせると月村了衛の右に出る者はいないが、本書もそうで、舞台は1998年冬の日本、発端はノーパンすき焼きスキャンダルである。今回の悪党は大蔵省(現財務省)の官僚たちである。

 1998年1月、大蔵省接待汚職事件(「ノーパンすき焼きスキャンダル」)が発覚した。大蔵省の多くの者が接待をうけていたが、89年入省組の4人は何とかして処分を免れる方法はないかと考え、接待を受けていない同期の文書課課長補佐の香良洲からす圭一に助けを求める。

 香良洲は「大蔵省始まって以来の変人」の異名を取り、緊縮財政に反対の方針をとる論文を発表して、大蔵幹部の逆鱗にふれ、地方の税務署にとばされていた。だがしかし香良洲は、税務署長時代に破綻しかけていた地方銀行の徴税を先送りしたり、悪質業者に嵌められ汚職で逮捕されそうになった地方議員を助けたりして、地方銀行にいる大蔵OBの経営層や議員たちの口利きで、早々と本省に戻ってきたのだった。

 彼らには義理も友情もなく断っても良かったが、接待疑惑の主要人物が主計局長の幕辺と知らされて引き受ける。幕辺は銀行局長時代に執拗に接待を要求していたし、問題のノーパンすき焼き店も、幕辺が最初に指定した店だという。次期次官候補で、実質彼が大蔵省の黒幕といってもよかった。省内の反主流派の面々を検察に生贄として差し出して、事態の幕引きを図ろうとしているのも許せなかった。

 香良洲はさっそく動き出し、元妻で与党・社倫党政治家秘書の花輪理代子から、政財官界の極秘顧客リストの存在を告げられる。だが、そのリストが見つからない。香良洲は業界の切れ者のフリーライター・神庭絵里に調査を依頼、絵里は暴力団・征心会若頭の薄田に接近する。香良洲もまた大物総会屋と顔をあわせることになるのだが……。

 いやあ面白い。読み始めたらやめられなくなるだろう。当時の事件を知っているならなおさら惹きつけられる。小説の中では“ノーパンすき焼きスキャンダル”となっているが、実際の名前は“ノーパンしゃぶしゃぶ接待汚職”で、事件の概要はほぼ事実通り。興味深いのは加藤紘一、梶山静六、宮沢喜一など、実在の政治家の名前が次々に出てきて、大蔵省解体の裏側が語られたり、当時の政界汚職の顕著な例として新井将敬議員の自殺問題もリアルタイムの事件として提示されたりと実に生々しいことだ。いまはなきスキャンダル雑誌「噂の真相」も出てきて、事実の信憑性をはかる目安にしているのも懐かしい。

 もちろん面白いのは、ダーク・ヒーローともいうべき香良洲だろう。途中から幕辺との虚々実々の駆け引きも行なわれて、いったいどこに物語の着地点があるのかわからなくなるのだが、この見えにくさというか、ぬえ的状況こそ、伏魔殿ともいうべき大蔵省の姿でもあろう。“変人”が巧みにさばいて解決へと向かう話だが、堅固な組織にはワルがはびこっていて(ワルでなければ出世はできないのだ)、決して簡単には進まない。対策を練る前に相手に先に仕掛けられ、後手にまわることもある。いったいどのように危機を回避して勝利を摑むのかという展開になるのだが、先の展開がまことに読めない。途中、やくざに恋した国会議員の姿がコミカルに描かれているが、これなども最高裁まで争われた女性議員の夫をめぐる報道裁判を思い出させてニヤリとさせる。そんな喜劇をはさみながら、次第に抜き差しならない状況においやられ、香良洲は思い切った行動に出る。驚愕の決断であるが、そうしなければならない思いがあったからである。

 もともと香良洲が地方にとばされたのは「デフレ経済下における消費増税の悪影響について」という論文を専門誌に発表したからだった。緊縮財政をとる政府と大蔵省の基本方針をまっこうから否定した。その思いは本省に戻ってきてもかわらない。大蔵省の主流派たる幕辺局長は当然消費税の増税を画策しているが、それを認めるわけにはいかない。なぜなら「消費税とは恒久的増税のロジックを内包するものにほかならないからだ。昨年の五パーセントへの増税は、必ずや今後の日本に終わりのないデフレ不況をもたらすだろう。/これ以上の愚挙はなんとしても阻止せねばならない。たとえどんな手を使ってでも」(223頁)という思いを抱いているからだ。そして最終的に香良洲が選んだ“手”が衝撃的なのだが、それは読まれた方ならわかるだろう。

 大蔵省は2001年に財務省と金融庁に解体されたが、財務省は依然力を持ち続けている。いまだに「日本は借金で首が回らないので破綻を防ぐためには増税をすることはやむを得ない」という財務省の主張がまかり通っているが、それが必ずしも真実ではないことも語られるようになってきた(詳細は森永卓郎の『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』三五館シンシャ発行)。そういう時に本書を読めばますます日本経済と政治の仕組みが見えてくるだろう。まことにタイムリーな小説といっていい。